【社会司牧通信 138号 2007/6/15】
アンディ・アビン(イエズス会フィリピン管区神学生)
 東アジア・オセアニア地区の第10回イエズス会神学生ブラザー会議が昨年12月21日~今年1月6日、マレーシアのマラッカで開かれた。私たち参加者は、この会議の間に行われた体験・分析・考察の実りとして、行動計画を作成した(『社会司牧通信』137号参照)。私たちはロヨラのイグナチオの「magis(より大いなる)」の精神に触発されて、養成中のイエズス会神学生の仲間たちにインスピレーションを与えようと考えた。というのも、私たちはこの会議で、イエズス会の社会使徒職、とりわけ移民の世話に参加することを決議したからだ。
「東アジア・オセアニア地区のイエズス会が行っている社会使徒職の豊かさのゆえに、SBC参加者は、イエズス会の既存の社会使徒職組織に積極的に参加する。…イエズス会や関係機関の信徒協力者と共に働くこと。…そうした活動の成功に学び、伝統的な家父長制や制度の障害を克服すること」(第10回SBC勧告、4-4.2)
 これに加えて、私がクアラルンプールで体験した、移民労働者との意義深い現場体験から、私はさらに深い体験をしたいと思うようになった。こうして、私は一人のフィリピン人として、移民というチャレンジを心に留めようと、夏休みの体験学習を、移民労働者―特にフィリピン人労働者―と共に働くことにした。

 体験学習の具体的な方法については、実際にいろいろな選択肢がある。だが、フィリピン人労働者の最大の受け入れ国の一つである、日本に行くという選択肢は、最善の方法のように思われた。私は、このことを体験によって確認した。もちろん、私をあたたかく歓迎し、体験学習の間中、親身に世話してくださった、イエズス会日本管区の寛大なご配慮は言うまでもない。なによりも、日本で滞在したり、訪れたりしたイエズス会のコミュニティで、私はイエズス会の国境を越えたきずなを実感した。そしてもちろん、カトリック東京国際センター(CTIC)での有意義な体験のおかげで、私の体験学習はとても実り豊かで、忘れがたいものとなった。
<右から二人目が筆者>
  ●CTICでの体験
 イエズス会東アジア・オセアニア地区の責任者、アドルフォ・ニコラス神父のおかげで、私はCTICとコンタクトを取ることができた。CTICは東京教区のセンターだが、設立当初の時期に、ニコラス神父が先駆者の一人として活躍したことから、イエズス会の影響も見てとることができた。とはいえ、CTICは今では、自分自身の活動体験に基づいて、移民の問題について堂々と意見を述べている。
 CTICは、あらゆる移民の社会的・精神的ニーズに応えるだけでなく、日本人のニーズにも応えて
いる。CTICの支援する対象は、特定の国籍に限らず、あらゆる人種、宗教に及ぶ。
 私がCTICの三つのオフィス―目黒、千葉、亀戸―で働いていた間、結婚や親子関係、出入国その他の問題で、法的援助やアドバイスを求めに、オフィスに電話をかけたり、訪ねてくる相談者たちと接する機会があった。私が感動したのは、大部分がボランティアであるCTICスタッフの、一人ひとりの相談者に対するケアだった。特に、スタッフたちが相談者の母国語を使って相談に応じたり、無料で質の高いサービスを提供したりしているのには、感激した。私は、相談者たちがオフィスを出るときにもらす安堵のため息から、彼らの苦痛や重荷がいかに軽くなったかを感じ取ることができた。
 だが、CTICは、オフィスの部屋の中だけで仕事をしていてるのではない。私は体験学習の間に、スタッフといっしょに、収容所に入れられた外国人労働者を訪ねる機会を得た。千葉警察署に拘留されていたフィリピン人女性を訪ねたときには、彼女と一面識もないのに面会に来た私たちが、彼女の物質的ニーズと法律上の問題の両方に対して、援助しようとする姿を見て、私の同胞である彼女がどれだけ希望を持ったか、実感することができた。拘留者に「認められた面会時間」の範囲内での、ごく短い時間、話していたときの彼女の顔は、感謝で輝いていた。品川の外国人収容所を訪ねたときも、同様のことがあった。収容されている外国人たちは、自分と同じ国の人や、少なくとも彼らのことを一般の日本人よりもよく分かる人が面会に来てくれて、彼らの苦境に関心を寄せてくれるのを見て、喜びに顔を輝かせるのを見た。
