イエズス会ベトナム管区のソーシャル事務局 ~社会司牧サービスのためのアルベルト・ウルタドセンター~

マイケル タム SJ (AHC責任者、ベトナム)

 私たちはどのようにしてベトナム人イエズス会員の社会使徒職の歩みを語ったらいいでしょうか?私はスペイン人イエズス会員、Fernando Larranaga神父(1917-2013)の1975年からの話でもってはじめたいと思います。
1975年4月30日、ベトナム共産主義軍の戦車は、南ベトナムの大統領官邸の重たい門に衝突し、これを破壊しました。この時が、30年以上続いたベトナム戦争の終わりでした。北ベトナムと南ベトナムは一つの国に統合されました。それ以来、ベトナム全体は、新しい共産党政権のもとでの生活が続いています。
2 ベトナムで起きたことは、共産党が政府を維持していた時代の旧ソビエト連邦や中国で起きたことに似ています。南部の多くの人たちは刑務所や、強制労働のためにへき地に送られました。彼らは前政府の役人や軍人、そして多くのカトリックの司祭でした。新共産党政権は、彼らを重労働によって教育しなおす必要があると考えました。
 新政権はまた、カトリック教会やNGOによって実行されているいかなる奉仕活動をも怪しんでいます。新政権は、NGOに社会的な奉仕活動に参加してほしくなかったのです。
 ベトナム戦争以後の時代には、ベトナムはますます貧しくなっていきました。新ベトナム政権は共産主義同盟諸国から過去に受け取ってきたものを、返済しなければならなかったのです。そのとき、あるベトナム人司教がLarranaga神父にベトナムをサポートしてくれるよう頼みました。結果として、1984年、Larranaga神父は「ベトナムへの援助Aid to Vietnam」(ATV)という事務局を香港に開設し、彼は最初の責任者になりました。1994年、彼は事務局をマニラ(アテネオ・デ・マニラ大学の敷地内にあるソノラックスビルの中)に移し、そして名称を、JCEA(イエズス会東アジア管区長会議Jesuit Conference of East Asia)(*) 傘下の「ベトナムサービス事務局Vietnam Service Office」(VS)に変更しました。VSの目的は、孤立していたベトナムのイエズス会地区とイエズス会総長の架け橋になることと同様に、福音宣教、教育、社会開発という3つの主要分野のためのプロジェクトをサポートすることによって、ベトナムを支援することです。Larranaga神父は、ベトナムで多くの地域の小教区司祭とシスターたちとのネットワークを通して、社会活動を続けることができました。
(*)JCAP(Jesuit Conference of Asia Pacific)の旧名

 VSの仕事は、もう一人のスペイン人イエズス会員、Felipe Gómez神父(1996-2008)によって続けられました。Larranaga神父とGómez神父の目立たない長期間にわたる仕事は、大いに成果をあげました。多くのプロジェクトがベトナム中に行われました。たくさんの貧しい人たちはサポートを受け、彼らの生活は変わりました。2007年に、VSはベトナムへと移され、「社会司牧サービスのためのアルベルト・ウルタドセンターAlberto Hurtado Center for Social and Pastoral Service」(AHC)という新しい名称になりました。ベトナム人イエズス会員マイケル・タム神父(筆者)は、現在、Gómez神父の後任者です。
 ベトナム南部の多くの人たちと異なり、ホーチミン大司教区のPaul Nguyen Van Binh故大司教は、1975年4月の出来事は、ベトナムカトリック教会を、以前の富(多くの学校、病院、多くの社会センター)から浄化した、という見方をしました。ベトナム南部のカトリック教会が事実上、ほとんど全ての財産を失ってしまったとき、教会はより霊的になり、そして何よりも誰よりもまして神様を頼りにしたのです。さらには、ベトナム南部が共産主義者によって解放されたとき(共産主義者たちはいつもそのように言います)、ベトナムのカトリック信徒は、共産主義者や彼らの無神論的な考えと対話する機会が与えられました。そして、ベトナムカトリック教会の社会奉仕活動は成果を上げながら続けられたのです。
 1980年後、若いベトナムのイエズス会地区はキリストの苦悩を経験し始めました。つまり、全ての外国人イエズス会員はベトナムから追放され、ほとんどの若いイエズス会司祭たちは牢獄に入れられ、全てのイエズス会の建物は差し押さえられ、そして若い神学生は養成施設も、養成の指導者もなくしてしまったのです。ベトナムのイエズス会地区は2005年まではアンダーグラウンド化しましたが、ついに2007年、イエズス会の中で最も若い管区であるとみなされました。今では、神様はベトナム管区に大変多くの召出しを与えてくださいます。現在、ベトナム人イエズス会員の数は197人ですが、その5分の4は、養成期間中なのです。
 2007年にマニラからサイゴンへ住所を移したAHCは現在、多かれ少なかれ、Gómez神父の時代と同じ社会活動をしていま3す。大変多くの若いイエズス会員を抱えているベトナム管区は、優先的に彼らの養成を行っています。それにも関わらず、AHCに常駐しているイエズス会員の数は二人だけです。一人の司祭と一人の中間期生です。このようなヒューマンパワーを欠いた状況の中で、AHCは現実的には、寄付者とベトナム人司祭と社会開発のプロジェクトを実行しているシスターたちとの架け橋になることを引き受けねばならないのです。社会開発の多くのプロジェクトにおいて他の人たちと共に働くことは、今では、AHCの一つの強みです。
 AHCが始めた一つの新しい活動は、ソーシャルワーク、社会開発、そして社会正義の喚起に関するワークショップセミナーを組織することです。AHCはカリタスベトナムや他の修道者や司祭とのネットワークと連携して活動しています。このような協力関係は、単にヒューマンパワーの欠如という理由だけでなく、最新のイエズス会総会の教令(第34回総会「一般信徒との協力」、第35回総会「ミッションの核心における協働」)に応えるためでもあるのです。
 Larranaga神父とGómez神父がされた前の仕事は、ベトナムで続けられるべきです。イエズス会ベトナム管区の社会使徒職の歩みは、他のベトナム人イエズス会員からもまた伝えていく必要があります。AHCはより多くの若いベトナム人イエズス会員が基礎的養成を終えるまで、持ち堪えなければなりません。他方で、他の管区のイエズス会員や他の人たちとの協力関係は、AHCにとっては、現実的な事柄ipso factoなのです。

どうぞ遠慮せずに私にいつでもご連絡ください。AHCの仕事に関心を持っていただきまして感謝いたします。

e-mail:mitasj@yahoo.com

 

Comments are closed.