「報告」今、野宿者がおかれている現実 【社会司牧通信142号】

小暮康久(イエズス会中間期生)
●渋谷の飯(めし)作り
  毎週土曜日の夕方4時、野宿をしている仲間や支援(合わせて30人くらい)が集まっての共同の飯作り(共同炊事)が始まる。誰が指示するでもなく、それなのに準備は着々と進んでいく。150~160人の仲間のための飯(めし)が和やかな雰囲気の中で作られていく。渋谷、美竹公園で恒例の「のじれん」の「飯作り」の光景である。それこそ、台風が来ようが、雪が降ろうが、この「飯作り」が中断されることはない。なぜなら野宿をしている仲間にとって「食うこと」は切実なことだからだ。それはみんなが分かっている。だから野宿をしている仲間自身がこの共同の「飯作り」に参加する。一緒に何かを作ることは単純に楽しい。野菜を切りながら、鍋を洗いながら、冗談や昔話に花がさく。そして、お互いの「顔」の分かる関係が少しずつ出来ていく。

 私が初めてこの美竹公園に来たのは、イエズス会に入会する前の2000年頃だった。もうかれこれ8年も前になる。入会後、しばらく顔を出せない時期もあったが、この8年の歳月の間には、古い仲間が減り、新しい仲間が加わり、「飯作り」に集まる「顔」は変わり続けてきた。しかし、一方で、仲間たちをめぐる根本的な状況はこの8年の間に何も変わっていないという気もする。

 「何が変わったのか、そして、何が変わっていないのか」。今、野宿者問題の現場で起きている具体的な事例を紹介しながら、それらについて考えてみたい。

[ 美竹公園の飯作り]
ホームレス特措法
  ― 分断されるホームレスと社会的排除

  2年間の修練期に、修練長や他の修練者と共に「広島夜回りの会」に毎週参加していた時期は、折しも「ホームレス特措法(ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法)」が成立(2002年7月)し、これを受けての全国実態調査(2003年1月)が行われた時期でもあった。実際に広島市内の実態調査(聞き取り調査)は、この「広島夜回りの会」が行った。

 「ホームレス特措法」については、法案成立以前から、当事者団体・支援者団体の間に、その是非、評価をめぐっての大きな議論があった。「のじれん」を含めた大半の当事者・支援者団体からは、この法律の「問題性」が指摘されていた。
 「ホームレス特措法」の主な問題点は以下の3点に集約される。(もちろんこれ以外にも指摘されるべき問題点はあるのだが…)

 ①野宿者を生み出している根本原因である失業問題(「国の責任」)にはまったく触れずに、「野宿からの脱却」のみをもって問題の解決とし、そのための野宿者の自己責任、自助努力を強調し、恣意的な「自立」を強要していること。(第1・4条)

 ②ホームレスの定義(第2条)が「公園、河川などで起居し日常生活を営んでいる者」とされ、主に「テントを張っている定着型」の野宿者のみを想定していること。そのため「非定着型」の野宿者、例えば、テントを持たずダンボールを片手に夜毎寝場所を変える「移動型」の野宿者などがこの「ホームレス」の定義とその対策事業(施策)から除外される危険性があること。また、広義のホームレス状態にある人々、例えば、手配師から声をかけられ一時的に飯場に入っている「中間層」、また、かろうじてドヤ(簡易宿泊所)などでの生活を保っている日雇い労働者、また最近では、ネットカフェなどで寝泊りする日雇い派遣の若者たちなどの「潜在層」は、明日にでも路上での野宿となる可能性があるのにもかかわらず、このような本来の意味での「ホームレス」状態にある人々の存在が完全に覆い隠されてしまっているということである。そして結果として、ホームレス問題が分断されて、根本的な原因(失業問題・労働問題)の解決がうやむやにされる危険があるということである。
 ③適正化条項(第11条)によって、公園管理者など行政は、公共施設の適正化のために、自立支援に関する施策(シェルター・自立支援センターへの入所)との連携のもと、必要な処置(強制排除)をとることを義務付けている点である。
 「ホームレス特措法」が2002年に施行されて5年が経過した。2007年度は、10年の時限立法であるこの法律の「見直し」の年に当たる。各当事者団体はこの法律の問題性を指摘し、その抜本的な見直しを求めている。実際、これら懸念された特措法の「問題性」は、その後に策定された地方公共団体(自治体)の具体的な施策とその運用の場面で、この5年の間、現実のものとなっていったのである。

