排除ZEROをめざして ―東西のコリアタウンとドヤ街を歩く―

柳川 朋毅
イエズス会社会司牧センタースタッフ

難民鎖国とヘイトスピーチ
  日本カトリック難民移住移動者委員会(J-CaRM)の全国研修会2017が、11月23日から25日にかけて、大阪(一部の現地学習は神戸)で行われました。今回は「国籍を越えて人びとが出会うために ~排除ZEROキャンペーン~」というテーマのもと、全国(国籍としてはむしろ世界中)から約150人が参加しました。

  1日目はまず、外国人の人権擁護に精力的に取り組んでいる駒井知会弁護士が「難民とともに生きる、日本社会の未来」と題した基調講演を行いました。難民・難民申請者に対して日本社会がどれほど冷徹な態度を取り続けているのかという話は、何度聞いても悲しく恥ずかしい思いになります。けれども、熱意と愛情あふれる駒井弁護士の姿、憤りつつもユーモアを忘れないその話しぶりは、ある意味で小さな希望も感じさせてくれました。

  その後、4つの分科会に分かれました。日本の教会と外国人との関わりについて、J-CaRMとカリタスジャパンが共同で開始した「排除ZEROキャンペーン」についてなどの分科会がある中、私は第4分科会の「排外主義に対して」に参加しました。講師を務めたのは李信恵(リ・シネ)さんです。在日コリアン1世の父と2世の母を持つため、自らを「在日2.5世」と紹介する李信恵さんからは、自身も攻撃対象となったヘイトスピーチ・ヘイトデモ、ネットでの壮絶な差別的書き込みなどが説明されました。辛くて見られないので毎回中座することにしている、と言って流した映像には、目を覆いたくなるほど下劣なヘイト行為が写っていました。直接私に向けられた言葉ではないにもかかわらず、恐怖と悲しみで思わず涙がにじみました。こうした攻撃を直接、しかも長期間にわたって浴びせ続けられた彼女の痛みは、どれほどのものだったのでしょうか。
 

生野コリアタウンを歩く
  2日目は朝から現地学習に出かけました。JR鶴橋駅に集合し、生野の「コリアタウン」へ向かいます。案内してくれたのはコリアNGOセンター事務局長の金光敏(キム・クァンミン)さんです。

  鶴橋駅から桃谷駅にかけての一帯は、韓国・朝鮮系のお店が食材・食品店を中心に約130店舗も密集しています。日本の多くの商店街が次々と寂れていく現実がある中、日本最大規模といわれる生野コリアタウンには多くの買い物客・観光客が行き交い、想像以上に活気があふれていて驚きました。

  コリアタウンを歩く現地学習は他にもありましたが、私たちのグループは「民族教育の今」というテーマで、朝鮮学校と大阪市立の小学校を訪れました。

  午前中に訪れたのは、大阪朝鮮第四初級学校という朝鮮学校です。70年の歴史をもつこの学校では現在、在日3・4世を中心に約100人の生徒が学んでいます。各学年1クラスずつの計6クラス、それぞれ算数、図工、国語(朝鮮語)などの授業が行われている様子を見学させてもらいました。先生たちの丁寧な指導のもと、生徒たちは皆熱心に授業を受けていました。

  朝鮮学校は学校教育法上、134条で定められた「各種学校」の一つとされています。いわゆる「一条校」とは異なり、主に国ではなく都道府県からの補助金によって支えられてきましたが、大阪府は現在、朝鮮学校への補助金を停止しています。文部科学省が定める学習指導要領に基づいて授業がなされているので、インターナショナルスクールなどの外国人学校の中では最も日本の公教育に近いにもかかわらず、扱いはまるで異なります。朝鮮学校の扱いが不当に差別的だとして、国際社会からもたびたび非難されていますし、高校無償化の対象から意図的に外されていることに関しても、各地で裁判になっています。

  午後に訪れた御幸森小学校は、大阪市立の公立小学校でありながら、韓国・朝鮮にルーツのある子どもたち向けに、韓国・朝鮮の言葉、歴史、文化などを学ぶことができる「民族学級」を設けています。大阪市全体でも4~5校に1校、生野区に限って言えば区内のほとんどの小・中学校に民族学級が設けられています。私たちが訪れた際はちょうど、発表を間近に控えた伝統芸能の踊りと演奏の練習の真っ最中でした。

