[報告]私の出会った「9条ピースウォーク」 【社会司牧通信144号】

岩田鐡夫(カトリック麹町教会信徒)
●9条ピースウォークとの出会い

  9条ピースウォークの「趣意書」は、こう呼びかけています。

 「戦争は二度といやだ」「いのちこそ宝」「平和がなにより」という、胸の奥底の、ささやかな、しかし、けっしてゆずることのできない思いを、私たちは持っています。けれども私たち普通の市民の多くはそれを大きな声にして、行動に移すことはできませんでした。ところが、最近の憲法9条をめぐる国政の動きによって、私たちは9条のもつ深い意味に改めて気がつかされました。アジア太平洋戦争の深い反省のうえにつくられた、非戦の誓いでもある憲法9条は、日本だけのものではなく、アジアの人々の安心と日本の信頼の要でもあり、また世界が人類の平和共存のために求める共通の願いでもあるのです。
 戦争を知る人も、知らない若い人も、平和を求める思いは一つです。その思いを形にして、つないで、集めて、そして大きな声にすることは平和国家のあり方を問われている今の日本にも、また暴力の連鎖に混迷を深める世界にとっても、とても大切なことです。人類の核戦争の最初の犠牲者であり、「私たちと同じ思いを、二度と他の方にさせてはいけない」という思いから、立ち上がり世界に「平和」強く求める広島と長崎の人々の声、そして、ピースウォークの沿道の町や村の皆さんの一人一人の「平和」の願いを、この「9条ピースウォーク」は結びつけ、大きな声にして、そして世界に伝えることを目的とします。
 「9条ピースウォーク」は個人の自発的な参加を原則とし、地域の皆さんが協力して、市民が造るウォークです。参加にはいろいろなかたちがあります。例えば、ほんの数分や半時間でも、あるいは長期にいっしょに歩く方、各地で出迎えや宿や食事を提供する方、交流会を準備する方、沿道から声を掛けたり差し入れをする方、寄付を寄せる方、いずれも歓迎です。若い人たちは、各地域の仲間がウォークのシンボル をバトンタッチしながら進むウォーク・リレーも計画しています。一人一人の市民が「平和」への願いでつながっていきましょう。思いをその一歩の行動に表す力と勇気を分かち合いましょう。そして「9条ピースウォーク」参加によって、思想信条を超えて、「憲法9条を輝かせる」「平和を願う」その共通の思いを確かめ合いましょう。そして私たちの手で、憲法9条を輝かせましょう。(後略)

 この呼びかけに、特に「憲法9条を輝かせる」という言葉に感動して、ほんの短時間でもかかわりたいと思っていました。そのような時に上智大学神学部の光延一郎師を通して4月25日に鎌倉のイエズス会日本殉教者修道院で宿泊の受け入れ、またカトリック麹町教会(聖イグナチオ教会)ヨセフホールで4月30日から3泊のお手伝いをする話に出会いました。

●イエズス会日本殉教者修道院の
平和祈願ミサ
  9条ピースウォークが4月25日に鎌倉を通りました。当日は鎌倉駅西口から若宮大路から鶴岡八幡宮、カトリック雪ノ下教会へと250人が参加し平和パレードが行われて雪ノ下教会で平和集会が行われました。平和パレードをするときにみんなで歌った9条ピースウォークのイメージソング「どこでも」(原詞:ミュリエル・ルーカイザー、訳詞:木坂涼/アーサー・ビナード、作曲:横井久美子)が印象に残りました。

わたしたちはどこへ歩いて行こうと
作りながらゆく、作りながらゆく

どこで抗議しても、そのあいだじゅう
種をまきつづける、種をまきつづける

詩を作り、種をまき、子供に食事を与え、
成長を見守り、家を建て、

たとえどんな力に、立ち向かったとしても
私は食事を作って、種をまく

私はどこへ歩いて行こうと、
作りながらゆく、作りながら行く
[雪ノ下教会での平和集会]

