光延 一郎 SJ
イエズス会社会司牧センター前所長
社会司牧センターの所長に私が任命されたのは、2010年だったと思います。センターが、それまで所在した新宿区河田町から麹町の岐部ホールに移転してきた時でした。上智大学神学部の仕事との二股で、思うようにセンターの活動に集中できなかったのは少し心残りですが、自分としては、こうして常に社会的な次元を意識してきたことは、神学研究教育の視野を広めるためにも良いことだったと思っています。
それよりも、この度この記事を書くに当たって、私が「二代目所長」だったことを知り、軽い驚きを覚えました。社会司牧センターの開設は1981年ですので、岐部ホールに移るまでの約30年間、所長がずっと安藤勇神父だったことに驚くわけです。私が「社会使徒職」に参加し始めた頃、それはすでにイエズス会において当然の活動分野でした。1975年の第32総会議で「正義の促進と信仰への奉仕」という目標を定め、「社会使徒職」が現代イエズス会のミッションの両輪であることは知っていました。けれども、その大きな建前を実行する具体的な場は、新宿の住宅街の小さな家で、ごく少数の会員と協力者が集まり、目立たずこつこつ働いてきた30年間の日々の積み重ねだったということに気づかされたのが、その驚きでした。
今でも社会司牧センターの活動は、看板は立派でも、予算、人員、活動も、この日本と世界の社会問題の大嵐や巨悪の前では全くささやかなものです。それでも、スタッフのフィールドを思い出してみれば、移民・移住・難民、グローバル経済と貧困、歴史認識と平和形成、現代人の心の悩み、いのちと死刑、労働・医療・人権、エコロジーなど、現代社会の重大な問題には目を注いでおり、しかもそれらに霊的な視点から向き合おうとしています。
私が「社会使徒職」にかかわり始めたのは、2006年頃、第一次安倍政権が「教育基本法」を変えようとしたのに対して、教育にたずさわる者として義憤を覚えたことがきっかけでした。それ以来「平和」やイエス・キリストの「神の国」について神学的に考えながら、改憲問題や脱原発、歴史認識と隣国との関係の諸問題にかかわってきました。とはいえ、…私の大学の研究室のドアには「私は教育基本法改悪に反対です。2006年12月」と張り紙がしてあるのですが、この10年以上の間、このメッセージについて弾圧もなかったけれど、賛否の意見を言ってくる学生も教員も皆無でして、それには複雑な気持ちを禁じ得ません…。
現政権は今また、2006年の「教育基本法」の時と同じように「秘密保護法」、集団的自衛権を実行するための「安保法」、また「共謀罪法」を強行採決し、そして本丸である憲法9条を変える野望に突っ走っています。この平和を脅かす「宿敵」に対する私のたたかいはまだまだ続きそうです。
教会においては、人々はこういう問題には口を閉ざし、発言してまわりから目立つことを避けるようです。「教会になぜ政治や社会問題を持ち込むのか。教会は霊的な祈りの場ではないか」との声もいまだに根強いです。「祈る場としての教会」はもちろん基本ですが、そこで祈っているだけがキリスト教かというと、それは足りないでしょう。
教皇フランシスコが「さまざまなことが、本質をめぐってそれぞれつながり合い、影響し合っている」という意味の「インテグラル」という言葉を大事にし、私たちが「創造・環境との関係」「神との関係」「人間相互の社会関係」そして「私自身との関係」を和解につなげることを勧めるのですから、「『愛によって働く信仰』、信仰と正義は、私たちの目的、行動、生活の中で不可分のものである」(第32総会議教令18項)は、これからも私の巡礼の最終目標だと思っています。