夢を生きるために目覚めること

ソク エン
イエズス会サービス・カンボジア、バンテイメンチェイ、コーディネーター

導入

ソクエンさん

ソクエンさん

  女子学生として、この世の束の間の幸せに夢中だったとき、父はいつも私に、夜には大きな夢を見、翌日、その夢を生きるために目覚めなさい、と教えてくれました。父は私に、貧しい人々のために世話することを勧め、人生の価値と美徳を教え、彼が述べたことを彼自身が生きた方法で私を啓発しました。私はできる限り彼を見ならってきました。1975年、生活は良く、幸せと自由の香りがどこの空気にも充満していたとき、悪魔のようなポルポトのクメール・ルージュが私の国を襲い、徹底的に破壊しました。私はダムを作るためにバンテイメンチェイ州のPhnum Srok郡にあるTropeang Thmorに移動させられました。私たちは動物以下の扱いを受けて、どんなことへも権利を奪われ、あらゆることへの自由が、はぎ取られました。正義、愛、憐れみ、そして平和は、死んでしまったようであり、どこにもありませんでした。私の両親、3人の姉妹と2人の兄弟はこの時期に餓死しました。私は世紀のこの人為的な悲惨の苦難と残酷さを生き延びました。
  私の妹はいつも、私たちが過ごした深い森の中で幽霊の夢を見ました。彼女は怖がりで、気の弱い性格でした。命を奪われるような夜に一体誰が夢を見ることができたでしょうか?誰も夢を見る余裕はありませんでした。しかし私は敢えて夢を見ました。敢えて自由を夢見ました。私は敢えて市民の幸せに価値を置く国家を望みました。私は敢えて、愛、平和、平等、そして正義を伝える教育を夢見ました。私は、私と共に歩み、働いてこられた神の存在を信じています。クメール・ルージュの混乱が終わったとき、私はタイにあるサイト2難民キャンプに移動しました。私はそこで夢を生きはじめました。イエズス会のジョン・ビンガム神父は、私に英語を教え、人生の単純な喜びにあふれていました。彼は私に、自己本位な目標を、よりよく他者の人生に関心を向けて、犠牲にすることを教えました。私はそのときどんな国であっても、教育が全体としての発展の唯一の鍵であるということを知りました。私は、子どもたちの教育を引き受けました。

教師のための研修会

教師のための研修会

状況
  1993年に本国に帰還後、イエズス会サービスに加わり、開発、車いす、教育、健康といった様々のプロジェクトを通して、私 2014年3月13日付けのカンボジア・デイリー新聞によると、「実用的に読み書きのできる人々は、カンボジアの成人人口の37%ほどということが調査で分かりました。残りの人々は、完全に、もしくは基本的には、読み書きができません。国連開発計画の人間開発報告書2000では、タイの識字率は95%、ベトナムは92.9%、そしてラオスは46.1%です」とあります。

経験
  私の経験では、読み書きの能力が、国の発展に強く影響を及ぼすということです。国の教育が改善されない限り、貧困の支配と残酷さは長く続くことになるでしょう。農民は勤勉に働き、彼らの田んぼで体力を使って汗をかきますが、金持ちは、農民が貧しく、時には死んだままで放っておいて、収穫の利益を受け取ります。私たちは、「牛銀行」「農業とサトウキビ生産のためのローン」といったプロジェクトを運営しています。私は、これらのプロジェクトで、貧しい人々や障がい者たちが自信をもち、幸せに暮らせるようになるのをみて、幸せです。Tuol Prasat村の農民Roth Saminさんは、イエズス会サービスに意見を求められたとき、「私はあなた方のプロジェクトのおかげで、今3頭の牛を飼い、毎年相当な利益を上げています。私が進むべきところが分からなかったとき、あなた方は歩むべき針路を示してくれました。そして、困難なときも幸せなときも、経済的にも気持ちの面でも支えてくれました。あなた方が私のためにしてくれたことにとても感謝しています」と言いました。
  教育は、国と国民の総合開発の鍵です。一教師として私は、学生たちの知識を深めるために、彼らに「感じること、そして味わうこと」を教えました。イエズス会サービス・バンテイメンチェイは教育プロジェクトを通して、よい教育を訴え、奨励し、促進しています。私たちはこれまでに、教育のニーズにあまり応えることができなかった村々に12の学校をつくり、13の移動図書館を開き、遠く離れた農村地域の高齢者と若者両方のために識字教育の授業を行い、親が地雷の被災者か貧しい学生たち100人以上に、毎年お金かコメか学用品を通して奨学金を提供してきました。私たちの学校は村人たちによって運営されています。教員たちの給与は政府に支払われています。もし教員たちが彼らの仕事に熱心でなければ、学生たちは何も学ばないでしょう。

