【社会司牧通信 140号 2007/10/15】

阿部 慶太(フランシスコ会)
 生野区の地域活動は、識字活動にとどまらず他の分野の活動にも及び今日に至っています。前号でお伝えした「いくのオモニハッキョ」は、聖和教会の礼拝堂を教室にして始まりましたが、これが既成事実となり、教室として使用しない日中の時間帯、礼拝堂で学童保育が行われるようになりました。

 礼拝堂を地域活動に使用する決断をしたのは、当時の聖和教会牧師の妹尾活夫師でした。彼を筆頭に、地域活動での必要性を訴え続けた「生野地域問題懇談会」(現・生野地域活動協議会)や地域に関わる人々の熱意と働きかけで、聖和教会を母体として、聖和共働福祉会が、そして聖和社会館が設立され、地域の二一ズに応える事業が展開されるようになりました。

 これらの出来事は地域の各キリスト教の教会施設の利用の拡大にもつながっていきました。プロテスタントの聖和教会はじめカトリックでは生野教会などで、地域活動に場を提供するということが日常的に行われたことから、地域の教会のモデルとなったからです。

 教会が場を提供する必要性に迫られたのは、1970年代後半の生野の地域性も無関係ではありません。現在も生野区は、ヘップサンダルなどの中小の家内工業の工場などの多い地域で、活動のためのスペースや多目的に使える公民館などの場が少ない上に、これらの公共施設は活動拠点を常設できず、時間制限もあるため、生野区内でゆとりある空間があったのは、礼拝や聖書研究以外に空いていた教会くらいしかなかったからです。

 こうした教会関係の施設が地域活動の場になり、その活動が福祉法人化へ至るなどのケースは、日本など非キリスト教国において、教会が地域に関わる方法として「場の提供」がポイントになることを示しているといえます。地域に関わるためには、活動拠点の確保が大きなウエートを占めるからです。

 教会関係のこうした使用は、生野の地域活動のグループに活動の場を確保し、NGOから地域に密着した福祉事業まで様々な活動が展開される基盤を作ったといえますし、生野オモニハッキョなどを通じて集まった人材が、聖和社会館や生野地域活動協議会などの設立で働きの場を得て、地域に人材が残った点でも果たした役割は大きいものがあったといえます。
 さて、生野の地域活動は自主活動のものが多く、前述の生野オモニハッキョにしても自主活動で30年間続いてきました。自主活動で資金的に余裕がなくても、聖和社会館や教会などが会場、機材を破格の条件で賃貸するなどで運営されています。また、法人のように規定もなく、活動内容も体系化されないため、自由な発想や方法で活動を続けることができたといえます。

 30年の歳月は様々な分野の活動を生み出しました。学童保育から青少年のための活動、ハンデキャップを抱える人のための諸活動、生野という地域性を反映し、在日1世の歴史の聞き取り調査など地道な活動まで幅広い分野に及びます。そして、近年増えたのが介護関係の地域活動です。社会福祉法人から自主活動まで形態は様々ですが、ニーズに応じて内容もチェンジする小回りのきく活動形態に特徴があります。

 地域のニーズに対して、CBO(地域活動団体)の働きは、地域の当事者達が地域問題に対し、草の根レベルで関わる点で重要な意味を持っていますが、生野のオモニハッキョをはじめとする地域活動も地域のニーズと声に住民が応えてスタートし、そこから年月を重ねていったのと、人材を育てながら続いてきた点で、地域に根を下ろした活動ということが言えます。

 さらに、在日・滞日外国人が居住する地域での活動モデルとしても生野の地位活動の30年は地域活動の歴史だけではなく、教会が地域の中で果たす役割は何か、また、時代の流れにどう対応するのか、についても様々な事例を示してきたといえます。
(取材協力/生野オモニハッキョ、聖和社会館)
『生野オモニハッキョ 30周年記念文集』
年内発行予定です。予約受付中。
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生野オモニハッキョまで 
聖和社会館内 06-6741-0650