【社会司牧通信 138号 2007/6/15】
 
 今年4月に当センターが発行した小冊子、『心の悩みを受けとめるために』は、おかげさまで1000部増刷し、発行部数は全部で1700部となった。この小冊子の発行のため、執筆者チームは2年以上、準備してきた。私もチームの一人として、心の悩みに関する本を読みあさったが、そのほとんどが当事者の側に立って、現代社会でなぜ「心の悩み」が大きな問題となっているかを説明するものだった。その中で本書、『親と離れて「ひと」となる』は、珍しく、ひきこもりの若者たちの自立支援をおこなう、支援者の側をレポートしたものだった。

 なぜ、当事者ではなく、支援者のレポートなのか。本書のカバーの推薦文には、こう書いてある。「引きこもり、不登校、ニート。原因探しはもういい。大事なのは、生きる場所を求め孤独にさまよう若者一人ひとりに、どれだけ大人たちが本気で向き合うかだ。本当の自立支援とは何か。等身大の真実を知ってほしい」
 この文章は、社会使徒職にたずさわる私にとって、非常に刺激的だった。なぜなら、社会使徒職の基本として、社会問題の構造的原因を探ることこそ、問題解決の鍵だと考えてきたから。だが、本書は「原因探しはもういい…どれだけ本気で向き合うかだ」と言うのだ。
 もちろん、原因探しをしなくていいというのではない。だが、現場から言わせれば、理屈だけでは人は救えないのだ。ある支援者は、こう言う。「学者や役人はいいよ。事例や統計からきれいな理論を作れる。だけど我々現場の実践者は、生きて変化する人間を毎日相手にしている。理論通りに行かないことなんてしょっちゅうなんだ」


  ある支援者は、自分のボスについて、こう言う。「理事長のやり方を身近で色々学ばせてもらったのは事実です…けど、それを私が真似ようとしても真似られるもんじゃない…だから、要点は押さえつつ、あとは手探りで作った自分流の方法論ですよ」
  たしかに、この本には、さまざまな土地で、さまざまなやり方で若者たちを支援する、いくつもの団体が紹介されている。富山の農村で、農作業と生活習慣の改善を柱に活動する団体。
東京で、生活習慣は本人に任せながら、空き缶回収やハウスクリーニングを通して、就労支援と社会への適応に力を入れる団体。奈良で、農作業や運動、礼儀作法をたたきこみながら、過疎の地域にとけこんで活動している団体。愛知で、ハウスクリーニングや競艇場でのおでん販売などを通して、対人能力の改善に取り組む団体。どれもユニークだ。
 もっと興味深いのは、かれらが20年以上前から情報交換や「業界」の発展のために、ネットワークを作ってきたことだ。彼らは若者支援を「ボランティア」とは考えていない。ビジネスとして成立しなければ、長続きも発展もしないからだ。だから彼らは、学者と協力しながら、行政にも積極的に働きかける。その成果が、2005年から9億8千万円の予算で始まった「若者自立塾事業」だ。若者の就労支援に当たるNPO、20団体に、若者一人3ヶ月の合宿生活に対して三十数万円の補助金が出る―というものだ。もちろん、3ヶ月では短すぎるのだが、これを突破口に、若者支援を重要政策の一つと位置づけさせ、支援事業の安定化を図ろうとしている。


 とはいっても、日々の活動は地道で、成果も遅々としたものだ。それでも彼らが自立支援に取り組むのは、なぜだろう。ある支援者はこう語っている。「私はまるっきり諦めてたから、驚きましたね。“ヘェ、人間って第三者の働きかけで本当に変わるもんなんだな”って思った。それで、こういう仕事も面白いかも、と」。最後は人間への興味なのかもしれない。

<社会司牧センター柴田幸範>