【社会司牧通信 137号 2007/4/15】 |
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トマス・ニャララムクラト(イエズス会) | |||||
イエズス会東アジア・オセアニア地区の、第10回神学生ブラザー会議(SBC)が、2006年12月21日-2007年1月6日、マレーシアのマラッカで開かれた。会議には、東アジア・オセアニア地区のさまざまな管区から、神学生30人と養成中のブラザー(以下「ブラザー」)2人が参加した。ビザと出国制限のため、中国と東ティモールの代表が参加できなかったのは残念だった。日本からは神学生のトマスとブラザー村岡が参加した。今回のSBCのテーマは「移民と都市化」(migration
and urbanization)。ジョジョ・ファン神父とポール・ダス神父が会議の進行を手伝った。 10回目を迎えるSBCは、移民という問題を、 |
イエズス会の霊性の主な源泉である福音、霊操、会憲のなかに位置づけることから始まった。 イエズス会東アジア・オセアニア地区の社会使徒職事務局長、ポール・ダス神父は、イエズス会の社会使徒職におけるミッションのモデルを発見する手段として、会員の個人的な召命や、会の共通理念、識別の基準、使徒的な力と共に、これらの霊的な源泉の根底にある枠組みを提示した。 社会的な関わりの一つのモデルとして、霊操は四つの段階からなるプロセスを示す。体験、分析、考察、行動だ。それぞれの段階を考察することによって、イエズス会員が社会使徒職に関わる動機と正当性が理解される。 |
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<体験> 体験は、霊操をおこないながら社会で働くイエズス会員の出発点だ。その中心的な二つの要素は、体験学習(exposure)と「現場に入ること」(immersion)だ。体験学習をおこなうためには、快適な暮らしから一歩踏み出して、読んだものや見たもの、聞いたものに心を動かされることが必要だ。この体験学習をさらに進めたのが、「現場に入ること」だ。それは、新しい環境にすっぽりと包まれることであり、それによって、来るべきもう一つの世界を内側から理解することが可能になる。その一番の成果は「自分のこととして感じること」(empathy)だ。 <分析> 体験はイエズス会員を「なにが?」という質問へと向き合わせるが、「なにが?」の因果関係について理解するには「なぜ?」という質問が必要だ。分析とは、複雑な質問や論理、批判的考察を、それに先立つ体験のさまざまな要素にあてはめてみることだ。「なぜ?」というの質問の成果は、ある特定のできごとや環境、状況の因果関係についての意識が高まることだ。こうして、体験と分析はイグナチオの霊操のもっとも重要な手段となる。 <考察> 考察とは、複数のイエズス会員がそれぞれ得た知識を持ち寄り、祈りのうちに考える段階だ。この段階では、イエズス会員は聖霊の動きに心を開いて、聖書についてのイグナチオのさまざまな考察や自分自身の物語を、手段として用いる。この聖霊の動きとは、より大いなる善のために、より普遍的な利益のために、より多くの人々のより緊急な必要のために-つまり「マジス」(より大いなる)に奉仕 するものである。 <行動> 行動は、神のみ言葉と祈りに基づいて、神のみ旨を識別することから生まれる。ある特定の行動が、必ずしも世界を変えるものである必要はないが、具体的な関わりこそ重要である。この四番目の段階は、社会使徒職の分野で広く見られる、人々の疎外や周辺化(marginalization)の問題に、私たちをより深く立ち入らせてくれる。 このように、第10回のSBC会議がダス神父によるイエズス会社会使徒職のモデルに従って進められたのと同じ方法で、第10回SBC会議の成果を、次の四つのカテゴリー:体験、分析、考察、行動から考察してみたい。 |
