「ピースカフェ」を企画して

井上 友里子
ピース9の会imagineメンバー

  私たちにとって、ピースカフェの企画は新しい挑戦でした。私たちは数年間の青年会活動の中で、多くの仲間と素晴らしい時を過ごしてきました。青年会での仲間との繋がりや共に祈る時間は、他のコミュニティには無い美しさがあります。だからこそ、この気持ちを社会に向け考える集いを作れたら、きっと、今まで心を一つに望んできたことがより広く実現できるのではないかと考えるようになりました。

  しかし、実際には世界情勢について友人たちと話し合う機会が無く、心の中で葛藤しているに過ぎませんでした。何かもう一歩深く踏み込んでいけるような時間を作り、なんとかこの葛藤を打破したい。ピースカフェは、そんな想いを持つ私たちが、「ピース9の会」の呼びかけ人、松浦司教様の声かけで出せた、勇気のようなものでした。
 

  勢いにのって取り組みだしたものの、プログラムを企画しだすと、とても悩みました。この機会を大切にしなければならないという強い思いから、学ばなければならないことを挙げてみると、きりの無さに途方に暮れてしまったのです。私たちは、いったん立ち止まりました。

  準備に協力してくださった、会場である下関労働教育センター所長の中井神父様と、スタッフのシスター山本は、「青年たちが集まるだけで素晴らしいこと」、「あまり背負いこみ過ぎず、第一回目という心持ちで取り組んでみていいんじゃない」と励ましてくださいました。そして思いついたのが、リラックスした雰囲気で、普段は訊けない疑問も安心して口に出せるような、「ピースカフェ」でした。
 

  一日目は、まず、ピース9の会の集いで昨年10月に発表した内容を報告しました。10月の集いでは、青年を対象にアンケートをとり、その結果をもとに劇を作って現代の青年の多くが持つ悩みや社会の見方を表現しました。テーマは「私たちを分断するもの・繋ぐもの」。日常生活や社会において、他者と分断されていると感じる時/繋がっていると感じる時について、質問を投げかけました。青年たちの回答から気がつかされたことは、多くの人が始める前から様々なことに諦めを持っていることです。

  この発表の報告の後、分かち合いの場を持ち、松浦司教様にファシリテートしていただきました。なぜこのピースカフェに参加しようと思ったか、どんな疑問を持っているかなどを、確かめ合いました。分かち合いで語られる言葉に耳を傾けていると、実はいつも一緒に活動している青年の中に、深く平和を望んでいるだけでなく、社会問題に興味を持っている人がいることに驚かされました。同じ問題に関心を持ちながらも、その話題で交わってこなかっただけだったのです。仲間は身近にいたということに、光を感じずにはいられませんでした。夕食の後、テゼの歌を用いた祈りの時間をとり、平和への願いを重ねました。
 
  二日目には、まず、シスター山本のギターで、みんなで歌って朝の祈りをし、中井神父様に海外での出会いと体験を分かち合っていただきました。特に韓国でのご経験については、青年たちも息を呑んで話を聞きました。

  その後、コラージュ作りのワークを行いました。分かち合い中心の集いで、深刻な内容も多く話されることが予想されたので、分かち合いが苦手でも取り組みやすいように言葉以外の表現ができる場を用意したのですが、予想以上に全員が楽しんで作品を作ることができました。
 

  まとめとして、松浦司教様に最後の分かち合いをしていただきました。キーワードとして挙がったのは「越えていく」ことでした。それは、多くの人の話の中に、様々な言葉に言い換えられて表れていました。国や性別のようなカテゴライズされるものであったり、心の内側にある諦めや恐れであったりを、私たちが越えて解り合っていくことの大切さを、その場にいる全員が、それぞれの形で見つめている気がしました。
 
  二日間が終わって思ったことは、私たちは今越えていくことを始めたばかりだということでした。私たちに今すぐできることは何だろうと、改めて考え直して気がついたことがあります。それは、仲間を増やし続けることです。

  こういった勉強会の後は、「考え続けなくてはいけない」といつも思い、考え続けてきました。しかし、考え続けているだけでなく行動に繋げていきたいと思った時、つまずいてきたのです。私たちをつまずかせていたのは何だったのか。それは仲間の少なさだったのではないかと思います。「世界平和」というとテーマが大きすぎるけど、ピースカフェでの語らいは、私たちに身近な人と出会い直し、仲間になる大切さを教えてくれました。今後も、仲間を増やしていける活動を、さらに考えていけたらと思います。

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