東京都の場合①
  ― 自立支援センター事業の現実
 そもそも東京では、全国に先駆けてバブル崩壊後の1993年頃から、不況による野宿者問題が顕在化(新宿西口地下通路:4号街路のダンボール村)していた。その後、96年1.24強制排除や、98年2.7大火災と2.14自主退去、暫定センター(北新宿寮)の開設、2000年の「自立支援センター」開設、2001年の「緊急一時保護センター」開設など、既に「ホームレス特措法」に先立って、東京都は行政として「路上生活者対策」の具体的な経過を経験していた。

 緊急一時保護センター(01年度に大田寮、02年度に板橋寮、03年度に江戸川寮、04年度に荒川寮、05年度に千代田寮と順次開設。現在は大田寮が閉鎖され、世田谷寮を加えた5ヶ所。定員は5ヶ所計454名)は、23区内に起居する路上生活者を一時的に保護し、心身の健康回復と、利用者の状況に応じた適切な援護を行うための調査及び評価(アセスメント)を目的としている。原則1ヵ月の入所期間で、給食及び衣類等の日用品類は現物で提供する。また、たばこ等の嗜好品類も現物で提供するため現金の給付は行わない。アセスメントとは、平たく言えば、自立支援センターを利用することができるかどうかを見ているということである。

 自立支援センター(00年度に台東寮と新宿寮、01年度に豊島寮と墨田寮、02年度に渋谷寮と順次開設。現在は台東・新宿・豊島・隅田は閉鎖され、渋谷寮/北寮/中央寮/杉並寮/葛飾寮の5ヶ所。定員は5ヶ所計326名)は原則として、緊急一時保護センターでのアセスメントの結果、自立支援センターを利用することで就労自立が見込まれるとされた利用者を対象に、主に生活支援、就労支援、社会生活支援の3点を中心とした自立支援プログラムを策定する。利用期間は原則2ヵ月。しかし、この自立支援センターは一度しか利用できない。チャンスは一度というわけだ。平たく言えば、「屋根はあてがいますから、2ヵ月のうちに、頑張って仕事を見つけてきて下さい」ということである。2ヵ月のうちに仕事を見つけられなくても、出て行かなければならない。何処へ?路上しか戻る場所などない。
 そもそもの野宿の原因が「失業」であり、現在、野宿生活を強いられている仲間の平均年齢が60歳前後という現実の前に、アパート生活を維持できるだけの「常用雇用」の仕事を新しく見つけることがどれほど難しいかは容易に想像できるであろう。寄る辺のない中高年を過ぎた労働者の「個人的な努力」だけでは、「自立」が成立しえないところに構造的な労働問題、社会保障問題があることを看過して、根本的な解決がないことは明らかである。

 実際にこの施策の実施機関である東京都福祉保健局も『自立支援システム全体が路上生活者の中の一部の対象者(比較的再就職の可能性がある若い層)のために存在することになってしまっている』『自立支援センターから就労自立した人々のその後の生活の安定度が高くない』ことを認めている。
 ちょっとイメージしてみて下さい。

「…あなたは今、公園や高架下で野宿生活をしています。若い頃から建設現場などで日雇いの建設労働をしてきましたが、60歳でもう現場では雇ってもらえない。毎日のアルミ缶集めが唯一の現金収入。アルミ缶を業者に買い取ってもらうためには、ストックしておく場所がどうしても必要で、今は公園の一角に集めてきた缶を置いている。一日3回食える日はほとんどないが、でも何とか今はそれで頑張って生活をしている。福祉課は『自立支援センター』を利用したらどうかと勧めるが、センターに入所しても日雇いの仕事でさえないのに、この年で「常用雇用」の仕事が見つかるとはとても思えない。それにもし、『一時保護センター』→『自立支援センター』に入所したら、その間に公園のテントやアルミ缶置き場はきれいに撤去され(施策との連携による公園の適正化/特措法11条)その場所は『新規流入防止柵』という柵が張り巡らされてしまい、2度とテントを持つことはできない。頑張っても仕事が見つからず、3ヵ月後にセンターから追い出されても、もうアルミ缶で食っていくこともできない。その基盤を失ってしまっているのである。どうやって生きていくのか…」

