本業以外のボランティアが人生・社会を変える

柴田 潔 SJ
聖イグナチオ教会助任司祭

司祭への召し出し

  最初に、召し出しのきっかけについて書きます。大学を卒業して、住宅会社に就職して4年目、同僚たちは休みの日にパチンコや映画に出かけていました。私は、ボランティアをしようと思いつき、南山教会の“祈りと奉仕の集い レジオ・マリエ”に出会います。朝、聖霊病院に行って、ベッドから車椅子にお乗せして、浴室に移動して、服を脱がせて、体を洗い、一緒に湯船に浸かります。この時「身障者と健常者の垣根がなくなる体験」をします。この体験が後々大きな意味を持ちます。

  本業は、住宅会社の営業マンでしたが、休みの日にボランティアをしました。この2つの世界をいったりきたりすることが司祭への召し出し(無償の奉仕)につながりました。しんどい時もありましたが、続けたことが大きな意味を持ちました。導入にこのお話をしたのは、本業以外でしていたことが人生を変えたことをお伝えしたかったからです。
 

被災地ボランティアとカブトムシ

  本題に入ります。叙階後は、主に山口県の幼稚園で働きました。幼稚園でもモンテッソーリ教育の資格を取るなど忙しくしていましたが、ボランティアもしていました。東日本大震災から3ヶ月経ってから、被災地でヘドロかきを黙々としました。津波の片付けをしましたが、役に立っている感じはしません。家を売る仕事をしていたので、津波で家が流される、命を守るはずの家が流される衝撃は言葉になりませんでした。「自分がしていることに意味があるんだろうか?」と虚しさで一杯でした。この体験も大きな意味を持ちます。ボランティアベースのリーダーは「神父さんに言うのは何ですが、百の説法よりも捨て身の努力が大事」と教えてくれました。

  「自分にできる捨て身の努力は何だろう?」 山口に戻って始めたのは、教会の向かいにある亀山でカブトムシを捕まえて、教会と幼稚園共催のバザーで販売することでした。ちょうど、羽化したカブトムシが地上に出てくるタイミングでした。カブトムシを掘る姿勢は、ヘドロかきの姿勢と同じでした。役に立てなかった虚しさに、今度はカブトムシを捕まえた喜びが合わさりました。4日間で120匹のカブトムシを捕まえました。バザー全体の収益は、福島県のカトリック二本松幼稚園に送られ、放射能から守れる砂場小屋になりました。秋になると、生まれた卵が幼虫になって私のところに戻ってきました。以来、10年間、その繰り返しで11世代目になります。

  また、2011年の冬休みからグループでの被災地ボランティアを始めました。「繰り返し自分がボランティアに行っても関心は広まらない。若い人に経験を積んで欲しい」と考え始めます。後押ししたのは「行ってあなたも同じようにしなさい」(ルカ10:37)のイエス様の言葉です。山口教会の瀬川さんご夫妻にも協力いただきながら、2019年までに計20回、延べ200名が参加しました。幼稚園の先生たちも多く参加し、人の役に立つ喜び、命の大切さを実感できました。この体験も大きな意味を持ちます。

  初めは岩手県の大槌ベースでしたが、閉鎖された後は福島県の南相馬ベースにお世話になっています。福島は原発事故の影響で、まだ3.6万人が避難生活を強いられています。家が残っているのに住めない現実を間近に見た若い人たちは「知らなかった。ここが日本なのか!」とショックを受けます。原発事故は環境破壊の最たるものです。「道を挟んで、片方は住んでもいい。片方は帰還困難区域で立ち入れない。その代わりに毎月賠償金がもらえる。この違いは、何なんだろう?」と考えます。回勅『ラウダート・シ』を深めたい方は、是非この現実を見てください。
 

