【社会司牧通信 138号 2007/6/15】
小暮康久(イエズス会社会司牧センター)
 現在、日本で暮らしているフィリピンの人たちの数をご存知でしょうか? 法務省入国管理局の最新の発表(2007年)によれば、外国人登録者数195,000人と、これに非正規滞在者28,000人(いわゆる、入国管理局やマスコミが不法滞在者/オーバー・ステイと呼称する人々)を合わせたおおよそ223,000人くらいのフィリピンの人たちが、この日本の社会で私たちの隣人として暮らしていることになります。
 しかし、実際にはこの数字に表れてこない人たちもいます。例えば、非正規滞在者の人たちのケースでは、その人の子供たち(日本で生まれた)はこの数字の中には入ってこないことが多いでしょう。また、例えばフィリピン人女性と日本人男性との間に生まれた子供たちで、国籍上は日本国籍を持つけれどもその後に両親が離婚したために、フィリピン人のお母さんと暮らしていて日常的・実質的にはタガログ語で生活している子供たちなどのケースもこの数字の中にはいってきません。そして、このように数字に表れてこない人たちのケースの多くは非常に厳しい困難に直面しながらこの日本社会の中で生きています。
 現在のグローバリゼーションや「移民」の問題点についてここで考察することは出来ませんが、今、滞日フィリピン人の子供たちが置かれている状況を少しご紹介したいと思います。
 子供たちに関する多くの相談や、私自身の彼らとの関わりの中で顕在化してきたことは、「彼らが日本の学校教育についていくことは、日本人が想像する以上に難しい」という事実です。そしてこれは滞日フィリピン人だけでなく、ブラジルやペルー、中国など、他の滞日外国人の中でも顕在化してきている共通の問題です。
 たとえ日本で生まれ育った子供たちであっても、両親ともが日本人の子供たちとくらべると、学童年次が進むにつれて学習に必要なための「国語力」に決定的な格差が生じてきます。ましてや、幼少期をフィリピンで過ごし、途中から日本に移り住んだ子供たちにとって、日本語の理解を前提として構成されている日本の学校の授業についていくことは非常に難しい(しばしば不可能なようにも思える)ことは言うまでもありません。
 そして、そのような状況に置かれている彼らをフォローする制度は、今現在は全くありませんが、彼らの両親の多くは経済的な余裕がない状態で必死に働いている(彼らの労働は実質的に日本経済の下支えをしているのです!)ために、子供の教育のために時間やお金を割いてやることができません。そして、日本の教育行政や、教育制度もこの「移民」に付随して起こってきている現実に対して、まったく対応し切れていないのが現状です。つまり彼らはまったく「放置」されているのです。「移民」という市場経済的原理に起因する世界的な現象の中で、彼ら滞日外国人の子供たちは、自らはその「移民」に関してなんらの意思決定の機会も持たない者でありながら、最もその影響にさらされている存在でもあるのです。
 その子供たちの視点から、今の日本の社会を見つめるとき、いかに「弱い立場にいる人々」が軽んじられ、無視されているのかがよく見えてくると思います。彼らとどう向き合っていくのかということは、日本の社会が「人が人として生きる権利=基本的人権」を築いていくことができるのか、競争原理の中で「弱い立場にいる人々」を無視し、切り捨て続けていくのかの試金石になると思います。そしてそれは必ず、日本人自身にも跳ね返ってくることは明らかです。「移民」の人々が人間らしく生きていくことのできる社会とは、私たち日本人が人間らしく生きていくことのできる社会でもあるのです。その意味で、これは私たち自身の問題でもあるのです。

●小暮さんはイエズス会神学生。今年4月から2年間の中間期をイエズス会社会司牧センターで実習することになった。