「報告」 止まらない死刑執行の流れ 【社会司牧通信142号】

柴田幸範(イエズス会社会司牧センター)
 2008年2月1日、3名の死刑囚に死刑が執行された。長勢甚遠・前法務大臣のもとで10ヶ月3回、10名に死刑が執行された流れは、「法務大臣のサインなしに死刑を執行してもいいのではないか」と語る鳩山邦夫・現法務大臣にしっかりと引き継がれ、2ヶ月で6人という、近年めずらしい大量執行となった。法務省は今後も、2~3ヶ月に一度、定期的に死刑執行を続ける方針だという。その背景には、年間の死刑確定数が15~20件と激増し、確定死刑囚の数が100人を超えている現状がある。
 今回の執行に、イエズス会社会司牧センターは次のような抗議声明を出した(一部略)。
 本日の死刑執行に抗議します。
 昨年12月7日、3名に死刑を執行したばかりで、1ヶ月あまりでの再度の死刑に、衝撃を禁じ得ません。このように法相ご自身の言葉を借りればまさに「ベルトコンベヤーのように」人の命が奪われることに、深い悲しみを覚えます。
 何度も申し上げているように、カトリック教会は「命は神が与えたもので、何人も奪うことができない」「神は、どんな罪人も悔い改め、神に立ち帰るよう望んでいる」「犯罪抑止や社会秩序の維持は、死刑以外の有効な方法によって行われ得る」「被害者支援は、応報感情の満足ではなく、被害者への連帯によって行われるべきである」との理由から、死刑に明確に反対しています。2006年12月のフセイン元イラク大統領の処刑の際にも、教皇庁関係者が「処刑は非道徳的である」と明言しています。カトリック教会は、報復と恐怖ではなく、和解と愛によってこそ社会が守られると信じているからです。
 私たち宗教者こそ、罪を犯した人、罪の被害を受けた人、双方を真摯に受けとめ、共に歩む役目を担っていると信じます。その役目とは、罪を犯した人をこの世から排除することではなく、彼らの改心と更生に協力することであり、被害者に代わって加害者を罰することではなく、被害者の癒しと回復に尽力することであると確信しています。
 どうか、死刑の執行を一刻も早く停止し、その是非を国民の間で改めて真剣に議論するよう、総合的な検討の場を作っていただくことを、強く要望します。
 当センターが参加する「死刑を止めよう」宗教者ネットワークは、昨年8月の執行に対して抗議声明を発表し、「死刑執行停止を求める-諸宗教による祈りの集い」を9月7日東京で開催した。集いでは天台宗による声明(しょうみょう/お経にメロディーをつけて唱える声楽でグレゴリオ聖歌に似ている)も行われた。

 10月には、宗教者ネットワーク主催の第10回死刑廃止セミナーが京都で開催された。アメリカからオクラホマ連邦ビル爆破事件(1995年爆弾テロで168人が死亡)の被害者遺族バド・ウェルチさんが来日。「人権のための殺人被害者遺族の会」メンバーであるウェルチさんは、「憎しみと報復こそが殺人を生む原因であり、加害者への憎しみは被害者遺族の心を傷つける」と語って、「死刑という暴力の連鎖を止めよう」と力説した。

 12月の執行に対しても抗議声明を発表し、12月16日、他の団体とともに抗議集会を開いた。そして、今年2月1日の執行に対して、前述のような抗議声明を発表し、2月9日、再度抗議集会を共催した。このような大量執行の流れに世論が慣れてしまう前に、一刻もはやく死刑の執行停止を実現しなければ、取り返しがつかなくなるだろう。
 貧困と経済格差が拡大する日本では、増大する社会的不満のはけ口として、犯罪への厳罰化や外国人管理の強化が利用されている。「悪いヤツには人権はない」という暴論が、マスコミでも平気で垂れ流される。こんな時代に、宗教者は何を語ればよいのか。「死刑を止めよう」宗教者ネットワークの真価が、今後ますます試される。
【イエズス会社会司牧センター/柴田幸範】

【 ,07年9月7日祈りの集い、天台声明 】