「書評」 『死刑』 【社会司牧通信143号】

  死刑

「人は人を殺せる。でも人は人を救いたいとも思う。そう生まれついている。」

 『死刑』は、映画監督で作家の森達也さんが3年間、さまざまな人と会い、死刑の意味を問いかけた「ロード・ムービー」(自己発見の旅)だ。

 森さんは、オウム真理教に密着取材したドキュメンタリー『A』『A2』を自主制作して、一躍有名になった。また、活字でも、さまざまなドキュメンタリーを発表している。作品に一貫しているのは、物事を特定の思想・信条から解釈したり、マスコミの報道や世論を鵜呑みにしたりせずに、事実を自分の目と耳で確かめ、自分の頭で考える姿勢だ。

 本書も、死刑囚、元死刑囚、死刑廃止運動の関係者、漫画家、政治家、死刑囚の弁護士、死刑に立ち会った元刑務官や教誨師、被害者遺族、死刑に賛成するジャーナリストなど、実にさまざまな人に会い、真摯に耳を傾けている。誰の意見が良くて、誰の意見はおかしいとか、そういうことはあまり言わない。とにかく、会う人会う人で違う意見を理解しようと、いっしょうけんめい努力している。

 だから、なかなか結論が出ない。「まだ足りない。死刑の本質に行き着いていない」と、執拗に追い求める。自分は死刑囚でもなく、被害者遺族でもないし、死刑に立ち会ったこともないから、当事者の思いは分からない。でも、その人たちと会って、何かを思うことができる-そう森さんは考える。「多くの人に触れることで、揺れ動く自分の情緒を見つめようと僕は考えた。その帰結として、僕は何を得るのだろう。何を知ることができるのだろう」

 私自身の思いも同じだ。私が死刑の問題に関わりはじめて6年経つが、いまだに、「自分はどんな資格で、死刑の問題に関わっているのだろう」と考え続けている。妻や友だちと死刑の話をしていると、「私が(あるいは子どもが)殺されても、死刑に反対するの?」と問い詰められることがある。そんな状況はとても想像できないから、「分からない」としか言いようがない。ただ、死刑を廃止している国々もあるのだから、犯人を殺さなければ生きていけない、ということもないのだろうなと、ぼんやり思う。そして、家族を殺されたとしても、憎しみのあまり「犯人を死刑にしろ!」と叫ぶ自分を想像するのは恐ろしいから、死刑はないほうがいいとも思う。

 300ページを超える本文の最後で、森さんがやっとたどり着いた結論は、こうだ。
「冤罪死刑囚はもちろん、絶対的な故殺犯(故意の殺人犯)であろうが、殺すことは嫌だ。
多くを殺した人でも、やっぱり殺すことは嫌だ。
反省した人でも反省していない人でも、殺すことは嫌だ。
再犯を重ねる可能性がある人がいたとしても、それでも殺すことは嫌だ。」

 幼稚かもしれない、でも実際に死刑を知れば、死刑囚と知り合いになれば、そう思ってもちっともおかしくない、と森さんは言う。
 森さんは、妻子を殺された、山口県光市の本村洋さんに手紙を書き、返事をもらっている。本村さんはこう書いている。

「死刑問題の本質は、「何故、死刑の存置は許されるのか」ではなく、「何故、死刑を廃止できないのか」にあるのだと思います。…「犯罪被害者が声高に死刑を求めている」からではなく、「社会全体が漠然と不安である」から、死刑は廃止できないのだと思います。」

 だから、私たちは自分の不安と向き合わなければならない。不安の正体を見きわめなければならない。死刑をタブーにしていてはならない。
<社会司牧センター柴田幸範>