対人地雷の禁止を願って

  3月はじめに東京で、地雷問題の早急な解決を話し合う二つの国際会議が相次いで開かれた。これは地雷問題がほとんど知られていない日本ではきわめて異例なことだ。日本に数多い平和運動も、地雷の問題にはほとんど触れていない。 3月6~7日には日本政府主催の「対人地雷に関する東京会議」(非公開)が開かれ、8~9日には難民を助ける会をはじめとする日本の市民団体の主催で「NGO東京地雷会議’97」が開かれた。NGO会議には日本をはじめ10ヶ国から、市民団体などの関係者約300人が参加し、日本政府に対して対人地雷の禁止実現のために強い態度をとることを求める「共同アピール」を採択した。
  このように、同じ問題をめぐって二つの国際会議が相次いで開かれたわけだが、日本政府の立場は、この問題に関する話し合いは今後もジュネーヴの国連軍縮委員会で続けるべきであり、その過程で中国やロシアなど地雷の主要生産・輸出国を含めた全国家による地雷の全面禁止を「段階的」に実現すべきだ、というものである。これは米国によって提案され、日本政府も支持している。しかしながら、地雷は自衛のために必要な手段であるとして全面禁止を認めない国もあり、全国家による地雷の全面禁止がいつ実現するか、見込みはまったく立たない。

  そのため、NGO代表は当面、1997年末にカナダのオタワで開かれる地雷禁止国際会議で、対人地雷に限って全面禁止する条約の締結を支持している。これは、1996年10月にオタワで開かれた国際会議でカナダ政府が提案した「オタワ・プロセス」と呼ばれるものだ。現在まで50ヶ国以上が同条約批准の意向を示している。 しかし、ロシア、中国、米国、イギリス、フランス、日本などは「全国家による全面禁止」の立場を崩さず、対人地雷全面禁止条約にはすぐには同意しないと見られる。中国やロシアなど数ヶ国は、オタワ会議への参加にも同意していない。

 

<地雷の被害者>

  毎年、何万人という人々が地雷によって死傷している。その被害の範囲は全世界の一般市民に及んでいる。1995年6月1~5日、カンボジアNGOフォーラムと地雷禁止カンボジア・キャンペーンが主催する地雷禁止国際会議が開かれて以来、対人地雷全面禁止のための国際キャンペーンが世界的に広がってきた。東京会議の数日前にはモザンビークのマプトで、第4回地雷禁止国際NGO会議が開かれ、 60ヶ国から400人以上が参加した(1997年2月25~28日)。最終宣言では、1997年12月に対人地雷全面禁止条約を批准するよう、すべての政府が積極的に努力することを求めている。

  東京会議では、地雷の被害者、赤十字国際委員会などの医療関係者、そして毎日生命 を賭けて地雷除去に携わる人々などの発言が、参加者に深い感銘を生んだ。私は、休憩時間にアフガニスタンから来た地雷の被害者に会った。私が握手をした11歳の少女シ ャブナムさんは、地雷の爆発で片足を失った。小さいその手には、地雷の暴発による傷彼跡が残っていた。女は会議に参加できてうれしいと語っていた。パネル・ディスカッ ションの間中、彼女はパネリスト席の真ん中に座っていたが、パネル・ディスカッションには少々退屈していたようだった。

 

以下は、パネル・ディスカッションに参加した 3人の地雷被害者の証言である。

シャブナム /対人地雷被害者(アフガニスタン)女性、11歳

   「1994年12月4日、私は母さんと一緒に、叔母さんの家を訪ねるために家を出 ました。叔母さんは長い間前線の近くに住んでいました。叔母さんの家に行くためには、 薮の生い茂っている畑を横切らなければなりませんでした。畑を横切ろうとしたとき、 私は地面に何かあるのを見つけて踏んでみたくなりました。私はそこが地雷原だとは知 らなかったのです。突然、大きな爆発音がしました。私は泣き出しました。すぐに母さ んは私を抱えてその場所から駆け出しました。でも、母さんも運悪く、そこに埋まって いた別の地雷を踏んでしまいました。  結局、誰かがその近所で働いていた地雷除去の人を呼んでくれて、私たちはその場所 から助け出されて、ワジール・アクバル・カーン病院に運ばれました。病院でお医者さんが私と母さんの足を切り、私たちは3ヶ月入院しました。私は病院ですっかり望みを なくしてしまいましたが、ほかの障害者の姿を見て、頑張らなくてはと思うようになり ました。  私の父さんは戦争中に不発弾の暴発で死にました。兄弟姉妹はまだ学生です。  毎日、退屈でうんざりしています。貧乏なのも困るけど、足が不自由なのも困ります。 毎日、簡単な仕事をするのだって誰かに助けてもらわなくちゃいけません。ほかの子と 外で遊びたいと思うけど、もうダメだし…」