 それでも、私のような一人のフィリピン人にとって、私が体験学習の間に行った、最も感動的なCTICの活動とは、東京や埼玉、千葉県のいろいろな教会のフィリピン人コミュニティに対する司牧的世話だ。たとえば、東京の赤羽教会や小岩教会、千葉の豊四季教会や松戸教会を訪ねて、聖体祭儀を行ったときには、私は同胞の移民労働者たちが、どれほど霊的な食べ物に飢えていたかを思い知った。彼らが、ただミサに与るためだけに、仕事などの果たすべき務めを休む許可をもらって、遠くからはるばるやって来たのを知って、彼らがどれほど切実にミサに与りたいかを知って、感動した。彼らは、イエスが群衆を指して言われた「羊飼いのいない羊の群れ」のように思われた。彼らは、神のみ言葉と聖体に飢えていたのだ。
 同じことは、イエズス会の安藤勇神父と小暮康久神学生が働いている東京・梅田教会でのミサを見たときにも感じた。他に訪ねた教会と同じように、たくさんの同胞たちが教会に集まっていた。中には、日本人の夫や家族を連れてきていた人もいた。
 あるとき、日本に来てはじめて、フィリピン語で行われたミサを聞いて、とてもびっくりした。あとになって、日本には大きなフィリピン人コミュニティがあるので、日本の多くの教会でフィリピン語のミサが定期的に行われているのだと分かった。さらに、私が気づいたもう一つの興味深いことは、フィリピン人コミュニティが行っているミサの、全部ではないにしても大部分で、感動的なフィリピン語の典礼聖歌が生き生きと歌われていて、集まった人々全体が盛り上がり、本当の意味での祝祭となっていたことだ。実に、外国の地にあっても、フィリピン人たちは聖体祭儀を通して一つになっていた。

  ●評価と振り返り
 しばらくの間、移民―特に日本に住む私の同胞たち―といっしょに働いてみて、彼らの状況をよりよく理解することができた。彼らが、自分自身だけでなく家族にも悪影響があるにもかかわらず、なぜ異国の地で働き続けるのか、その理由を垣間見た。また、私は彼らの嘆きや心配、喜びや笑い、希望や願い、口に出されない深い望みやニーズを聞くことができた。
私にとって、彼らといっしょにいること自体が、すでに価値ある体験だった。
 今日、移民たちは、その嘆きに耳を傾けられるべき貧しい人びとと見なされる。彼らは、慣れない異国の環境にあって、「最も小さな、最下位の、絶望的な」(least, last and lost)人びとと見なされる。彼らは故郷を懐かしんでいるが、それでも異国に留まって、祖国に家を建てるためにがんばり続けなければならない。SBCのある参加者は、会議のときに、移民を「現代の奴隷」と呼んだ―もっとも、この側面はそれほど表立って現れておらず、日本の移民には当てはまらないが。人生のさまざまな条件が重なって、彼らは選択の余地なく移民となって、また別の困難に苦しまざるを得なくなっているのだ。
 だが、彼らの状況は絶望的ではない。CTICやイエズス会の安藤神父たちのような、惜しみない善意の働きは、彼らの問題を軽減させることができる。彼らのニーズを世話し、助けることで、彼らは故郷から遠く離れた日本に、もう一つの故郷を見つけ、植え替えられた土地で花を咲かせる。実際、彼らは、共に暮らす日本社会にとって、インスピレーションとよい影響をもたらす者となり得る。たとえば、あるフィリピン人コミュニティは、その団結と相互奉仕の姿勢で、私を感動させてくれた。
彼らの友情は、愛と思いやりに基づいたキリスト教共同体を築き、信者でない人びとにさえ、同じような共同体を作ろう、という思いを抱かせるのではないかと思う。
 今回の体験は、SBC会議でのグループ別の考察で、移民を「聖体の人びと」と見なしたことを、再び思い起こさせてくれた。彼ら移民は、「いのちのパン」のように、社会の状況によって割かれて、砕かれている。だが、彼らは自分自身を分かち与えることによって、苦境をものともしない信仰のわざと親切な振る舞いによって、他の人びとを養い、生かしているのだ。
 だから、私が養成中のイエズス会神学生として、移民たちの問題を取り扱って、彼らに奉仕することは、福音宣教の一つの効果的な方法となり得る。日本を例にとれば、敬けんなカトリック信者である移民の妻を通して、日本人の夫や家族洗礼を受けるというようなケースだ。さらに、私が思うに、多くの非信者は、移民の信者たちのコミュニティの団結と喜びに魅了されるだろう。
 私は修道者として、信仰を広める企ての最前線にいる移民たちを支えることで、彼らが担う福音宣教の仕事を支える役割を果たし得る。他方、私は福音宣教の主要な担い手である移民たちを霊的に育て、支える、謙虚なしもべでありたい。これは、どんな形であっても、主の大いなる栄光のために奉仕することなのである。