「現場に入る」プログラム その次の体験プログラムは、全参加者を対象とした「現場に入る」体験だ。ポール・ダス神父が採り入れたこのプログラムの目的は、参加者が移住労働者と一緒に過ごすことで、移民の現実を、それぞれが移民についての研究から得た分析的手法へと採り入れることだった。ポール・ダス師によれば、言葉の壁を乗り越えることができないことこそ、この体験のもっとも重要な部分だ。言葉のハンディキャップは、他国で暮らす移民の現実を、参加者に体験させた。ポール神父はまた、参加者に対して、それまでの移民との関わりから抱いた偏見や思いこみをすてて、この体験に参加する必要があると強調した。参加者はさらに、この体験が私たちの霊的生活にもたらす影響を正しく評価するために、「五官を働かせる」よう期待された。 現場に入る体験の間、私たちは四つのグループに分かれた。ベトナム人の神学生たちは、ポール・ダス神父と一緒だった。三人のインドネシア人神学生からなる別のグループは、フローレスからやって来た、カトリックが中心のインドネシア人移住労働者のコミュニティに参加した。三番目のグループは、ポルト・クランというところのテナガニタというNGOが組織したコミュニティを訪ねた。 |
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残りの多くの参加者は、マレーシアでJRSのカウンターパートとして活動している組織が世話している、クアラルンプール市内の移住労働者のさまざまなコミュニティを、分散して訪問した。 私たち参加者は三日間にわたって移住労働者と一緒に過ごし、交流する機会を持った。私たちは厳しい生活に苦労する一方で、かれらの寛大な親切に深く心うたれた。私たちは、言葉の壁をのりこえて、かれらと語り合った。かれらと共に食べ、かれらのつつましいクリスマスのお祝いに一緒に参加した。私たちは、かれらの確固たる信仰と、生活の困難を粘り強く克服しようとする態度に感動した。かれらの話を聞いて、私たちはこう自問せずにはいられなかった。「かれらはなぜ、こんな目に遭わなければならないのか?」 マラッカまで帰る途中で、私たちは小休止して、次の問題を考える時間を与えられた。「この移民たちとの体験は、私にとってどんな意味があるのだろう?」私たちの「現場に入る」体験を振り返るプロセスは共同でおこなわれ、それぞれがこの短い「現場に入る」プログラムで体験したことを、互いに大いに学び合うことができた。こうして、私たちは自分たちの体験を語り、それが私たちにどんな影響を与えたかを報告した。このプロセスの中心的な要素は、状況を社会的・文化的・経済的・政治的構造の観点から批判的に分析することだ。私たちはさらに、感情的な面でも、移民の問題の宗教・信仰の側面に注目した。こうして、私たちは頭の中の知識と心の動きを一つにまとめることで、前進することができた。ダス師が、この体験の効果を要約して述べたのは、次のことだ。クアラルンプールやジョホールの移住労働者のグループの「現場に入る」実体験を通して、移民たちの問題に対する私たちの「同情」が、ほんとうに「自分のこととして感じる」レベルにまで深まった。この「自分のこととして感じる」ことこそ、イエズス会員を「移民や避難民の悲惨な状況を、自分自身のものとする」関わりへと駆り立てる原動力だ。思うに、こんな「現場に入る」体験をするのに、クリスマス以上に適当な時はない。なぜなら、クリスマスとは、私たちを愛するあまり、私たちの悲惨な世界に深く入り、私たちと共にあり、私たち人間の一人となられた主キリストの、受肉を祝う時だからだ。移民の「現場に入る」私たちの体験は、こうしてキリストの降誕のより深い意味を発見させてくれた。 |
この資本主義イデオロギーの結果として、人間生活のあらゆる側面が効率性と経済性の基準で計られるようになっている。アイリーン博士はグローバリゼーションから生じるさまざまな問題について指摘したが、その中には、労働者を売買の対象として扱う「労働の商品化」の問題も含まれていた。このグローバリゼーションの第三波は、行き過ぎれば、個人の人権や尊厳さえも奪ってしまう。グローバリゼーションはまた、特に貧しい人々や発展途上の国々に対する新たな差別や暴力をもたらした。新自由主義的傾向をもつグローバリゼーションは、規制緩和と公共部門の民営化をもたらした。こうした規制緩和や民営化は、さまざまな経済部門で効率アップを実現する一方、水のような基本的生活必需品の商品化をも招いた。このように、生活全体が経済性によって支配された結果、基本的な生活必需品を確保することさえ、経済状態に左右されることになってしまった。 