JSCシソポン「ソクエンさん」とかんぼれん

川地 千代
イエズス会社会司牧センタースタッフ

  今年も1月下旬、「カンボジアの友と帯する会」(かんぼれん)のスタディ・ツアーでカンボジアを訪ねました。かんぼれんは、タイ国境から50㎞に位置するシソポンのイエズス会サービス・カンボジア(JSC)をパートナーとして活動し、数年前からはプノンペンの障がいのある子どもの家「Light of Mercy Home」にも協力し始めました。

  2003年に初めて、シソポンのJSC事務所に立ち寄りました。そこで、責任者ソクエンさんやグレッグ神父に出会いました。分かりやすくまとめられたプロジェクト報告書を見ながら、ソクエンさんの熱くて心のこもった説明に、皆感銘を受けました。そして、参加者全員で即決!JSCシソポンを協働パートナーとして支援グループを作ろう!と。それから、かんぼれんは毎年シソポンを訪問し、13年が経ちました。

  翌年、第1回目の支援は、13軒の障がい者や貧しい家族への3m×4mまたは4m×5mの家造りでした。村々を訪ねると、インドネシア人のグレッグ神父以外、初めての外国人だ!と言われました。シソポンのスタッフは、現地の貧しい人や障がいのある人たちと日頃から親しく関わっているので、優先すべき彼らのニーズを良く調査していますし、かんぼれんもツアーで訪ねて人々の考えを聞くことができます。現地のJSCスタッフとかんぼれんは、毎回、正直に話し合い、「人間を中心とした」プロジェクトに協力し連帯してきました。

  今年のツアーでは、2006年に初めて支援した「牛銀行」のVun Sametさん家族を訪問しました。牛銀行は、母牛をJSCから借り、産まれた1頭目と3頭目を利息としてJSCへ返したら、2頭目と4頭目以降のすべての子牛と母牛もかれらのものになるという仕組みの、自立支援プロジェクトです。Vunさんは1984年、クメール・ルージュの兵士だったときに地雷によって左足膝下を切断し、現在も頭の中や足に地雷の破片が残っていて寒いときには痛むと言っていました。彼の家はタイ国境に近いO Ampil村で、牛を飼い始めたとき、あたりはまだ森で、少しずつ切り拓いていきました。牛は家の近辺で世話できるので、足に障がいのある彼には適した、収入を得られる仕事です。懸命に飼育して初めの母牛から利息分の2頭の子牛は返済し、今では孫の世代が母牛となっていて、その1頭は今妊娠中です。彼は他の人の牛も世話して収入を得、生活は楽になってきました。息子さんが深刻な病気になったとき、手術代として6頭の内の4頭を売らなければなりませんでしたが、治療ができ助かりました。Vunさんの深い皺が刻まれた笑顔は、自信に満ち溢れていました。

  かんぼれんから、初め、5家族に1頭ずつの牛が支援されました。こうして産まれた子牛は他の家族へも受け継がれ、牛銀行プロジェクトの輪は広がり続けて、現在、このプロジェクトのために、かんぼれんからの新しい支援は不要になっています。

  また、2011年から、タイ国境に近接するTuol Prasat村で、小規模な農業ローンの支援を始めました。その前年に、村長をはじめ村の世話役や小学生の親たちも含めて多くの村人たちが集まり、JSCスタッフ、かんぼれんの私たちも参加して、ニーズについて話し合いました。村人たちからは初め、日常の仕事のために道路が最優先という意見があり、子どもの教育のための小学校、村人皆で使えるため池、という順でニーズが出されていました。検討の末、かんぼれんはそれらすべてのプロジェクトに支援するゆとりはなかったので、小学校とため池を支援することになりました。そのためにはまず、CMAC(地雷除去NGO)に頼んで、小学校建設という目的が決まった敷地の、地雷を除去してもらわなければなりませんでした。その上で、3教室の木製の小学校と、その隣には、掘った土が学校の土台の盛り土にも利用できる、ため池を造ることにしました。親たちも、話し合いに積極的に参加し、子どもを小学校で学ばせたいし、繁忙な収穫時期などでも仕事を手伝わせるために、子どもに学校を休ませないよう約束しました。完成後、生徒たちは、その学校をきれいにして大切に使い、校庭には、生徒たちがグループ毎に植樹して、エコロジー教育も実践していました。もちろん、村人たちも管理に協力し、ため池も利用できます。

