【社会司牧通信 137号 2007/4/15】
 
 3月2日の夜、東京・新宿区内のプロテスタントの教会で、韓国人元「従軍慰安婦」の李容洙(イヨンス)さんの「トーク&コンサート」が開かれた。イヨンスさんは、1944年秋、15歳の時に韓国・大邱(テグ)から日本軍によって連れ出され、台湾の「慰安所」で働かされた。故郷に帰ったのは46年春だった。92年、63歳の時に「慰安婦」だったと名乗り出て、以来、韓国国内だけでなく、日本、アメリカ、カナダ、フィリピン、台湾などで証言と抗議の活動を続けている。今年の2月には、米国議会の公聴会で証言し、3月には「従軍慰安婦」の強制性を否定した、埼玉県の上田知事に面会するなど、精力的に活動を続けている。
 この夜の集会で、自らの本『蓋山西とその姉妹たち』を販売していたのが、班忠義(バンツォンイ)さんだ。バンさんは1958年、中国生まれ。82年に大学を卒業後、来日して、上智大学と東京大学の大学院で学んだ。92年末に東京で開かれた、中国人元「従軍慰安婦」の証言集会で、はじめて中国人の元「従軍慰安婦」と出会い、衝撃を受ける。以後、数度にわたって中国・山西省を中心に、元「従軍慰安婦」の女性たちの聞き取り調査をおこなってきた。2006年に本書を中国と日本で出版、同時に、自ら監督した、同名の長編ドキュメンタリー映画も完成した。映画はロードショー公開されており、各地で自主上映の動きもある。
 「蓋山西(ガイサンシー)」とは「山西省一の美人」という意味。対日戦争中の山西省で共産党員として活動していて、日本軍に強制連行され、「慰安婦」として働かされた、ある女性の呼び名だ。彼女は、イヨンスさんのように、日本に証言に来ようとしたが、事情があって果たせず、94年の春に亡くなった。バンさんは、ついに会うことのできなかったガイサンシーの生涯を山西省で追いながら、日本軍の「性奴隷」として働かされたために、後々までつらい生涯を送ることになった、多くの中国人女性たちの事実を、10年をかけて明らかにする。
 バンさんは同時に、中国で戦闘に従事し、後に日本に帰国して、自分たちの戦闘体験を証言している元日本兵たちにも会い、その証言を記録している。バンさんは決して、日本を激しく糾弾していない。自分もレイプや生体解剖をしたと認めた日本兵たちにも、「かれらもまた、ガイサンシーたちと同じ戦争の被害者かもしれない」と、あたたかい眼差しを向けている。ジャーナリストとして生きるバンさんの、「真実を知りたい」という粘り強い努力と、一人ひとりの人間としての生き方に対する尊敬が、辛い事実であふれている本書を、どこか後味のよいものにしている。

 米国議会で審議されている、日本政府の「従軍慰安婦」に対する取り組みの不十分さを非難する決議案に対して、安倍首相は再三にわたって、「従軍慰安婦に強制性はなかった」と発言し、日本やアジアの市民運動だけでなく、米国の政府関係者からも批判を受けている。歴史資料の解釈になると、ほとんど神学論争に等しい困難な議論が続く。ただ、はっきりしているのは、イヨンスさんのような被害者本人を前にして、良心に恥じない発言をしてほしい、ということだ。「自分はレイプや生体解剖をした」と、恐ろしい罪を告白した元日本兵の勇気を、無駄にしないでほしいということだ。真実から目を背けることで守られる「国家の品格」とは何だろう?

<社会司牧センター柴田幸範>

 映画『蓋山西とその姉妹たち』ホームページ