  朝鮮学校とは異なり、週一回の民族学級だけでは、言語や文化を習得するには決して十分な時間ではありません。けれども民族学級のもつ意義を、金光敏さんは自身の経験を基に次のように語ってくれました。「言葉や文化の学習はあくまでも手段でしかなく、もっと大切なのは、自分の出自に対して誇りや肯定感をいかに持てるか。アイデンティティは内発的に形成されるのではなく、人との関係性によって築かれていく。特に、マイノリティ(社会的少数者)のアイデンティティは、マジョリティ(社会的多数者)の在り方や接し方にかかっている」。子どものころ、差別や貧しさから人生を諦め、将来に夢や希望を抱けずにいた金さんは、民族学級と出会って自分のルーツを学んでいくうちに、自己肯定をする機会を得たのだといいます。

 
  2日目の夜の交流会では、ベトナム料理に舌鼓を打ちながら、各国の歌などが披露されました。J-CaRMの委員長である松浦悟郎司教(名古屋教区)だけでなく、開催地である大阪教区の前田万葉大司教も加わり、盛大な宴になりました。
 

釜ヶ崎での夜まわり
  この研修期間中、私は釜ヶ崎(大阪・西成区)にあるイエズス会の施設「旅路の里」に泊まりました。毎週木曜日には旅路の里を拠点に野宿者を見まわる「木曜夜まわり」が行われています。2015年の夏以来、約2年ぶりに参加させてもらいました。毛布やカイロを抱えて、冷え込みの厳しい夜の釜ヶ崎を巡ります。

  わずか2年の間に、釜ヶ崎の街の外観もだいぶ様変わりしていました。表面的には確かに「綺麗に」なってきていますが、様々なところにフェンスが過剰に張り巡らされ、居場所・寝る場所から人々を追い出しているかのようです。簡易宿泊施設が並んだいわゆる「ドヤ街」も、外国人旅行者向けに改装したおしゃれな安宿が目立つようになりました。クリスマスを控え、ホテルや飲食店ではクリスマスツリーやイルミネーションが明るく輝く中、その前を通り過ぎると、とたんに暗い街になります。イエスの産まれた馬小屋とはどんな場所だったのだろうかと、考えずにはいられません。
 

山谷・渋谷の越年闘争
  寒さが厳しい冬の期間、路上生活者にとってはしんどい季節です。特に、多くの企業が休みになる年末年始の時期は、日雇いなどの不安定な雇用で働いている人々にとっても死活問題です。福祉などの行政サービスも手薄になるこの期間、「ひとりの餓死者も凍死者も出さない」を合言葉に、全国各地で越年闘争が始まります。関西では釜ヶ崎、東京都では山谷をはじめとして、数か所で取り組みが行われます。私は今回の越年は、山谷と渋谷に顔を出しました。

  教皇フランシスコは「いつくしみの特別聖年」が閉じられるにあたって、年間第33主日を「貧しい人のための世界祈願日」にすると決めました。第一回目の祈願日(2017年11月19日)のメッセージにあるように、貧しい人のことを、単なる週一回のボランティア活動や、良心を慰めるためのその場限りの善行の対象としてだけ考えるのではなく、貧しい人と真に「出会い」、「分かち合い」を生き方とする必要があります。彼らと共に食事を作り、食べ、語り合う中で、社会の中に存在する様々な排除の形についても認識させられます。
 

新大久保と多文化共生社会
  1月末、金迅野牧師(196号参照)が共同主事を務めるマイノリティー宣教センターの企画で、新大久保の街を歩きました。案内してくれたのは、コリアNGOセンター東京事務所の金朋央(キム・プンアン)さんです。

  東京都新宿区全体では現在、住民の12%以上が外国籍で、特に外国人の多い大久保や百人町は、丁目によっては半分近い割合です。日本国籍を取得した外国ルーツの方も相当数いるでしょうから、そうした方を含めたら過半数になるかもしれません。

  個人的な思い出ですが、大学院生時代、新大久保にはよく、先輩の韓国人神父に連れられておいしい韓国料理を食べに行きました。韓流ブームが陰りを見せた2012~3年頃、排外主義の格好の標的となり、ヘイトデモが繰り広げられた街でもあります。そうした街を歩きながら改めて、外国人も貧しい人も排除されない、差別のない「多文化共生社会」をどのように築いていくことができるのかを考えさせられました。

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