難民支援と子どもたちの心

  もう一つ力を入れているのは難民支援です。2015年9月、シリア難民の4人家族は難民ボートでギリシャ領の島に向かう途中で沈没し、お父さんだけが助かりました。アイラン君がトルコの海岸に打ち上げられた写真を見た山口天使幼稚園の上田園長先生から「難民支援について調べていただけますか?」と依頼がありました。その頃、神学部の卒論ゼミで一緒だった学生さんがイギリスで急死したことを知りました。「彼女がしたかったことは何だろう?」という思いと、アイラン君の写真が難民支援に向かわせました。「ドイツはなぜシリア難民を受入れるのか?」というシンポジウムで、あるハンガリー難民の方の実話を伺いました。

1965年ハンガリー動乱のクリスマスのころ、10歳の私は家族とハンガリーを離れることになった。「自分は難民になる。家もなくなる、国もなくなる・・・これからどうなるの?」と不安でいっぱいだった。そんなとき、駅で、同じ年くらいのドイツの子どもが箱をくれた。きっと、言葉が違う私たちに何かを感じたのだろう。開けてみると中にケーキが入っていた。きっと楽しみにしていたクリスマスケーキだっただろう。自分は難民になる・・・不安がいっぱいある。「でも、いいこともある」。そう思って頑張ってこられた。50年経っても忘れられない。思い出すと涙が出てくる。

  子どもの優しい心には力がある、と感じた体験が大きな意味を持ちます。幼稚園で難民募金を呼び掛けます。「こまっているおともだちが あぶないくにから あぶなくないくにに もどれますように」「せかいじゅうのおともだちが うんどうかいできる へいわがきますように」。子どもたちの柔らかい心、素敵なお祈りに心を打たれました。
 

  カブトムシの話に戻ります。山口から四ツ谷に異動になった際、100匹のカブトムシの幼虫を連れてきて、地下で育てました。そして37つがいが教会学校のお友だち、信者のお孫さんたちにもらわれていきました。中には夜脱走して朝部屋の中を飛んでいるのを見つけたり・・・カブトムシで生活が変わった方もおられるでしょう。このカブトムシ、初めはヘドロかきの姿勢からでした。

  今年のカブトムシ献金(約20万円)は、難民支援協会(JAR)を通じて、日本に来られた難民の方に充てられます。カブトムシは東日本大震災がきっかけですが、その年にシリア内戦が始まっています。2011年のジュネーブでの緊急人道支援国に、日本とシリアの両国が挙げられました。津波は一瞬で多くの人の命を奪いましたが、シリアでは爆撃などによる死の恐怖が10年以上毎日続いています。カブトムシを育てる楽しさと、難民の厳しい状況を結びつけようと考えています。
まとめと課題

  コロナが終息したら被災地ボランティアを再開しようと思っていますが、教会で司牧しながらできるかわかりません。また、憂慮すべきは首都直下型地震です。これから30年の間に発生する可能性は70%と言われています。旧大川小学校で大切な娘さんを亡くされた佐藤敏郎さんは「念のためのハードルを高くすることで想定外は防げる」と言われています。いざ、地震が来て「想定外だった」とするのではなく、できることを考えて準備しようと思っています。

  コロナで自粛中ですが、次のアクションを溜める期間にできたらと思っています。教会は、確かに仕事が多岐にわたっていますが、それで力尽きてしまうのではなく、被災地支援と難民支援、首都直下型地震への備えこそが自分のミッション、という意気込みで取り組むつもりです。

  私のこれまでの体験では、少し無理をしてでも、本業以外のことに深入りすることが人生を豊かにしてきました。信徒一人一人、教会についても同じでしょう。「社会正義」と聞くと、一部の人が関わるというイメージを持っているかもしれませんが、見たり触れたりする出来事に思い切って深入りすることが社会正義を実現するように思います。イグナチオ年、そのチャレンジをしていきましょう。


【柴田潔神父のYouTubeチャンネル】

 

『社会司牧通信』第219号(2021.8.15)掲載

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