<インタビュー>  「四ッ谷おにぎり仲間」に参加して
-ブラザー・シケ、ブラザー薬袋-
 カトリック麹町(聖イグナチオ)教会に、野宿者の支援グループ「四ッ谷おにぎり仲間」が誕生したのは2000年の復活祭でした。以来、毎週土曜日のおにぎり作成と野宿者の訪問、毎週月曜の福祉班による生活相談、面会班が随時おこなう病院や施設、アパートの訪問など、四ッ谷・日比谷公園・東京駅周辺の野宿者に幅広い支援活動をおこなってきました(『社会司牧通信』103号、2001年7月を参照)。
 この活動に関わってきた二人のイエズス会員、ブラザー・シケとブラザー薬袋(みない)にお話をうかがいました。ブラザー・シケはスペインから1958年に来日、労働司牧の活動などを経て、現在は会員の健康管理を担当しています。ブラザー薬袋は社会人を経て83年に入会。ながく管区の会計の仕事をしてきました。

(インタビューは2004年3月11日、四谷・SJハウスで。聞き手・文章化は、イエズス会社会司牧センターの柴田幸範)

Q はじめに「おにぎり仲間」に参加するようになったきっかけをうかがいます。シケさんは最初から参加なさっていたんですよね
 4年前に「おにぎり仲間」がはじまったときに、(創立メンバーの)岩田さんと酒井さんがここ(SJハウス)に来て、「柴田さんから名前を聞きました。これから、活動をはじめるので、参加してください」と言いました。だから、あなた(柴田)のおかげです。
 テレビのコメンテーターが、英米による対イラク戦争の反動で、「イスラム教テロリストの攻撃」は今後、増加するだろうと解説する後ろには、野外モスクでターバン・長衣姿で祈るイスラム教徒の映像が流れていた。
私はシケさんの影響で、去年の6月からはじめました。まだ(活動歴は)若いです。会計の細かい仕事をしていて、(イグナチオ)教会の手伝いを全然していなかったので、何かお手伝いしたかった。そう思っていたときに、シケさんからおにぎり仲間の話を聞いて、特に貧しい人に興味があったので、行ってみることにしました。

Q 毎週土曜日の訪問班の活動に参加しているるそうですが、どれくらいの頻度ですか?
1ヶ月4週のうち、3、4回は参加していました。最近は忙しくて、2回ほどです。
私は病人の世話をしていますから、毎土曜日は参加できませんが、できるだけ参加するようにしています。場所も四ッ谷の近くだけです。それから、第3か第4の土曜日に銀座で、ボランティアのお医者さんが来て、健康相談をします。時によってちがいますが、15人から20人くらいのホームレスの人が来ます。私は車で机とイスを運んで、終わったら持って帰ります。あるいは、雨が降る日は、車でおにぎりやお茶を集合場所の数寄屋橋まで運んで、そこから4つのグループが分けて持っていきます。
全部で5つのグループがあって、1つは四ッ谷から駅のまわり。あとの4つは銀座の数寄屋橋から出発して、1つは東京フォーラムを通って東京駅。それから、日比谷公園に2つのグループが行きます。あとの1つは、銀座一丁目から昭和通りを越えて、弾正橋まで。いずれも東京駅に集まります。その日のリーダーによって、「あなたはこっち」というふうに振り分けられますから、5つのグループどれも経験しています。

Q 夜6時に出発して何時に終わるんですか?
電車で運んだり、雨の日はシケさんに車で運んでもらったおにぎりやお茶、野宿者の方に配る通信、歯ブラシなどの日用品を、6時半に数寄屋橋で分けるでしょう。それで、各グループが配り終わって東京駅八重洲口に集まるのは、だいたい8時過ぎです。そこで休んで、9時から八重洲口や丸の内口の人たちに配りはじめます。
 なぜ9時まで待つかというと、それまで野宿の人が駅に入れないんだそうです。それは駅の都合で、だいたい9時過ぎから午前1時頃まで構内に入れるんですが、また1時を過ぎたら外に出されてしまう。それで、朝の4時か5時頃にまた入れる。一番寒い時間に閉め出されてしまうので、大変きびしいんですね。
 その後、集まって話し合いをして、終わるのが10時過ぎですから、ここに帰ってくるのは10時半から11時前です。

Q 一晩で何人くらいの方と話しますか?
おにぎりの数でいうと、だいたい、1回で300個くらい作るんです。お米は21キロくらいだそうです。それで足りないときもあるし、雨が降ったりすると余ることもあります。

地下道や他のところに移るようです。
 渡すときには、「体の具合はどうですか」とか「仕事はどうですか」とか、いろいろ話しかけます。それで、具合の悪い人とか仕事をしたい人などは、月曜の朝8時半に東京駅の丸の内側で待ち合わせて、ボランティアの人と一緒に福祉事務所などに行かれます。あとは、「何か必要なものはありませんか」と聞いて、次の時に持っていきます。ないといけないから、確約はしません。でも、できるだけ希望に添うように、歯ブラシとかカミソリなどを持っていきます。

