「映画」 花はどこへ行った 【社会司牧通信143号】

映画
柴田幸範(イエズス会社会司牧センター) 
 この作品は、ベトナムの枯れ葉剤被害についてのドキュメンタリー映画だ。監督は坂田雅子(まさこ)さん。大学紛争を通じて、アメリカ人写真家グレッグ・デイビス(Greg Davis)と出会い、結婚。グレッグの写真家としての仕事を手伝いながら、写真通信社インペリアル・プレスで働き、95年に社長に就任。98年には日本最大級の写真専門エージェント会社IPJを設立し、社長となる。この映画は、彼女の最初の監督作品だ。  坂田さんが映画を撮ることにしたきっかけは、2003年のグレッグの死だ。彼は来日前の1967~70年、アメリカ軍兵士として、ベトナム各地で戦争に従事した。退役後、有名な写真雑誌『タイム』などで活躍し、その後、独立してドキュメンタリー作家として活躍していたが、2003年4月19日に入院。5月4日に肝臓ガンで亡くなった。  彼は結婚当初から、「自分はベトナムでエージェント・オレンジ(ベトナムで一番多く使われた枯れ葉剤)を浴びた可能性があるので、子どもはつくりたくない」と言っていた。当時はその言葉を深く考えていなかった坂田さんも、あまりにあっけない彼の死に、枯れ葉剤のことを調べて、映画にすることを決意。アメリカで映画制作の基礎を学んで、2004~06年、アメリカとベトナムで枯れ葉剤の被害者やその家族、ベトナム帰還兵、科学者などを取材して、2007年、本作品を制作したのだ。

# # #

 映画は、ベトナム各地の枯れ葉剤被害者の様子を描いている。アメリカ軍が1962~71年に使った枯れ葉剤の総量は7600万リットル。種類によって色分けされたドラム缶に入っていた枯れ葉剤の64%が、オレンジ色のドラム缶に入った「エージェント・オレンジ」だった。エージェント・オレンジには副産物として、人類史上最悪の毒物といわれるダイオキシンが含まれていた。ダイオキシンは人体に蓄積されて、薬を浴びた当人に病気をもたらすだけでなく、生まれてきた子どもたちに重大な障がいを負わせた。WHOによれば、ベトナムの枯れ葉剤被害者は480万人と言われ、障がいは2世・3世の子どもたちにまで及んでいる。
 ホーチミン市のツーズー(Tu Du)病院の平和村では、枯れ葉剤の影響で障がいを持って生まれた子どもたちが、機能回復訓練を受けている。機能回復とはいっても、重度の子どもたちは、立つことはおろか座ることさえできない。インタビューを受けた病院長は、「両親と社会の負担を考えると、残念ですが、出生前の検査で重い障がいがあると分かった場合は、中絶を勧めざるを得ません」と語っていた。
 こうした都市の施設は、まだ恵まれている。地方の農村では、障がいを持った子どもたちを抱えて、家族が悪戦苦闘している。障がいを持った息子を出産後、はじめて子どもの顔を見て、ショックのあまり2日間寝込んだという母親。今では、「ほら、こんなふうに笑ってくれるのよ」と、息子のそばを片時も離れずに世話している。姉二人も、大きく奇形した弟の顔に頬ずりして、かわいがっている。どこの家族も、貧困に苦しみながらも、家族同士助け合って、けなげに生きている。
 ハノイのフレンドシップ・ヴィレッジは、アメリカ・フランス・イギリス・ドイツ・日本・カナダの退役軍人らがはじめた施設だ。枯れ葉剤の被害者の子どもたちが、社会で自立できるように訓練を施している。施設の運営に関わっているアメリカ人の退役軍人は、「アメリカ政府は何の補償もしていない」と怒っていた。

# # #

 2004年1月、3人のベトナム人被害者が、ハノイの被害者団体を通じて、ニューヨークのアメリカ合衆国連邦裁判所に、枯れ葉剤を製造した化学会社を相手取って、被害への謝罪と補償を求める訴えを起こしたが、連邦地裁は訴えを却下。原告は控訴したが、連邦高裁も2008年2月、控訴を退けた。原告たちは最高裁まで争うという。アメリカ政府は「ダイオキシンと障がいの関係は証明されていない」と言い、化学会社は「政府の要請で枯れ葉剤を製造したのだから、補償は政府が行うべき」と主張する。これまで一人のベトナム人被害者も補償を受けていない。化学会社は今なお、遺伝子に影響を与える薬剤を作り続けている。戦争は終わっていない。

<社会司牧センター柴田幸範>

[6/14-7/4東京・岩波ホールで上映]
http://www.cine.co.jp/hana-doko/