社会司牧通信  No 91 99/8/15

   私はAJ-日本で働くフィリピーナ-


  私のことはAJと呼んでください。みんなその名前で呼んでます。本名じゃないけど。私は日本に来たフィリピーナ(フィリピン女性)のエンターテイナーの代表みたいなものです。他の多くのフィリピーナと同じく、私もフィリピンの信心深い家族に生まれ、一流大学を卒業し、結婚して妻となり母となって、フィリピンで暮らしていました。

  私の仕事は簡単なものといっていいでしょう。夜の8時から始まって、朝の3時に終わります。7時間の間、私はホステスとして、日本人の客に水割りを作り、うまくない日本語で会話をし、歌い、踊り、楽しませます。4年の間に、ホステスの仕事がすっかり身についてしまいました。

 私はとても疲れています。相手をするお客さんによっては、うんざりしたり、いらいらしたり、腹の立つこともあります。

唯一の慰めは、お給料がいいことです。私はこの仕事の仕方を習ってきて、力を入れてやっています。食べるためには仕方のないことです。フィリピンに残してきた家族を養わなくてはいけないんですから。

 日本に長くいたいとは思いません。2年後に、フィリピンに帰ろうと計画しています。一日中、私の心は100%、家族と一緒に暮らすことばかり考えています。家族がいるから、私は日本でも強い心でいられるのですが、家族と離れている寂しさにくじけそうになることもあります。家族の誰かが病気だと聞いたときなど、良心が痛みます。私は母親です。子どもの面倒を見なければならないのです。

 ともかく、私は根っから明るい人間です。私はいつも、物事を明るく見ようと努めていますし、どうしようもなく寂しいときにはカトリックの要理が助けてくれます。どんなときにも、「神様は、私たちが耐えられないほどの試練をお与えにならない」と考えています。神様は、私たちがよりよい人間になれるように、試練をお与えになるのです。

 私は毎日曜日、ミサにあずかり、一週間のお恵みを感謝して、来週もまた祝福してくださるようにとおねがいします。ミサは、一週間の労働の緊張を解く時間でもあります。教会ではたくさんの友人に会えます。問題を抱えているのは私だけではないことに気づくのは、興味深いことです。経済的に困っているとこぼす人もいれば、健康に問題のある人、家族関係の問題や夫婦間の行き違いに悩む人もいます。ときには、私が彼らの不満の聞き役になることもあります。慰めたり、アドバイスをしたりすることもありますが、何よりもまず、相手の話を聞こうとします。私が分かってきたことは、日本では誰でも、こんなにたくさんのものを手に入れることができるのに、みんな孤独だということです。そして、さまよえる魂にとって、ただそばにいて、耳を傾け、友だちでいてあげることは、とても大きな意味を持つのです。

 2年後には、私にとって日本は単なる思い出に過ぎなくなるでしょう。私が今体験している仕事、天気、食べ物、美しい風景は、私の生きるための闘いの1ページに過ぎなくなるでしょう。

今のところ、私は残り少ない日本滞在で、ベストを尽くそうと思っています。仕事には満足しているし、みんなをハッピーにしようとがんばっています。友だちはこれまでにもたくさんできたし、これからも新しい友だちをつくりたい。一方で、フィリピンの家族に電話したり、できるだけたくさん里帰りして、私の弱点を何とか克服したいと思います。

 これからの暮らしも楽ではないと承知していますが、神が私に与えられた運命を受け入れて、神が私に与えてくださった特別ないのちに感謝し、神を讃えるだけです。