Q 話しかけてすぐ、相談を持ちかけてくるようにはならないですよね。
初対面の人からは少ないようです。何回か繰り返して、ある程度知り合いになってからでしょうね。
2年前かな、四ッ谷の近所に野宿している人が2人、おにぎり配りに参加したいと言ってきて、一緒に行きました。そのとき、1人が言っていたのは、「皆さんは、おにぎりとか日用品とか、通信とか、いろんなものを配ってくれてありがたい。でも、一番ありがたいのは、いつも同じ人が来てくれるので、私たちは安心して、自分の本当の名前を打ち明けることができる。それを一番感謝しています」と言っていました。
 さっき薬袋さんが言ったように、月曜の朝8時半に、東京駅に福祉班が行って、住まいのことだとか、病院を紹介したりとか、相談にのります。それには書類が必要ですが、だいたい野宿の人は書類に弱い。だから手伝います。福祉事務所は今は変わったみたいですが、以前は、どちらかというと野宿の人たちに冷たかった。だからボランティアの人たちは、福祉事務所への手続きとか、いろんなことを手伝います。野宿者にとって、日本社会が彼らを無視して差別しているなかで、ボランティアの人たちは一人ひとりに積極的に関わってくれる。それが非常にうれしいということです。
 一般の人にとって、野宿者の人と会うのは、最初は怖いです。汚いし、心配です。それは、どこの国でも同じです。でも、接触していくと、何かをあげる以上に、こちらが変わってきます。少なくとも、私は変わってきました。よく、「こういう(野宿の)人は怠け者だから」という声を聞く。非常に軽い判断です。私たちは無意識に野宿の人たちを怖がる。直接・間接に私たちのセキュリティが危なくなるから。でも、これは本当の福音からの声じゃないでしょ。
 だから、私は「おにぎり仲間」の活動に感謝したい。野宿の人たちと接触する前と、今とでは、やっぱり違いますよ。それは、おにぎりのボランティアの人たち、いろんな人からも聞きました。

Q ボランティアは若い人が多いそうですが?
大学生や高校生、社会人も若い人がいますが、総体的には社会人が多いです。

奥さんも多い。ご主人たちもいる。時々聞かれるのは、「私に何ができるでしょうか」。一人ずつ小さなこと、それが集まって大きなことになる。
 それから、時々、「こんなことは教会の仕事じゃない」と言う人もいます。ちょっと待ってください。キリストは、おなかが減っている人、のどが渇いている人、服のない人にどうしなさいと言っていますか。キリストが今、ここにいたら、何をしますか。
 でも、私たちがホームレスの人のところに行くとき、どのような態度、姿勢で行くのか。好奇心からではなく、同じ人として尊敬すること。これが大事なことです。
 2年前、スペインから2人の新聞記者が来た。「おにぎり仲間」のことを聞いて、一緒に四ッ谷の近くに行きました。新聞記者ですから、野宿している人に、何という名前なのか、どうしてここに来たのか、いろいろ聞きたがった。だから私は言いました。「私たちは、絶対そういうことは聞きません。それは、その人のプライバシーです」
 その点で、薬袋さんも含めて、ボランティアの人たちはみんな、上からでなく、当たり前の姿勢で話しかけます。これは大事なことです。ホームレスの人たちと接して、いろいろ学びます。「ホームレスは怠け者だ」と言います。でも、一人ひとりのホームレスに、どんな歴史があったでしょう。同じことが私たちに起こったら、どうするでしょう。考えさせられます。
Q 薬袋さんは、そういう風に野宿の人に話しかけることに、簡単に入っていけましたか?
訪問グループは5つあって、その一つひとつに必ず男性が1人と、あとは2人ないし3人の女性が入ります。男性が入るというのは、何かあったときに女性だけだと危険だと思います。それで、グループに1人リーダーが決まるんですが、私はお願いして、1年間、「兵隊」にしてもらっています。

1年はまず見て、勉強して、それから後のことを考えようと思っているから、しばらくはリュックサックでおにぎりを運んだり、そういうことをしよう思っています。
 もちろん話はします。お天気のことととか、そういう日常的なことから入っていきますが、一つは、野宿者の方はみんなもう休んでますね。先ほど言ったように、(駅から)追い出される人は、そこにいられる間に一生懸命寝てるんですね。だから、その場の雰囲気によっては、長い話はしません。もし、話をしたいなら、相手の方から話しかけてきます。その点、参加しているボランティアのなかでは、女性の方は非常に上手に応対していて、みならうべきだと思いました。
 それから通信があります。毎週「こんなことがありました」というのを印刷物にして、おにぎりと一緒に配ってるんです。「困っている人は月曜朝8時半に丸の内北口に集まってください」とか、書いてあるんですね。あれは役に立つと思います。
 でも、圧倒的に入所希望者が多いね。逆に言えば、それぞれの区が持っている入所施設が少ないということでしょうね。
もう一つ、この活動は信者とそうでない人と比べると、信者でない人の方が多いか、半分半分ですね。そうすると、そういうことでいいかどうか、と言う人もいます。でも、いいかどうかではなくて、公教要理を教えるよりも、実際にキリストがやっていたことを味わうのは、信者になるかどうかは別にして、大事なことでしょう。

