[報告]死刑大国・日本-2008年を振り返る 【社会司牧通信147号】 |
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柴田 幸範(イエズス会社会司牧センター) | |||||||
ところが、後任の長勢甚遠(じんえん)法務大臣は、2006年12月25日に4人に死刑を執行した。異例の「クリスマス執行」の背景には、「死刑ゼロ」の年があってはいけないという、法務省の強い意向があったと言われている。長勢法相は翌2007年、4月に3人、8月に3人に死刑を執行し、「4ヶ月ごとに3~4人」の執行という流れをつくった。 2007年8月から約1年間、法務大臣をつとめた鳩山邦夫氏は、2007年12月に3人、2008年2月に3人、4月に4人、6月に3人と、「2ヶ月ごとに3~4人」の執行という慣例をつくって、死刑執行を加速した。この流れは、後任の保岡興治(おきはる)氏、森英介氏にも受け継がれ、9月に3人、10月に2人に死刑が執行されている。なお、鳩山氏の時代から、死刑執行時に法務大臣が記者会見して、執行者の名前と罪状を発表するようになった。これは、法務省がこれまで、死刑を執行した事実だけを発表し、氏名などを公表しなかったため、「秘密主義」と批判されてきたことに対応したと思われる。
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この表を見れば、2004年から死刑確定者が急増しているのが分かる。これは、1990年代後半に検察庁が、死刑の求刑を拡大する方針を打ち出した影響だと言われている(実際、この頃から二審での無期懲役の判決に、検察側が死刑を求めて上告するケースが増えている)。他方、死刑執行数は減っている。そのため確定死刑囚の数は増えつづけ、2007年にはついに100人を突破した。このことはマスコミでも大きく報道され、死刑大国・日本を印象づけることになった。今後は、地下鉄サリン事件の裁判で、死刑確定者がさらに増加する見通しだ。そこで法務省は、確定死刑囚の数を100人以内に留めるために、定期的な複数の死刑執行を定着させようとしている、と言われている。 さらに、2008年12月からの被害者裁判参加制度の導入、2009年5月からの裁判員制度導入なども、死刑の増加と関係している。これまで、犯罪被害者の支援がまったく不十分だった反動なのか、最近の世論は過剰とも思えるほど被害者に同情し、加害者を攻撃するようになっている(殺人犯の弁護士に、「そんな悪人を弁護する必要はない」と、弁護士の仕事を否定するような発言まで飛び交っている)。また、最近の裁判では、立て続けに死刑の基準を拡大する判決が出ているが、これも一般市民が裁判員として、主に死刑相当の重大犯罪で、有罪・無罪の判断だけでなく、量刑にまで参加するのを踏まえて、死刑判決の判断基準を下げておこうという意図が働いているのではないかとも思われる |
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また、2008年11月の国連人権委員会(自由権規約委員会)でも、「日本政府は世論の支持を理由に死刑を存置させるべきではなく、死刑制度の問題点を社会に伝えて、世論を死刑廃止へと啓蒙すべきだ」との厳しい批判がなされた。 ところが、人権委員会の見解が出されるわずか3日前の10月28日に、法務省は死刑を執行した。国連人権委員会はこの執行を、人権委員会に対する重大な挑戦と受けとめている。死刑を廃止している欧州評議会の代表団も、来日の際に死刑に言及しているが、日本政府は「世論の支持」を理由に、死刑廃止を検討するそぶりさえ見せていない。日本は死刑に関して、国際世論で孤立しつつある。
また、当センターに事務局を置く「死刑を止めよう」宗教者ネットワークも、6月(講師/森達也)と11月(講師/坂上香)に死刑廃止セミナーを開き、それぞれ100人と45人を集めたほか、9月4日には「死刑執行停止を求める諸宗教の祈りの集い」を開き、約40人が集まった。 |
さらに、2月には「連続的死刑執行を憂慮し、死刑執行の即時停止を求める宗教団体共同声明」を発表、現在は「連続的死刑執行を憂慮し、死刑執行の即時停止を求める宗教者共同声明」に、宗教者の賛同を募っている。 一方、アムネスティと監獄人権センターは、若者や他の市民運動(平和・反貧困分野)への浸透をめざして、「死刑に異議あり!」キャンペーンを7月から立ち上げた。7月には衆議院議員会館で院内集会を開き、10~11月には反貧困運動の集会に参加。12月14日には、フィリピンからの死刑廃止運動家と日本の反貧困研究者を招いてシンポジウムを開催し、120人余りを集めた。また、10月28日の死刑執行に際しては、11月6日の抗議集会前に、衆議院議員会館前で街頭抗議行動を行った。 さらに、カトリック正義と平和協議会も、2008年2月に「死刑廃止を求める部会」を設立した(柴田も参加している)。7月にはヨンパルト神父を講師に招いて、部会設立記念講演会を開催、60人が参加した。9月には、大阪で開かれたカトリック正義と平和全国集会で「死刑分科会」を開催(基調講演はマシア神父)、45人が参加した。 このように市民運動が活動を活発化させている上、裁判員制度の導入が近づくにつれて、マスコミが死刑問題を取り上げる機会も増えている。だが、政府・法務省は依然として、定期的な死刑執行を「粛々と」続けていく姿勢を崩していない。そこに欠けているのは、「日本の刑事司法をどうするのか」「犯罪予防のためにどのような矯正施策をとっていくのか」という、根本的な政策哲学だ。 日本社会は、死刑の連続的な執行を止めて、改めて死刑について考え直すべきだ。死刑は安全な社会を創り出すのか? 死刑だけが被害者遺族を慰める道なのか? 私たちは死刑なしにはやっていけないのか? 「命の重さ」が軽い現代社会だからこそ、すべての人が共に生きる社会を目指したい。 |
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