 日本殉教者修道院では、この平和を願う熱い思いに賛同し、27名のピースウォーカーの宿泊を引き受けました。当日の夕食での交流、また翌朝は主聖堂で「平和祈願ミサ」が英隆一朗神父、三浦功神父の他、9条ピースウォークに同行された上智大学神学部:光延一郎神父の3人の司式で捧げられました。ピースウォーカーにはキリストでない方も多く、また外国の方や他宗教の方もいましたので、英語で「主の祈り」を祈ったり、「聖フランシスコの平和の祈り」を取り入れるなどエキュメニカルでとても豊な平和祈願ミサが捧げられました。
 また英神父の説教は、タルコフスキーの名作映画『サクリファイス(犠牲)』からの引用でした。言葉を話せなかった少年が再び言葉を話せるようになるまでの1日を描いたこの映画で、少年の父である主人公アレクサンデルは、生命の樹を植える誕生日に、核戦争勃発の声をテレビで聞き、自らの狂気を賭けて、信じていなかった神と対決し、愛する人々を救うために自らを犠牲にささげるサクリファィス(犠牲、献身)を実行したのです。「平和」には、それぞれの立場で犠牲が必要なのだ-と話されたことが強く印象に残りました。

●カトリック麹町教会での
宿泊受入とテゼの祈り
  4月30日、5月1日、2日の3泊はカトリック麹町教会(聖イグナチオ教会)のヨセフホールで引き受けました。そして30日の夕食は教会の活動グループ「四ツ谷おにぎり仲間」(野宿者支援)がおにぎりと豚汁を、1日の夕食はマリアの御心会のシスター方が炊き込みご飯を、2日の夕食は幼きイエス会のシスター方がカレーライスを、また3日間の朝食は援助マリア会のシスター方が作ってくださいました。ここにも「つながり」の大切さを教えてくれるネットワークがありました。最後の夜は2階マリア聖堂にて「平和のためのテゼの祈りの集い」へのお誘い―「9条ピースウォーク」のウォーカーたちを迎えてーが行われ、楽しく有意義な時間を過ごすことができました。「平和のためのテゼの祈りの集い」の後に交流会も開かれました。

●ヒップホップ・ミュージシャン、
オプティマスのメッセージ
 「いろいろな集会で音楽を披露しています。
 私たちの歌を飽きないで聴いてくださり感謝しています。私たちの音楽のテーマは平和と正義と世界をどのような目で見ているかです。私の父は牧師ですからキリスト教の環境で育ちました。先ほどの集りで歌のハーモニーに素晴らしさを楽しんでいました。信仰が生きているなと感じました。私の名前はオプティマスで『楽天』という意味もあります。父は西アフリカの出身でカトリック教会の援助でアメリカに来ることが出来ました。
 私はカトリックの学校に入りました。そして言葉を覚えるために道具として音楽を使いました。霊的生活も道具だと思います。それをすべての人に使うと美しいものになります。しかし、あるグループが私の信仰があなたの信仰より大事だというと戦いが始まります。このピースウォークで宗教を超えて対話ができてよかったと思います。私はどんな宗教、霊的生活でも正義と平和を大切にする宗教は尊敬します」