Q 活動のなかでは、キリスト教のことは一切言わないんですか。
言いません。つとめて言わないようにしていると、私は理解しています。野宿の人に配る通信にも、連絡先としてイグナチオ教会の名前は出してはいませんね。それとなく匂わせてはいますが。それから、つい先日も経験したんですが、野宿の人におにぎりとかを配っていたときに、気づかなかったんですが、すぐそばに警察官がいたんですね。それに気がついて、警察官がこちらを見ているから、近づいていって、私たちの立場を説明したんです。最終的には納得されたようですが。そういうときに、ここの教会の名前を出すと、相手の方が安心されるようですね。
四ッ谷の近くで、野宿の人が1人、死にかけていたことがありまた。それで、私と岩田さんが行ったんですが、救急車を呼ぶのは、たびたび難しい。そこで、私はすぐ交番に行きました。それで、お巡りさんが救急車を頼んでくれて、すぐ来ました。そのとき、自分からは言わなかったけれども、「教会の人ですか」と言われて、「はいそうです」と答えました。
 こういう(野宿者の)問題が増えています。もちろん、他の国も同じです。でも、日本で、ホームレスの人がますます増えている。私たちは、まず第一に、クリスチャンである前に人間として、この人たちにどう応えるか、日本の人に考えさせることが必要です、直接に教えるのではなくて。ホームレスの人たちに、「私は関係ない」ではなくて、何とか応えなければならない。
 実際に15年前を考えれば、日本に(おにぎり仲間のような)小さいグループはなかった。渋谷、新宿、六本木などのホームレスに接触しているグループは、こういう小さなグループから大きくなっていきました。私たち一人ひとりは忙しい、けれどもできる時間だけ手伝って、それが集まれば大きな力になる。

Q センターでやっているベトナム支援のグループに、中学生が話を聞きにやってきます。彼らが興味を持っているのは、ベトナムのストリート・チルドレンです。でも、自分たちとあまりに生活が違いすぎて、説明してもピンと来ない。だから、「皆さんの町にホームレスの人はいませんか」と聞くと、「見たことはある」という。「ベトナムのストリート・チルドレンのことを勉強するのは難しいでしょうが、自分の町のホームレスのことを勉強するのは、それほど難しくないでしょう。1人で話を聞きに行けとはいわないけれども、パトロールとか参加する機会があったら、行ってみてください」と言っています。
高校生が母親と一緒に説明会に来て、訪問について回ることもあります。ずっと続くとは限らないんですが、そういう実践の機会も提供しているんですね。


出発前に各グループのリーダーが、はじめて来た人とか若い人に説明します。何も説明しないのと、説明するのとでは全然違いますす。でも、はじめて来た人や若い人たちは、すぐに何か役に立とうというのではなくて、自然に野宿の人たちに接触していた。そして、自分で何か考えさせられる。それ、大事なことです。

Q 日本のイエズス会で、「社会司牧の大切さは分かる。でも貧しい人とは誰なのか、よく見えない」という声があると聞いています。その点、こういう活動は、特別に負担が大きいわけでもないし、特殊な技術が要求されるわけでもないので、非常にいい実践の機会だと思うんですけれども。
アルペ神父様の有名な言葉を絶対に忘れません。「イエズス会員は、誰と接触しているかによって考え方が変わる」。難民キャンプでのイエズス会の活動は、アルペ神父がはじめたんですね。実際、そういう活動をすることによって、イエズス会の考え方が変わりました。私にとって、ホームレスは同じことです。
前から思っていたことですが、中高や大学で1ヶ月とか実習の期間があるといいと思うんですね。それで、社会と接触して触発されれば、学生さんたちの物の見方も変わると思うんです。やっぱり、そういう考え方の転換点になるようなきっかけを提供するのは大切だと思います。
「おにぎり仲間」でも、教会の活動として認められるまでには、いろいろあったようですが、今ではかなり、一般の信者さんたちは、よく理解していると思います。月に1回、最初の土曜日と日曜日にお米などの寄付を受け付けていますが、いろんな人が寄付してくれます。
Q みんな何かしたい、何かしなきゃいけないと思っているんですね。こんなことができます、と示してさしあげれば、結構やってくださる。

それは教会だけではないと思います。社会もそうだし、学校もそうだと思いますね。私は先に話しましたように、1年間は「兵隊」として勉強するつもりです。それで、できることから少しずつということと、(野宿の方と)同じ目の高さでやっていくことを心がけて、続けていこうと思っています。
日本に来て間もない頃、建設会社でしばらく働いたことがありました。そのとき、いっしょに働いていた人たちから、体の使い方、体を大切にしなさいよということを勉強しました。彼らは食べるために働いてますから、ケガとか病気をしたら食べられないです。だから、私はそれまで大きなことを言っていたのが、低く低くなりました。あまりしゃべらないで、黙って働くようになりました。労働者の人たちからたくさんのことを学んだ。今も、野宿の人たちからたくさん学んでます。



今日はどうもありがとうございました。