 これが路上生活者の半数以上がこの自立支援事業の利用を希望していないことの理由であり、現実である。

 そしてこの「ホームレス特措法」とそれに基づく自治体の施策(センター事業)が、野宿者の生活保護(居宅での生活保護)申請の防波堤として利用されてきたという現実も指摘しておかなければならない。生活保護法は「無差別平等」が原則である。「あなたは、野宿者ですから一時保護センターに入ってもらうことになっているんですよ」という説明は明らかに違法なのである。この点については、昨年末から山谷・隅田、今年に入って渋谷と「路上から即居宅の生活保護申請」を集団で行い、福祉事務所との粘り強い交渉のもとに一定の成果を勝ち取っている。
【 生活保護の集団申請 】

東京都の場合②
  ― 3,000円アパート事業の問題点
    取り残される移動型の野宿者

 また、東京都はこれらの「センター事業」に平行して、2004年度から「地域生活移行支援事業」(いわゆる3,000円アパート事業)を開始した。これは都内5つの公園(都立の戸山公園・代々木公園・上野恩賜公園、区立の新宿中央公園・隅田公園)を対象に、公園でのテント生活者に限って、借り上げ住居を2年間低家賃(月3,000円)で提供し、就労機会の提供に努めながら自立を促すというものである。しかし何故、「公園でのテント生活者」に限った事業でなければならなかったのか。テントを持たずダンボールを片手に夜毎寝場所を変えるような「移動型」に類型される、最も困窮している野宿者層はこの事業から排除されているのである。

 何故か。それはこの「3,000円アパート事業」の真の目的が野宿の仲間のテントを減らすことにあったからだと言わざるをえない。「事業を利用するか否かはご本人の選択」(福祉保健局)であるはずなのに、事業に応じなかったからと、残ったテントが次々と撤去の危機にさらされた。隅田川両岸しかり、代々木公園しかり。「何故、テントを張っていない野宿者がこの事業から締め出されなくてはならないのか」「どうして、テントを張っている野宿労働者がこの事業を利用しないと追い出されなければならないのか」という野宿当事者たちの声、疑問はまったく正しい。
 「ホームレス特措法」がその定義(2条)の中で「テントを張っている定着型」の野宿者を対象者とし、施策との連携による適正化の行使(11条)を掲げていたことの真の目的が、生活に困窮し野宿を強いられている人々への救済・支援ではなく、「公園や目に見える場所から野宿者のテントやダンボールハウスを消すこと」にこそあったことがはっきりと浮き彫りにされてきたのである。「3,000円アパート事業」が公園への「新規流入防止」対策と一体であることは、東京都自身がホームページ上ではっきりと説明している。

 現在3期目をむかえたこの「3,000円アパート事業」であるが、「公園の適正化が第一、テントなし移動層は対象から除外」の姿勢はより明確になってきている。
生きられない
  … 渋谷駅地下で起きた野宿者の追い出し
 人々は、公園などの目につきやすい場所からテントやダンボールハウスが消えたら、「ホームレスは減ってきたのだな」と単純に思うだろう。でも実際は、テントを持てずに移動し続けている層や、ケタ落ちのNPO施設(貧困ビジネスと呼ばれる福祉を食い物にする業者)や、ケタ落ち飯場などに身をよせる形になっている人々など、「より見えにくくなっている」だけである。

 特に「移動型」に類型される層の人々の状況は本当に悲惨である。テントやアルミ缶集めなど、命をつなぐ最後の営みさえも許されず、「ホームレス特措法」とその施策からも除外され、社会的な排除の風潮の中で、生きていく場所や手段も狭められ、文字通り「野垂れ死に」の危険といつも隣り合わせの中にいる。
 ちょっとイメージしてみて下さい。