●ヒップホップ・ミュージシャン、
エロックのメッセージ
 「ピースウォークの中で幸せと人生の喜びを感じています。リラックスしています。今、帰国をする準備をしていますが、3週間後に初めての子どもが生まれます。赤ちゃんの未来、若者の未来、世界中の子どもの未来をよく考えることがあります。日本の平和憲法9条の重要性をよく考えます。もちろん平和の重要性も。そして正義、霊的ないのちを。そしてそれらをつなげてひとつにすることを考えています。私はスピリチュアリティ、霊的生活があると言いつつ正義と平和の活動をしない人たちは、この世に存在すべきではないと思います。早すぎる、若いうちに命が奪われた人たちを思い黙祷しましょう。知っている人のことを考えてください」
●9条ピースウォークの旗手、
広瀬満男さんの話
 囲碁が大好きで、囲碁ボランティアをして暮らしていたが、今回ピースウォークに参加し、広島から幕張まで71日間歩き続けた広瀬満男さん(70才)から素朴な体験談を聞きました。
 「参加のきっかけは、たまたま偶然、2月23日付けの朝日新聞の朝刊を見たら、9条ピースウォークの募集がありました。個人参加で、お金がかからないし、九州出身なので山陽道・東海道を歩くのも良いかなと思いました。歩くのは自信あったし、平和については憲法9条の話を聞いたり、ピースボートに乗ったり勉強していたので、後は実行だと思い、その日に寝袋を買い、東京駅からその日の夜行バスで広島に行って、2月24日のスタートに間に合いました。自分が行かなきゃ、今やらなきゃ、とも思いました。
 外国人とのつながりを思い出します。びっくりしたのはアメリカ人の尼さんがいたこと。それから、ダンサーの恋人がいて、結婚するとかいうオプティマスと、5月に子どもが生まれるエロック、イラクの帰還兵のアシュやベトナム帰還兵アレンとの交流を思い出します。彼らは一様に『平和は大切だ』と言っていました。それから、10年も車を運転していなかったのに、頼まれて車を運転して、前輪を溝に落として困ってしまい、外国人に頼んで引き上げた思い出があります。
 警察は全体的に協力的でした。いろいろな市役所に申し入れましたが、市長が出てきたことは少なかった。最初の1週間が辛かったですが、後は歩くのに慣れた。お寺に泊まる予定だったのになかなか見つからず、かなり遅くなってしまったときもありました。名古屋から豊田が長かった気がしました。

 泊まった人が一番多かったときは、33人くらいでした。身体障害者の施設にも泊まったことがありましたたが、彼らは『戦争になったら、私たちが一番先に切り捨てられる、だから戦争には反対する』と言っていました。ハンセン病の施設にも泊まりました。(1954年、アメリカの水爆実験で被ばくした、静岡県焼津市の漁船)第五福竜丸で亡くなった方のお墓参りもしました。姫路カトリック教会が立派だと思いました。
 9条ピースウォークのシンボル、金色の大きな旗は2つあったんですが、1つは兵庫県で持っていかれてしまい、この9条のシンボルの旗がなくなるとまずいと思い大切に保管していたので、愛着があります。今まで、それぞれの9条の会はあまり交流やつながりがなかったようですが、このピースウォークによってつながり、交流や人間関係ができたのではないでしょうか。それが良かったと思います」

●ある若い女性ピースウォーカーから
 神奈川地区から参加したカトリック信徒で、若い女性のピースウォーカー三宅香織さんに出会い、感想を聞くことができました。
 「バイトが入っていたりで、参加できない日もありましたが、12日間、9条ピースウォークに参加しました。楽しく、充実した内容の濃い時を過ごさせて頂きました。
 何故、参加したのか…と聞かれると明確な答えがみつかりません。ネットで『カトリック中央協議会』からリンクをたどっていく内に『9条ピースウォーク』に行き当たりました。
 もし、このウォークが反戦デモだったら参加しなかったと思います。デモというと60・70年代安保、ベトナム反戦、沖縄闘争…等、抗議と闘争は流血と逮捕のイメージが付きまといます。
 しかし、このピースウォークは、シュプレヒコールなし! 途中参加、リタイヤもOK! 1日どんなに歩いても約20km。そして一番ひかれた『あなたの行動は私の力、あなたの一歩は私の勇気』という言葉。結果、『何も叫ばずに歩けばいいんだ。それなら私にも出来るかな…』という軽い気持ちで参加しました。
 趣意書には、下記のように書いてありました。

