[書評]『 友だち地獄 』【社会司牧通信152号】 |
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私には20歳と18歳の息子がいる。二人の性格は対照的だ。上の子は夢想家でマイペース、下の子は現実的で他人に気を使うタイプだ。その下の子と、ある夜、話しこんでいるうちに、人間関係についての彼の考えがどうにも理解できなくて、頭を抱え込んでしまった。その時、息子に「この本を読めば、少しは分かるんじゃない?」と言われて読んでみたのが本書だ。 本書の副題は「『空気を読む』世代のサバイバル」。誰からも傷つけられたくないし、誰も傷つけたくない。孤立したくはないが、重たすぎる関係は持ちたくない。自己主張はしたくないが、無視されるのもいやだ。そんな難しい人間関係を生きる、現代の若者たちの姿を描いている。 |
著者によれば、その原因の一つは、いわゆる「個性化教育」にある。それまでは、「すべての子どもの学力を伸ばす」ことが学校教育の目標だったが、1980年代に入って、日本の教育政策は「個性の重視」「生きる力」「考える力」など、明確な基準のない目標を掲げるようになった。子どもたちは「自分の潜在的な可能性や適性を自らが主体的に発見し、それぞれの個性に応じてそれらを伸ばすように求められる。言い換えれば、1980年代以降の子どもたちは、自分で自分の価値観を作り上げなければならなくなった」。それが、子どもたちの人間関係を混沌としたものに変えてしまった-というのだ。 それは、子どもだけの話ではなく、大人の世界でも同じだ。首相に求められるのは「キャッチフレーズ」のわかりやすさだけで、政治哲学など何もない。見識も持たない経済界のトップが、教育や政治に口を出す。庶民はと言えば、お笑いだグルメだエステだと、その場その場を楽しむことばかり。そこには、議論に耐えうる価値観など何もない。いい年をした大人まで、「本当の自分はこんなものじゃない」と、何歳になっても「自分さがし」に忙しい。かくして、「最近の若者は何を考えているのか…」と嘆くばかりで、子どもの現実を見て、導こうとなどしていないのではないか(私自身も含めて、だが)。
<社会司牧センター柴田幸範>
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