韓国と日本の「隣人」関係

村山 兵衛 SJ(イエズス会神学生)

  有名な橋下徹大阪市長が、8月21日に、「従軍慰安婦」の日本軍による強制連行の問題について、「確証のない主張」と述べた。記憶に新しいニュースであるが、これに対する抵抗の声は、今ではあまり取りざたされない。しかし、この発言に見られる韓国と日本の歴史認識の亀裂は、今なお深刻な傷を残し続けている。それだけではない。竹島や尖閣諸島をめぐる領土問題は、日中韓における、利害関係に収まらない相互理解の必要性を訴えてやまない。強制的統治と人権侵害をもたらした日韓併合の歴史は、100年以上の歳月を経ても、決して正統化も風化もされえない。文化を異にする隣人との和解、共生は、共有する歴史の再認識と、相互の人格的決断の尊重から初めて生まれる。

  8月24、25日に、東京四谷のイエズス会社会司牧センターで、「神学生のための社会使徒職セミナー」が開かれた。プログラムは、映像資料、資料館見学、「在日」の方の講話を通して、19世紀後半から現代にいたる韓国と日本の歴史的関わりを学び、両国のこれからを考えるというものであった。イエズス会では、日本管区と韓国管区との使徒職レベルでの協力への挑戦が、試みられている。韓国人のイエズス会神学生も参加者のひとりであった。ひとりの日本人として、私は自分の歴史認識の浅はかさを思い知らされた。中学高校の歴史の授業で漠然と聞き知っていた、福沢諭吉や伊藤博文といった日本の歴史的人物の名前が、今回初めて、朝鮮半島の血ぬられた歴史と実際に深く結びついた。

  しかし、武力行使に対する日本の根本的無反省は、1910年の「韓国併合」を招くに至った。韓国併合の歴史をみれば、一方に、戦前の日本政府の「武断政治」「武装の平和」の理論があり、他方に、植民地化された朝鮮半島からの「民族自決」「万民の自主独立による東洋平和」という叫びがあったことが分かる。前者の代表は、韓国統監府初代統監の伊藤博文に見ることができ、後者の代表は、その伊藤を暗殺した韓国独立運動家の安重根である。いかに一定の自治を認めようと、いかに繁栄をもたらそうと、相手の自主性と尊厳を無視した反人道的な支配がもたらす平和は、何十年たとうが何百年たとうが、正当化はされえない。伊藤博文の誤算は、まさに、韓国ナショナリズムへの理解と共感の浅さにあった。その傷跡は、韓国など周辺諸国からの労働者強制移住、戦争中の「従軍慰安婦」、そして日本国内での「在日」韓国・朝鮮人差別に現れている。

  幕末明治期以後、韓国に対する、近代化日本の態度は、江華島事件(1875)に代表される「征韓論」と、福沢諭吉の「脱亜論」のうちに見ることができる。1867年の開国以来、日本は欧米列強に追いつくために、産業、軍事、教育など、多方面にわたって、近代化政策を推し進めた。近代化しなければ列強国の奴隷になる、という危機感の背後には、欧米を視野に入れた日本の世界観があるが、これは、中国中心の世界観をもつ当時の朝鮮半島とは対照的であった。しかし、隣国朝鮮に開明、近代化、中国からの独立を呼びかける日本は、その建前の裏で、「武力行使」や不平等条約おしつけを行い、朝鮮半島の間接的支配権をめぐって、地元の人々の思いを顧みずに、中国と不毛な争いを始める。「脱亜論」(escape    from Asia)とは、隣国の開明を待つ余裕が日本にはもはやないと考えた福沢が、国策の関心を他の諸国に向けよと訴えたものであった。

  とりわけ今なお60万人いる「在日」の人々の存在は、韓国からも日本からも理解受容されない悲痛な歴史を背負って、日本人に、歴史の再認識を呼びかけている。社会生活の必要ゆえに日本名を名乗り、日本人と同等の権利を認められず生きてきた「在日」の人々の中には、それでも、日本国籍への帰化を選ばず、韓国・朝鮮人としてのアイデンティティを自ら選んで生きていく人がいる。日本も唯一の被爆国として戦争の苦しみを知っている(被爆者には多くの韓国朝鮮人もいる)のだから、受けた苦しみとともに、与えた苦しみの重さに気付かねばならない。それとも、どちらの聖戦論が正しいかの議論を、まだ続けるつもりだろうか。

  新大久保では、現在、韓国ドラマブームで盛り上がったコリアンタウンが、多くの若者を引き寄せ続けている。しかし他方で、橋下市長の発言に見られる日韓の歴史認識のずれは、隣人の痛みへの共感の欠如をあらわにしている。私たちは、人間としての尊厳と基本的権利を奪われた「異なる背景をもつ隣人」の存在に気づき、触れなければならない。そして、彼らが苦難の中で選びとる人生の決断に、すなおに耳を傾け、和解と共生へのはしごを率先してかけていくよう呼びかけられている。

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