カトリック教会は全世界で死刑が廃止されるために意を決して努力をします

柳川 朋毅
イエズス会社会司牧センタースタッフ
日本カトリック正義と平和協議会「死刑廃止を求める部会」

  2018年の夏、死刑に関して、二つの「ビッグニュース」が入ってきました。一つは悪いニュース、もう一つは良いニュースです。

13名の大量執行=虐殺(ジェノサイド)
  悪いニュースとは、オウム真理教による一連の事件で死刑判決を受けていた13名全員が、7月に次々と処刑されたことです。もちろん、被害に遭われた方々やその家族の未だ十分に癒えていない心身の傷を目の当たりにするとき、私は胸がつぶれる思いがし、彼らの犯した罪の重さに戦慄します。けれども、それほどまでに重大な事件の加害者を安易に抹殺することでは、被害者は真の「癒しと救い」を得られず、社会には本当の「正義と平和」も実現されないと思うのです。

☜ 7/6の一斉執行の情報は、テレビ各局でまるでショーのように「実況中継」された

 
  7月の二度にわたる一斉執行は、相次ぐ大規模自然災害、特に西日本の各地に甚大な被害と200名以上の死者を出した豪雨災害のまっただ中に行われました。さらに二度目の大量執行日は、相模原の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた戦後最大の大量殺傷事件からちょうど2年に当たる命日でした。19名の尊いいのちが無残にも奪われたことを悼み、二度とこのような惨禍を繰り返すことのないようにとの決意を改めて確認する日に、わざわざ大量の人命を処刑するという無神経さに、驚きと怒りを禁じ得ません。

  今回、オウム13名の処刑を命じた上川陽子法相に対して、その「勇気」と「英断」を称える言説もあふれました。一回目の執行前夜に酒宴に興じていたことへの批判も、どこ吹く風なのでしょう。人を殺したことがここまで賞賛される日本社会に、おぞましさを覚えます。相模原事件の加害青年が、彼の言うところの「不幸を作ることしかできない」いのちを抹殺することを「褒めて」もらいたくて、自民党に手紙を書いたことが思い出されます。「生産性」をめぐるとんでもない持論を披瀝し、物議をかもした某国会議員と、彼女を擁護した政党幹部の面々も頭をよぎります。人命と人権、とりわけ平和的生存権を保障し擁護すべき政府が、むしろ率先して多くの国民のいのちを奪っているという矛盾に私たちは向き合わなければなりません。

 

『カトリック教会のカテキズム』改訂
  その一方、良いニュースとは、『カトリック教会のカテキズム』の死刑に関する項目(第2267項)が改訂されたことです。近年、特に聖ヨハネ・パウロ2世教皇以降の歴代教皇は死刑に反対するカトリック教会の姿勢を繰り返し表明してきました。バチカンのこうした姿勢を受け、日本の司教団もかねてより死刑廃止を目指す立場を明確にしてきました。2001年に発表され、昨年増補新版が出版された『いのちへのまなざし』でも、死刑については一つの項目を設けて司教団の考えを丁寧に説明しています。

  世界的にも国内でも、死刑廃止の機運が高まっています。日本弁護士連合会は2016年に、「2020年までに死刑制度の廃止を目指すべき」とする宣言を採択しました。また、2017年、アントニオ・グテーレス国連事務総長は10月10日の「世界死刑廃止デー」にあたり、「私はこの野蛮な慣行を続けているすべての国に訴えたいと思います。死刑の執行を停止してください。死刑は21世紀に相応しくありません」と呼びかけました。

  新たなカテキズムにも引用されている「死刑は許容できません。それは人格の不可侵性と尊厳への攻撃だからです」という教皇フランシスコの発言は、その翌日(10月11日)になされたものです。その際、「死刑はそれ自体、福音に反しています」という表現まで用いて、改めて死刑に強く反対する姿勢と『カテキズム』を改訂する必要性を訴えました。

  『カテキズム』改訂は「教義」の変更ではありません。けれども時代の変化にあわせて、「時のしるし」を見極めて、教会の教えの解釈は変化していくものです。もちろん、日本人の中に、そして日本のカトリック信者の中にも、死刑制度を支持している人が少なからずいるということも承知しています。ただ、人を殺すことでしか問題を解決できないのだとしたら、「正義」を実現できないのだとしたら、それは人類にとっての敗北宣言に等しい行為です。キリスト者として、「いのちの尊さ」を本気で信じているのであれば、どうしたらそれを傷つけない形で、平和で安全な社会を築いていけるかを真剣に話し合わなければならないでしょう。

  「教会は全世界で死刑が廃止されるために意を決して努力をします」といみじくも改訂『カテキズム』が宣言しているように、未だ死刑制度を維持している日本において、私たち日本のカトリック教会は他の国にもまして、死刑廃止に真剣に取り組む責任があります。

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