振り返り

環境教育のため木を植え、育てる

環境教育のため木を植え、育てる

  古いことわざが言うように、「魚を彼に与えるよりも、魚の取り方を彼に教えなさい」ということを、私は苦労して学びました。私たちは村々で教育の促進にベストを尽くしてきました。奨学金を配布するとき、学生の進度をチェックするひと通りのテストがあります。私たちは学生に、暗記から経験に基づいた学習までを勧めます。私たちは、学生に環境を守ることを教えるために、学校の周りに木を植えます。彼らは各々、グループで一本の木の世話をします。私たちは定期的にその過程を評価し、彼らを励ますために、報奨として文房具を与えます。人びとの意識を喚起するために、「女性の日」「子どもの日」「環境の日」「地雷喚起の日」「障がい者の権利の日」「人権の日」などの事柄についてラジオを通して放送します。私たちは移動図書館を使って、村の年配者と同様、学生たちにも読書を勧めています。一年に一度、物語コンテストを行っています。学生たちは移動図書館で読んだ本から物語をひとつ選びます。彼らはその物語を記憶するだけでなく、きれいにそれらの物語の教訓を吸収するのです。これら全てのプロジェクトは長い期間運営されていて、期待される結果を生み出しています。

行動
  私たちの子どもたちには、物事をうまくやる能力があります。しかし、十分な設備がないため、もしくは、政府が教育を優先することに無関心なために、彼らの能力にたどり着くのに十分な手段がありません。それで私はイエズス会サービスを通して、小規模な方法で、私の国のためによりよい変化をもたらすよう、行動しています。私はイエズス会が世界中で教育を扱っている方法に感銘を受けています。今や彼らはカンボジアで教育事業を始めようとしていて、私はよい教育を受けられないたくさんの貧しい子どもたちが、新しくできる「ザビエル・イエズス会学校Xavier Jesuit School」を通して教育を受けるだろうと信じています。日本、オーストラリア、シンガポール、そして韓国からの恩人たちは、いつも私たちと共にいて、行く手が困難なときも、心配する必要がないということを私たちに思い出させてくれました。特に、「かんぼれん」は過去11年間、寛大さと親切さをもって、私たちを支援し続けています。
  私はシンガポールの教育省の綱領が好きです。というのもそれは私たちがカンボジアのここでやりたいタイプの教育をはっきりと説明しているからです。そこで言われているのは、「教育サービスの使命は、国の将来を作ることです。それは私たちの子どもたちにバランスのとれた教育を与え、彼らの可能性を十分に発展させ、彼らを家族、社会、国に対しての責任を自覚したよい市民へと育て上げることです」。(“Ministry of Education”,2010,para.2)

評価
  私は綱領に基づいた、イエズス会サービス・バンテイメンチェイの教育プロジェクトを高く評価しています。その綱領には次のように書いてあります。「カンボジア社会で、貧困を緩和し、教育を改善し、正しい人間関係を確立するという実行プログラムによって、貧しい人々の権利、福祉、尊厳を支持しながら、恵まれないコミュニティーと同伴し、活動すること」。私はいつも限りない満足と幸せを感じます。私はイエズス会サービスがカンボジアの総合的な成長を促進するフロンティアであることをはっきりと確信しています。

1.私たちは、教育に手が届かない村々に学校を建てました。私たちは教育の質を改善するため、定期的に村の指導者、教師、そして学校の生徒たちを動機付け、付き添ってきました。
2.私たちは、社会的に責任ある人間として学生たちの人格を確立するのと同様に、彼らの知識を高めるために、移動図書館を開きました。
3.私たちは、若い人の心の中に環境を守る意識を喚起するために、学校のキャンパスに植樹をします。
4.私たちは、社会もしくは家族の事情で、学校に行く余裕がない学生たちに奨学金を提供します。
5.私たちは、各自の権利の意識を喚起し、社会の不正の犠牲者と共感するために、重要な社会問題に関してラジオを通して、彼らの代弁者になっています。
6.私たちは、学生たちもしくは彼らの親が病気になったとき、病院で支援しています。私の経験では、私たちの支援を受ける人の多くは、彼らに財政的な支援をするよりも、苦しいときに彼らと共にいることを高く評価します。

  シソポンでのザビエル・イエズス会学校の開校で、社会を創造していく社会的責任感のある市民という豊かな収穫があるでしょう。即ち、その社会にはMeta(慈愛)、Karuna(憐れみ)、mudita(利他的もしくは共感的な喜び)、そしてupekkha(調和)といった4重の崇高な理想に基づいて、平和、正義、平等、そして全ての創造に向けられた生活の充実がもたらされるのです。総合的な成長は、道徳的に高潔な人間を促進するので、重要です。国家は、知識があっても道徳的価値を持たない国民をもつことはできません。道徳的価値は若いときから各人個別の内に教え込むべきで、これらの価値は私たちがどこに行くにしてもついてくるものなのです。それゆえ、学術的科目だけでなく、総合的教育もまた強調されることが最も重要なことです。

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