「…あなたは今、もう公園には居る場所がありません。いつも荷物を持って移動し続けなければなりません。身なりには出来るだけ気を使っているから、昼間にバックを持って道を歩いていたり、ショッピングビルなどにあるベンチに腰を掛けていても、人々は『ホームレス』とは気付かないかもしれません。でも夜になれば、テントをもっていないから『寝る場所』を探してまわります。ゆっくりと何時間も横になる場所などありません。公園のテントで生活していた頃から比べたら、体のしんどさは比較になりません。疲れもたまっています。駅の地下の商店街が夜の10時に閉店してから、地下鉄の入り口シャッターが閉まる12時までの2時間だけ、少しは暖かいところで休もうと、いつものように駅の地下の場所にいきました。すると見慣れない警備員が来て言いました。『ビルの清掃、またテロ防止の観点からも、今日からここでは眠れない。警察とも協力して今後はそのように対応する』と真冬の街に追い出されてしまいました。一日のうちで、温かい場所で横になって休む唯一の機会、わずかな2時間という機会さえもが取り上げられてしまったのです。疲れて…寒い…。生きられるのか…」

【 渋谷地下追い出しへの抗議 】
 これは単なる想像ではなく、昨年12月2日、この厳冬期に地下鉄渋谷駅で実際に起きた出来事である。
 今回の追い出しの当事者である東急電鉄に対しては、直ぐに「厳冬期の事前通告なしの突然の追い出し」に「死んでしまう!」という必死の抗議を行った。「のじれん」をはじめとし、山谷や隅田、その他全国の野宿者運動団体や支援団体、一般の賛同団体・個人、フランスや韓国、フィリピンなど海外の賛同団体も一丸となっての抗議であった。

 現在も状況は予断を許さない状態である。実際にこの1月半ばには、追い出された仲間のうちの一人、60代の男性が凍死した。その男性については「まだ渋谷に来て日が浅いみたいで、駅地下から追い出された後に、途方にくれて寝場所をうろうろ見つけているようだった」と別の仲間が教えてくれた。まさに「移動型」の野宿者が排除の末に「気付かれずに野垂れ死にする」という懸念された事態が起こってしまった。テントもダンボールハウスもないから問題は見えにくくなって、問題が解決したかのような印象を与えるその裏で、現実に悲劇は起こり続けているのである。

ホームレス問題は構造問題である
 昨年12月、東京都は「住居喪失不安定就労者サポート事業」を2008年4月から開始することを発表した。「住居喪失不安定就労者って何? これ訳したらホームレスでしょう? 普通に」というのが第一印象であった。しかし東京都は「住居喪失不安定就労者」とは「インターネットカフェや漫画喫茶等で寝泊りしながら不安定な雇用形態で就業する住居喪失者」であると定義している。どうやら「住居喪失不安定就労者」と「ホームレス」とは違うらしい。もちろん、欧米ではこのような「住居喪失不安定就労」の人々は文字通り「ホームレス」と定義されカウントされる。
日本政府が発表する「ホームレス数」が欧米のその数と比べて、桁違いに少ないのは、この定義の違いによる。日本はホームレスが少ないというのは大嘘である。むしろ先進国の中で、本当に路上生活をしている人の数が東京ほど多い都市もないというのが事実である。東京都の役人は、もし欧米人にこの「住居喪失不安定就労者サポート事業」を説明しなければならないとしたらどうするのだろうか? 「彼らは、住居喪失不安定就労者で、ホームレスではないから…?」とても英語には訳せない。
 ホームレス問題を狭義の野宿者問題に限定することで、「これは特殊な人々の問題で、構造的な背景はないのですよ」というメッセージを暗に流布させようとしている。ホームレス問題は明らかに失業問題、労働問題を含む「貧困」の問題であり、社会構造の問題である。野宿者とネットカフェ難民の間に本質的な違いはほとんどないのである。
 派遣法の度重なる改悪によって、ここまで劣化してしまった労働環境の中、若年層をはじめとして1600万人を超える非正規就労の人々がいる。かれらの多くは「不安定で低賃金」の状態に置かれている。「まだ若いから、助けてくれる家族がいるから…」問題は顕在化していないが、この人々が単身のまま高齢化していった時に何が起こるのか。かつて1990年代に「寄せ場」からはじかれた高齢の元日雇い労働者が路上に出ざるを得なかった事態が、はるかに大きな規模で進行しているのではないかという危惧を感じるのは間違っているだろうか。新自由主義的な風潮が顕在化し始めた1998年以降に自殺者が急増していることも決して無関係ではない。貧困は確実に広がっている。そして人々の生活を、心を追い詰めている。「路上か自殺か!」「生きられない!」そんな社会のどこが豊かなのだろうか?
 若者の半分以上が不安定な非正規就労に落としこめられている社会に、未来などあるはずがない。