  そして翌年、農業ローンが始まりました。初めは100米ドルずつを、5家族1組になって30家族に貸し、種や肥料を買い、サトウキビや米を収穫しました。また、利息の一部はコミュニティに貯蓄され、村人が前年に当初希望していた、でこぼこだった2.5㎞の道路の修復や、道路に沿って300本の木を植えること、また、火事で家を焼失してしまった家族と教師のために、家を建てる支援にも利用されたそうです。農業ローンは、貧しい人や障がいのある人に優先される支援です。しかしそれは、それぞれの家族の経済的自立に留まらず、利益の一部をコミュニティで自主管理するので、村全体の発展につながりました。今では農業ローン利用者は47家族に増えたそうです。コミュニティの自立支援が上手く行っている事例です。
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  とは言え、万事が順風満帆に運ぶわけではありません。昨年、やはり、タイに隣接する村のコミュニティ発展を願って、共同のため池と30家族への農業ローンを支援したのですが、今年訪ねてみると、ため池の周りには背高く草が生い茂っていて、村人たちも少なかったのです。聞いてみると、昨年は雨がとても少なくて、米などの農作物は枯れて収穫が上がらず、やむなく、村人は国境を越えて、再びタイへ出稼ぎに行ってしまっていたのでした。育ったのはキャッサバ芋ぐらいで、その収穫に1日中働いても2.5米ドルしか稼げず、日当6~8ドルになるタイへ行かざるを得なくなったそうです。昨年、訪問して話し合ったときには、出来上がったばかりのため池の前で、村長は、村で人々が農業をして経済的に自立できるようになれば、タイに出稼ぎに行かなくてよくなり、子どもたちも学校に通えて勉強ができるようになる。そして、今もタイで働いている村人たちも戻ってきて、ここで安定して生活できるようになってほしいと願いを語っていました。今年は、その村で、幼い子どもたちと世話をする祖母に会いました。JSCは1年で諦めることはなく、農業ローンは5年間単位のプロジェクトなので、今年も挑戦することになっています。期待通りに上手く行かないのは残念ですが、そんな困難な時にこそJSCは、忍耐強く寄り添って、村人たちと一緒に乗り切ろうとしています。

189_02  JSCスタッフは、かんぼれん会員とカンボジアの人々との架け橋です。2003年に、初めてシソポンで出会って以来、ソクエンさんは、その架け橋の最たる「顔」でした。そのソクエンさんが、JSCを退職されると聞き、突然で、かんぼれんの皆、ショックでした。ソクエンさん自身は、1975年からクメール・ルージュに苦しめられ、かけがえのない家族の命も奪われ、人生が一変してしまいました。しかし、彼女は、文字通り「奇跡的に」生き延びることができました。その経験は、それ以降の彼女の人生を、どう生きるのかをはっきりとさせたそうです。そして、JSCの場で、貧しい人、障がいのある人、困難にある人に尽くすことを選んだのです。彼女に出会ったかんぼれんの誰もが、本当にその通りの生き様、証しだと頷きます。彼女の専門分野は教育です。教室でも生徒に生き生きとした言葉で教え、教師の養成にも具体的に尽力し、信念をもって皆を励ましていました。また、村の人々へも、移動図書館やラジオ放送を使って、教育、アドボカシー活動にも積極的でした。かんぼれんの皆はソクエンさんに、心からの尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。他方、彼女はとてもチャーミングです。私たちのホテルの手配を頼むと、ホテルスタッフと共に、事前に入念な部屋のチェック、枕カバーの臭いまでクンクン嗅いで・・・とお茶目な仕草で、皆を爆笑させます。このようにホテルのスタッフに対しての教育だけでなく、村のレストランでも、村人に接するときにも、愛情たっぷりの「教師」です。彼女のJSCの職務からすれば、それによって彼女の評価が上がるわけでもなく、エネルギーを費やす必要もあるとは思えません。しかし、根っからの「教師」である彼女からほとばしるテキパキとした言動は、人々にいつも温かくて微笑ましいのです。彼女の、同じカンボジア人であるかれらへの熱心さには、スキルアップして自信をもってほしいという思いが込められているように感じました。

  カンボジアでの支援は、衣食住の基本ニーズから、教育などのソフト面へシフトしていると思います。毎年訪れるこの十数年だけでも、開発や人々の豊かさへの変化は、目まぐるしいものがあります。一方、経済豊かで教育も普及した日本で、今、貧富の格差拡大を実感します。失業率自体は上昇していなくても、内実は非正規雇用が4割に増大していて、働いている人でも生活は不安定になります。子どもの貧困率は6人に1人と拡大、高齢者や女性の貧困化も深刻になっています。生命保険会社のように、「生産性」の物差しで人を査定するなら、子ども、高齢者、障がい者、女性などのポイントは低いのです。教育や公共の福祉がかなり「充実している」とは言え、一部の人はより豊かになる一方、一部の人はより貧しくなっています。その上、目に見えにくい、孤独、疎外、差別などが加わるから悲惨です。つまり、ちょっと反面教師として、これから益々経済的にも発展していくカンボジアの人々に対して、教育や経済自立支援と共に、自立できない人々のニーズにもまた優先度を下げることなく、車の両輪のように応え続けていくのだと思っています。

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