タム・ローエン /対人地雷被害者(カンボジア)女性、23歳

  「私は9年前、14歳の時、地雷によって片足をなくしました。  私はプレアビヘア県の県都から1日の距離にある村で、家族と子ども時代を過ごしま した。…ある日私は、12人ほどの女性と隊列を組んで道を歩いていました。私は列の 最後尾でした。途中、道を横切るように木の枝が置いてあり、みんなはそれをまたいで 通っていました私がその枝を踏んづけた途端、その下にあった地雷が爆発しました。そ れから病院に連れて行かれたのですが、その後ことはよく覚えていません。3日後、私 の足は切断され、その後3ヶ月入院しました。  私はとても自分がみじめに思え、おびえていました。足が一本しかないのは村では私 だけだったので、自分は普通ではないのだと思っていました。そのため、実家に帰ってからは、家のなかに引きこもるようになりました。村の人たちに自分の姿を見られたく なかったのです…。  その後、あるグループから義足の提供を受け、ミシンを習ってみてはどうかと勧められました。…かれらはよく、「この仕事のおかげで自立した生活を送れるようになるし、 その収入でほかの障害者に義肢を提供したり、義肢を修理するのを助けることができる」と言っていました。私は足を失ったとき、私の人生は終わったと思いました。でも今、 再び歩けるようになりました。今度は私が、私と同じような他の障害者を助ける番です」

ハマユー・シデギー /対人地雷被害者(アフガニスタン)男性、24歳

  「私は24歳の男性です。TTCの14年を卒業しました。結婚しています。  ムジャヒディーン(反政府武装勢力)は首都カブールを占領すると、すぐに市内各地で互いに戦いはじめました。特にひどかったのが、私の親戚が住んでいた7区のチェル ソトーンでした。  1993年3月10日、武装各派が停戦を発表したとき、私は家を出て、親戚を迎えにチェルソトーンに向かいました。親戚が住んでいたところは戦闘の最前線でしたが、 最前線を越えていくのは私だけではありませんでした。多くの人が家族や親戚を連れてくるのに忙しかったのです。 私は、親戚を連れて前線を横切ろうとしたとき、突然、 強くて大きな爆発が起きて、私は宙に飛ばされました。そのとき私は地雷を踏んだのだと気づいたのです。」



<私たちにできること>

  地雷は世界中に広がる脅威だ。それは貧しい地域の一般市民、特に子どもや女性をおび やかす。日本の農村には地雷はないが、カンボジアでは農民の生命をおびやかしている。  この2年の間に、地球上から地雷を廃絶するための国際的な運動ができあがった。専門家 によれば、現在機能しているすべての地雷を完全に取り除くためには1100年以上かかるというが、これほど多くの罪のない子どもや若者が障害を受け、あるいは殺されるのをこれ以上、座視できない。  昨年のオタワ会議で50ヶ国以上の参加国が採択したオタワ宣言は、地雷全面禁止への政府レベルでの取り組みの第一歩だ。さらに、数多くの市民グループや国際機関が、地雷全面禁止を支持して活動しており、今年12月の対人地雷全面禁止条約批准をめざして各国政府に働きかけている。今が絶好の時だ。昨年末以来、外交・法律面での働きかけだけでなく、研究・出版活動やキャンペーン活動も盛り上がっている。また、地雷被害者のための募金活動もNGOなどの手で行われている。  NGO東京地雷会議の共同アピール(1997年3月9日)は日本政府に「現在保有している約百万個と言われる対人地雷を、可及的速やかに破壊する方針を明らかにし、今後対人地雷の新たな生産を停止し、その資金を地雷撤去作業や関連技術の開発、被害者への支援事業に使用」するよう求めている。  国際連合広報センター(東京)は、対人地雷に関する東京会議(政府会議)にあわせて『国際連合と地雷』という62ページのパンフレットを発行した。その56~57ページには、この問題解決のために私たちにできる具体的な方法が列挙してある。当イエズス会社会司牧センターも、JRS(イエズス会難民サーヴィス)がカンボジアの地雷被害者のために1991年以来運営している職業訓練センターと連絡をとっている。  当センターでは他の市民団体と協力しながら、カンボジアの地雷被害者を日本に呼んで講 演ツアーを行い、地雷問題に対する世論を喚起したいと考えている。特に、青年の教育に携わる機関と協力したいと願っているので、関心のある方はぜひご連絡いただきたい。
(安藤勇、イエズス会社会司牧センター職員)


<参考資料>
●『NGO東京地雷会議’97配布資料』1997年3月8日
●国際連合広報センター『国際連合と地雷』1997年3月
●Jef van Gerwen, S.J. “Antipersonnel Land  Mines: An Ethical Reflection”, Discovery  (Sep. 1995), Jesuit International Ministries

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