【社会司牧通信 139号 2007/6/15】
 
 
 『ミリキタニの猫』。この風変わりなタイトルの映画を見に行ったのは5月末の雨の日のことだった。きっかけは、この映画の配給会社から来た1通のメールだ。
 「本作はカリフォルニア、ヒロシマ、ニューヨークと、国境を越えて数奇な人生を生きた80歳の日系アメリカ人路上画家ジミー・ミリキタニの魂の軌跡を追った、ドキュメンタリー・ロードムービーです。
 このドキュメンタリーが捉えている人々と彼等をとりまく世界は、今日の社会に生きる私たちに多くの事を問いかけています:繰り返される戦争とそこに暮らす人々、忘れてはならない原爆の記憶、日系移民と強制収容所、都市に生きる高齢のホームレスと彼等を取り巻く社会保障システム、平和活動においてアートの持つ可能性、そして人々が絆によってより幸せに暮らせる世界…。
 こうしたテーマに対して常に関心をお持ちの皆様方にこそ、私たちはこの映画を見ていただきたく考えております」
 NGO・NPO関係者に宛てて出されたこのメールの宣伝文句に惹かれて―というよりも、『ミリキタニの猫』という奇妙なタイトルに、ファンタジーを感じて、そしてもちろん、「無料招待」という言葉に魅力を感じて、見に行った。渋谷の繁華街の一角にある、30人も入れば一杯の小さな試写室で見たこの映画は、結論から言って、抜群に面白かった。
 「ミリキタニ」とは、主人公の80歳の日系人画家、ジミー・ミリキタニのこと。漢字で「三力谷」と書く。カリフォルニアで、日本人の母親とアメリカ人の父親の間に生まれたミリキタニは、第二次大戦中に日系人収容所に入れられる。そこで米国市民権を捨てるよう強制されたミリキタニ。
 母親を広島の原爆で亡くし、姉とも離ればなれになったミリキタニは、放浪の末、2001夏、ニューヨークの路上で暮らしながら、独学で学んだ絵を描いて暮らしていた。彼の描く絵には、二つの大きなテーマがあった。一つはネコ。そしてもう一つは日系人収容所や広島原爆の絵だ。彼に興味を持った女性映画監督は、9.11事件が起きて、路上で絵を描けなくなったミリキタニを引き取る。映画監督はミリキタニが福祉を受けられるように役所と交渉したり、親族をさがしたりする。そうして、ミリキタニの波瀾万丈の人生が明らかになっていく。
 この映画は、宣伝文句にあったように、「9.11」「原爆」「日系人の強制収容」「高齢者のホームレス」「平和運動とアート」など、さまざまな社会問題を考えさせてくれる。だが、私がこの映画を見て一番心打たれたのは、「人々が絆によってより幸せに暮らせる世界」だ。路上でミリキタニが出会う日系人の大学教授。かつて暮らしていたアパートのドア・マン。女性監督が探し出した姉や親族の女性との再会。福祉事務所の努力によって入居できたケア付きアパートで、ミリキタニから絵を習う老人たち。戦争によって奪われたミリキタニの、隣人たちとの「絆」が、一つひとつ結び直されていく。それを可能にしたのが、女性監督とミリキタニとの心の交流だ。

 ドラマチックなドキュメンタリーではない。唯一劇的なのは、ラストでミリキタニが50年ぶりに収容所跡を訪れる場面だ。そこでミリキタニは、収容所の風景を、改めて淡々と描く。声高な反戦の主張ではないが、戦争が彼にもたらしたものを、改めてじっくりと考えさせる、印象的なシーンだ。

 それにしても、こういう映画を作る米国人がいることに、感動する。ひるがえって、「従軍慰安婦はいなかった」「沖縄の集団自決は強制ではなかった」と、政治家や学者が堂々と発言する、今日の日本。日本が行った戦争が、人々の暮らしに何をもたらしたのか。じっくりと考え直してみたい。

【イエズス会社会司牧センター/柴田幸範】






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