jubi555.gif ジュビリー2000 国際会議
安藤 勇(イエズス会社会司牧センター)

 今年初め、小渕前首相が、G7サミットの開催地を沖縄にすると発表したとき、最初は誰もがびっくりした。沖縄は今もなお、サミットの主要メンバーである日米両国にとって、デリケートな問題となっているからである。小渕前首相の死去後、政府を引き継いだ森政権は、サミットの海外ゲストに、沖縄の豊かな文化を紹介しようと懸命だった。一方で、クリントン米大統領の“遅刻”は、サミットが最高の外交交渉の場ではないことを印象づけた。
 九州・沖縄サミット-800億円をかけた政治ショー-は、単なる国際的な花火大会にすぎなかった。サミットの公式声明は、IT(情報技術)革命と、国際金融機関のリストラに向けたさらなる努力について語っている。また、世界の貧困-重債務最貧国(HIPCs)-やエイズの蔓延といった深刻な問題についても改めて言及している。
 2万2千人にのぼる警察官を派遣しての厳しい警備は、沖縄の人々にパワー・ポリティクス(力による政治)の現実を知らしめた。
ジュビリー2000・イン・オキナワ
 G7の3日前、海外29ヶ国を含むNGO40団体の300人が那覇市に集まって、ジュビリー2000沖縄国際会議が開催された。会議の目的は、貧しい人々の声をG7首脳の耳に届け、彼らが昨年のケルン・サミットの公約を守って、2000年中に最も貧しい国々の債務を帳消しするように圧力をかけることであった。
 G7サミットに集まった豊かな国々の首脳と対峙する、こうしたNGOの国際会議は、沖縄では珍しかった。ジュビリー2000キャンペーンは地元沖縄のテレビや新聞などで大きく取り上げられ、キャンペーンの主張が重要で、時宜にかなっていることが証明された。2万7千人が参加して「人間の鎖」による嘉手納基地の封鎖が行われた時も、100を超えるNGOの一つとして参加したジュビリー2000は、テレビや新聞の取材陣から注目を集めた。基地封鎖に参加するジュビリーは、反戦運動と貧しい人々の基本的人権を守る運動との、新しい協力関係の象徴だった。
 ジュビリー2000日本実行委員会の3人の代表の一人である白柳誠一枢機卿が開会挨拶で述べたように、ジュビリー2000における世界規模の市民の連帯は、よりよい人間社会を築く責任が、政府だけでなく市民にもあるということを示しているのだ。
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世界の貧しい人々への関心こそ、明るい未来への希望を開くのだ。
 いくつかのアフリカの国々やジュビリー国際キャンペーンからの報告は、子どもたちの栄養不良、基礎教育や保健衛生の絶対的な不足といった、債務問題の暗い側面を示した。アフリカや他の南の国々では、累積債務の返済が強制されることで、貧困が激化しているのだ。国連の統計では、返済不能な債務の重荷を負う南の国々で、栄養失調や予防可能な病気によって、毎日1万9千人の子どもが死んでいる。G7首脳が過去のサミットでの決定を実行する意志さえあれば、債務問題は解決する。ジュビリー2000は7月22日のプレスリリースで、「G7サミットの開催には7億5000万ドルを要したと言われている。この金額は、ガイアナ、ルアンダ、ラオス、ザンビア、ベニン、カンボジア、ニカラグア、ハイチの年間債務返済額に相当する」と指摘している。
 とはいえ、ジュビリー国際会議は希望に満ちていた。参加者はみな、世界システム全体に大きな変化が求められており、そうした変化は実現可能であると確信していた。各国政府は、市民との協力なくしては変化を実現できないだろう。官僚だけでは必要な変化をもたらすことはできない。世界レベルでは、南の債務国自身が債務交渉に参加する事が不可欠だ。債務問題は貧困問題の核心である。貧困の撲滅こそ、来る21世紀の主要なテーマの一つである。
 G7サミット直前に開かれたジュビリー国際会議は、明確な目的を持っていた。G7首脳が昨年のケルン・サミットでの公約に関してとった行動を監視することだ。また、ジュビリー2000はG7に対して、2000年中に貧しい国々の債務を帳消しするようにという明確なメッセージを送った。ジュビリー2000日本実行委員会の4人の代表は、沖縄サミットのホストである森首相と40分間面談して、同会議の「G7首脳に対する要請書」を手渡した。
