[映画]雪の下の炎 【社会司牧通信149号】

映画 雪の下の炎
"Fire Under the Snow"/2008年/日本/75分
http://www.uplink.co.jp/fireunderthesnow/
 今回の映画も、前回に引き続き仏教の映画だ。前回の映画は、禅一筋に生きた僧侶・道元の話だったが、今回はチベットの独立のために戦い続ける僧侶パルデン・ギャツォ(Palden Gyatso)の話だ。

 

 パルデンは1930年、チベットの小さな村に生まれた。母はパルデンを生むと同時に亡くなり、パルデンは叔母に引き取られた。一番年下の男の子は僧にさせるというチベットの風習に従って、幼いパルデンは僧院に入れられる。
 1950年、中国がチベットに侵攻し、チベットは中国の領土に編入される。しかし、中国がチベット仏教を厳しく弾圧したため、民衆の反感が高まり、1959年には民衆蜂起が起こる。この年、パルデンは平和的な抗議運動に参加した罪で逮捕される。
 中国政府は、逮捕したチベット人たちに厳しい尋問と拷問を繰り返した。その目的は、チベット人たちが二度と独立を望まないように「再教育」することだった。パルデンは断固として信念を曲げようとしなかったので、縛り上げられて天井からつるされたり、電気棒を口に突っ込まれたり、ガラスの破片や砂利をまいた床の上にひざまずかされたりといった、ひどい拷問を受けた。一度は脱獄して、インドに逃げようとしたが捕まって、2年間手錠と足かせをつけられた。こうして、1992年に釈放されるまで、刑務所で23年、労働キャンプで10年、計33年間に渡って拘留された。61歳だった。

 

 釈放後のパルデンは、ダライ・ラマ(Dalai Lama)法王が住むダラムサラ(Dharamsala)に暮らす。僧院に入ることもできたが、チベット独立のために働きたいと、一人暮らしを続けている。欧米各地をまわって、抗議活動に精力的に参加している。

 2006年のイタリア・トリノの冬季オリンピックの時には、2008年のオリンピック開催地が北京に決まったことに抗議して、チベット人の青年たちと一緒に無期限のハンガー・ストライキを行った。独立を断念し、中国政府の下での完全自治へと目標を変更したチベット亡命政府からは、ハンガー・ストライキを中止するよう勧告されるが、パルデンは「チベットから悪い知らせを聞くたびに、自分を抑えられなくなる」と言う。イタリア政府が公式声明を発表したため、13日にわたるハンガー・ストライキはようやく終わった
 パルデンの脳裏によみがえるのは、獄中で死んでいった仲間の言葉だ。衰弱した仲間が水を求めるが、どこにも水かなかったため、パルデンはつばをためて与える。つばをもらった仲間は感謝した後、「君が生き延びたら、チベットのために闘ってほしい」と言い残して死ぬ。パルデンは、獄中で無念の死を遂げた仲間たちのために、闘いをやめない。

 

 覚えているだろうか。去年の北京オリンピック前に、チベットで「暴動」が起き、僧侶や市民に多数の死傷者が出た。「チベットに人権など存在しません。私がその生き証人です」とパルデンは言う。チベットでは今も弾圧と迫害が続いている。
 パルデンは決して革命家ではない。彼は何より宗教者だ。かつて、彼に拷問を加えた中国人たちにさえ、「彼らには彼らなりの事情があったのだろう」と、理解を示そうとする。それが、仏教の説く「慈悲」(Compassion)だからだ。
 同時に、ダライ・ラマは、「慈悲から生まれる怒りもある。中国がチベット人を弾圧し続けるかぎり、それを止めさせるために、怒りをもって闘い続けることも、慈悲のわざだ」と語っている。パルデンの闘いは、「慈悲の怒り」が駆り立てる闘いなのだ。
 パルデンは祈り、語り、闘う。彼にとって祈ることと闘うことは矛盾しない。祈りの必然の結果として、彼は闘い続けるのだ。怒りは必ずしも悪ではない。闘いは必ずしも信仰に反する行いではない。祈りと怒り、信仰と闘いは、パルデンの深い精神性のうちに、見事に一つとなっている。私も信仰者の端くれとして、彼の信仰を見習いたい。


【 社会司牧センター柴田幸範 】
 
=====     Copyright ®1997-2007 Jesuit Social Center All Rights Reserved     =====