[書評]『近代日本の右翼思想』 【社会司牧通信149号】

 
  『近代日本の右翼思想』
片山杜秀/講談社選書メチエ/2007年/1500円+税
 「右と左」という言葉にイデオロギー的意味合いが込められるようになったのは、フランス革命の時代だと言われる。革命期の議会で、議長席から見て右側に王党派が、左側に共和派が陣取ったことから、「右翼=保守派」「左翼=革新派」と言われるようになった。
 では、「右と左」のどちらが正しいのか? 日本では昔、「左大臣」の方が「右大臣」より偉かった。一方、ベトナム語で「右」は「正しい」という意味があり、「左」は「間違った、逆の」という意味がある。人間社会は元々、「右と左」に特別な意味を持たせてきたようだ。
 本書は、政治思想史を研究する若い学者(1964年生まれ)が、日本の右翼思想について、外から批判するのではなく、そこに内在する理論を精一杯理解しようと努めた本だ。私自身、いつの間にか左翼的な思想に共感を抱くようになり、右翼をよく知りもせずに嫌っていたが、本書を読んで少しだけ、右翼思想が理解できたような気がして、楽しかった。反対するにしても、まず相手の言い分を知らなければ、話にならないのだから。

 

 本書は、大正時代(1912年~)以降の日本の右翼思想について、膨大な資料を引用しながら、わかりやすく整理する。まず、左翼とは「過去を軽蔑し、未来に向けて革命を起こそうとする」勢力であるのに対し、右翼は「未来を信用せず、過去に逆戻りしようとする」勢力である。そして、保守中道とは「現在を維持しようとする」勢力だ。つまり、「左翼=未来」、「保守=現在」、「右翼=過去」であり、保守と右翼とは、本来違うというのだ。
 ではなぜ、日本の右翼は保守と結びついたのか。それは、日本の右翼が過去の秩序の代表として、天皇を信奉したからだ、と著者は指摘する。つまり、第二次世界大戦での敗戦によっても、日本から天皇制が取り除かれなかったために、天皇は日本の過去と現在をつなぐ象徴となってしまったからだ。過去の象徴である天皇が、今なお健在なのだから、今の日本もそう悪くないはずだ-という論理だ。
 著者は、こうした日本の右翼思想の変質を、次のような順序で説明していく。

第1章 右翼と革命:世の中を変えようとする、だがうまくいかない
第2章 右翼と教養主義:どうせうまく変えられないならば、自分で変えようとは思わないようにする
第3章 右翼と時間:変えることを諦めれば、現在のあるがままを受け入れたくなってくる
第4章 右翼と身体:すべてを受け入れて頭で考えることがなくなれば、からだだけが残る
近代日本の右翼思想


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 何を言いたいのかよくわからないだろう。詳しくは本書を読んでいただくとして、分かりやすく言えば、こういうことだ。

「(近代化が進む)今の日本は気に入らないから変えてしまいたいと思い、正しく変える力は天皇に代表される日本の伝統にあると思い、その天皇は今まさにこの国に現前しているのだからじつはすでに立派な美しい国ではないかと思い、それなら変えようなどと余計なことは考えない方がいいのではないかと思い、考えないなら脳は要らないから見てくれだけ美しくしようと思い、それで様(さま)を美しくしても死ぬときは死ぬのだと思い、それならば美しい様(さま)の国を守るために潔く死のうと思う」

 このように何重にもねじれたさまざまな思いがからみあうのも、どれもこれもが天皇と結びついているからだ-と著者は指摘する。天皇という「空っぽな器」に、それぞれが思い思いの酒を注ぎ込むから、訳の分からない、怪しげなカクテルが生まれる。天皇離れして、もっと多様な「日本の伝統」に目を向ければ、右翼思想も豊かになるはずだと、著者は提言する。私も、天皇に縛られない日本の伝統というものを、是非、見てみたいと思う。

<社会司牧センター柴田幸範>
 
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