「9条ピースウォーク」は個人の自発的な参加を原則とし、地域の皆さんが協力して、市民が造るウォークです。個人としてウォークに参加することを原則とし、平和の思いをつなぐウォークは「ピース」の実践であり、一緒に歩く仲間や迎えてくださる方々との交流を大切に。ウォークを安全で楽しいものとするために、法令遵守を最優先とし、「9条を輝かせ、人をつなぐ、思いをつなぐ」ことを目的とし、平和への願いを一歩一歩、皆さんと一緒につないで、分かち合いましょう。
 現代社会においてキリストの証し人になるとはどういうことでしょうか。
 信仰を生きるということは難しい。日々の生活の出来事の中から選び取ること、その選びの基準と動機に信仰が影響してくるのだと私は思います。しかし、その信仰心が揺らいでしまう、高慢心や欲望、無関心などの種々の雑念が気持ちをさえぎってしまうことがあります。だから世界の分裂と痛み、苦しみと叫びに耳を傾けながら、聖書が伝えたいことを一生懸命感じとり、祈り、自分がどのように生きたいのかと考え、向き合い『神さま、世界中に平和がありますように。地球上のもの全てが共存することが日増しに困難となっている今日において、何が正しいのでしょうか。私は何を選んだらいいのですか』と問いかけ、この信念の軸がぶれることのないように生きて行きたい。
 今回、いろいろな方と共に歩きながら戦争について、平和について、人生について語り合いました。個人の思想・信条・宗教を尊重しつつも、その枠を超えた交流体験ができ、より一層、キリスト者として、カトリック信者として生きていくとはどういうことなのかを考えるきっかけを頂きました。
 幕張で行われた9条世界会議の初日に、ピースウォーカーの一員として舞台に立ち、あれほど多くの方々が、『平和を願う者』としてあの場に居て、世界中に散らばって『平和のための行動』をしているのだと知ることができた今は、私が何らかの『平和の使徒』的生活を選び、行っていく上で大きな支えとなり、力と勇気になっています。ありがとうございました」

●9条世界会議に到着
 2008年5月4日~6日に、日本と世界から多くの人々が集まり、戦争の永久放棄という憲法9条を世界に発信する「9条世界会議」(幕張メッセ)が開催されました。「9条ピースウォーク」はこの会議のプレイベントとして、市民一人一人の平和への声をつなげて、会議に伝え、そして世界に響かせるために、市民の手で行う平和行進でした。2008年2月24日、「9条ピースウォーク」は広島を出発し、72日間をかけて東京をめざし、沿道で平和への声を、歩く人、そして迎える人、そのほか多くの参加市民の一歩一歩として集めながら、「9条ピースウォーク」は、2008年5月4日、「9条世界会議」開催日に会場に到着しました。
 「9条世界会議」1日目全体会で9条ピースウォーク参加者たち全員はステージにあがり、若者二人と加藤上人(ウォークリーダー)がスピーチしました。
「以前から私は歩いて旅がしたいと思っていました。そして私は、戦争が一番の環境破壊だと考えていました。今年の2月に新聞の記事でピースウォークのことを知った私は、すぐに参加を決めました。このウォークが終わっても、9条が私たちにとってどんなに大切かを発信していきたいと思います。」(島崎巴さん)
「ウォークに参加する前、私は自分の言葉で9条の大切さを語ることができませんでした。でも、たくさんの人達との交流を通し、実は9条は私たちの生活の中に存在し、日常生活の小さな幸せを支えているのではないかと感じるようになりました。私達は今、この9条を自分達のものにして、守っていかなければならないのだと思います」(鈴木智美さん)
 「藤井日達師の『文明とは』にはこうあります。『文明とは電灯のつくことではない/飛行機のあることでもない/原子爆弾を製造することでもない/文明とは/人を殺さぬことであり/物を壊さぬことであり/戦争をしないことであり/相互に親しむことであり、相互に敬うことである』 

 聖フランチェスコの『平和の祈り』をご紹介します。

主よ 私をあなたの平和の道具にしてください
憎しみのあるところには愛を
悪のあるところには許しを
不和のあるところには和解を
誤りのあるところには真実を
疑いのあるところには信仰を
絶望のあるところには希望を
闇の支配するところには光を
悲しみのあるところには
 喜びをもたらす人にしてください
主よ
慰められるより慰めることを
理解されるより理解することを
愛されるよりも愛することを
 求めさせてください
なぜなら
人は与えることによって与えられ
自分を忘れることによって自らを見いだし
ゆるすことによって自らもゆるされ
死ぬことによって永遠の命に
 生きるものだからです」(加藤上人)

最後に、聖フランシスコの「平和の祈り」で9条ピースウォークの有終の美を飾れたことに深い感動を覚えました。


[加藤上人にTシャツに書いていただいたメッセージ]
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