 ジュビリー国際会議は、単に会議で意見交換したり、今後の戦略を定める文書を起草したりするだけではなかった。ある晩、沖縄教区のカテドラルに集まった参加者たちは、エキュメニカルな雰囲気の中で共に祈り、分かち合った。また2度にわたって那覇市内でデモも行った。さらに、前述のように、那覇からバスで45分かけて、嘉手納基地を封鎖する「人間の鎖」にも参加した。
 テレビや新聞がジュビリーを大きく取り上げてくれたおかけで、債務問題の深刻さは広く知られるようになった。日本政府も他の国々の政府も、債務帳消しのメッセージを受け取ったにもかかわらず、あえて言及を避けた。昨年のケルン・サミット以降、新たに債務帳消しを受けた国は一国もないにもかかわらず、G7の声明は「進展が見られた」と言い放っている。
 ジュビリー2000国際会議の議長、北沢洋子氏が、G7声明を受けてのプレスリリースで述べているように、「われわれは憤っている。G7の首脳は1年以上前にケルンで行った約束から後退してしまった」。
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債務帳消しを妨げるもの
 IMF/世界銀行は、数年来の世論の批判の高まりを受けて、1996年に「HIPCイニシアティブ」と呼ばれるものを策定した。こんにち、最も包括的な債務救済プログラムは、このHIPC(重債務最貧国)イニシアティブである。このHIPCの策定は重要な一歩だった。だが、HIPCイニシアティブは「あまりに時間がかかる割に、あまりに救済額が少ない」うえに、悪名高い「構造調整プログラム」と結びついているとして、多方面から批判された。にもかかわらず、過去3回のサミットはHIPCに基づいて債務救済を決定している。
 IMF/世界銀行は、そうした批判に応えて、1998年、HIPCの改善に向けた意見聴取を行った。そして、1999年9月、IMF/世界銀行は「拡大HIPCイニシアティブ」を発表した。これが、沖縄に集まったG7首脳の債務救済に関する議論の土台となった。たが、債務の「持続可能性」(たとえば、債務国のGDPの何パーセント以上の債務を帳消しにするかといった基準)は依然、債務国の人間開発の諸要求よりも、債権国の「コスト」によって決められている。HIPCイニシアティブは依然として、十分とはいえない。7月21日付の、ジュビリー2000の「G7首脳に対する要望書」は、HIPCイニシアティブを拒絶している。「“より早い、より深い、より広い”債務救済であると言われた拡大HIPCイニシアティブは、事実は、債務帳消しを遅らせる手段でしかありませんでした。それゆえ、私たちは構造調整プログラムをともなうHIPCイニシアティブ、拡大HIPCイニシアティブのいずれも、債務と貧困問題の解決の枠組みとして、認めることはできません」
 重債務最貧国の危機の解決を探るために、さまざまの重要な動きがあった。「貧困削減成長ファシリティ」(PRGF)といった新しい用語も生まれている。だが、私たちの世界から貧困を撲滅するためには、市民社会-特に債務国の市民社会からの広範な代表が、完全な形で参加することが絶対に必要である。市民社会は、債務帳消しのプロセスの企画、実施、モニター、評価まで参加しなければならない(G7首脳に対する要請書)。
 ジュビリー2000沖縄国際会議は貧困の撲滅のための長期計画を議論したが、プラハで開かれる次回のIMF/世界銀行の年次総会や、国連のミレニアム・サミットといった近い将来の機会も有効に利用する予定である。


JUBILEE 2000国際会議の会議風景
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JUBILEE 2000国際会議の会議風景
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