アイリーン・フェルナンデス博士は、移民の一つの要素としての人身売買の問題を、分析することが重要だと強調した。人身売買とは現代の奴隷制であり、人々は売春や債務労働を強制され、赤ちゃんの誘拐や売買さえおこなわれている。貧しい国から豊かな国へと嫁いでいく女性たちの多くは、自由のないメイドとして働かされている。私たちはまた、移住労働者権利条約や世界人権宣言などの文書を読むよう勧められた。アイリーン博士は、移民の権利を保護するにあたって、かれらの特定の人権が侵害されている点をはっきりさせるべきだと強調した。 アイリーン博士は、講義やグループ討論、フィードバック、個人的な分かち合いなどを通して、情報を提供してくれた。こうして、参加者たちは討論と対話に参加する機会を与えられた。
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ジョジョ師は、アジアにおける「アナゥイム」(私たちの中の貧しく、疎外された人々)との具体的な出会いから生まれる、ユニークなアジアの神学の必要性を強調した。ジョジョ師は、こうした神学的考察をおこなうにあたって、絵画や詩、歌によって神学の概念を表現する、テキストによらない神学のアプローチを指導した。こうした表現方法こそ、アジア神学の特長なのだ。 ジョジョ師は聖書を引用して、イスラエル人と他の民族との関係が、年を経て、どう発展していったかを浮き彫りにした。 ジョジョ師は、旧約・新約聖書に照らして移民の問題を提示した後、私たちを考察へと誘った。この考察は、移民のあらゆる段階に神がいかに現存してこられたか、そして今度は私たち自身が、移民のために、移民の前に現存することが、どれほど必要かを理解させてくれた。神は、あらゆる運動を指導し、ご自身に忠実な者に、寄留の生活を送る人々を導くよう招いておられる。神の変わることのない現存とは、絶えず移動しているご自身の愛する民に対する、神の絶えざる誠実さを表している。ある意味では、神ご自身もまた、私たちの一人ひとりと共に旅する「移動される神」なのだ。 |
<養成と養成共同体> 1.個々の神学生やブラザーは、イグナチオの心と第34総会の精神、総長の考えに従いつつ、自らのイエズス会員としてのミッションの養成や神学教育、全人的な発展に、個人的に関わり、意識的に責任を持つことができるよう、勧められる。このプロセスにとって明らかに助けとなる行動とは、以下のようなものである。 1.1.きわめて高い水準で以下のことを教える、厳密な学問的プログラム
1.2.移民や移住労働者、難民に関わる諸問題に関心を持ち、創造的に関わっていくイニシアティブを意識的におこなうことによって、若いイエズス会員たちの社会使徒職への関わりを再活性化し、会員に求められるミッションの養成と全人的な発展を助けること。イエズス会の既存の組織構造の枠内で機能するためには、そうしたイニシアティブは次のような形をとりうるだろう
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1.3.SBC参加者のチームからボランティアを募って活動グループを結成し、東アジア・オセアニア諸国で起きている人権侵害や移住労働者、難民関係の諸問題を、イエズス会内外で追究し、啓蒙すること <管区や共同体へのフィードバック> 2.SBC参加者はそれぞれのコミュニティに、SBCで得た移民や移住労働者、難民に関する情報や体験を、公式に伝えること。さらに、それが実践的あるいは効果的なものとなるよう、以下のことに努める。
<青少年司牧とキャンパス・ミニストリ> 3.勧告1の優先度と必要性に関連して、神学生やブラザーが青少年司牧やキャンパス・ミニストリ(大学司牧)に携わるところでは、そのイエズス会員は基本的人権の重要性と、そこから派生する移民や移住労働者、難民の諸問題について意識を促進する仕事をおこなうこと。この仕事が実践的で効果的なものとなるよう、以下のような方法でおこなわれるとよいだろう。
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<イエズス会の社会使徒職への関わり> 4.東アジア・オセアニア地区のイエズス会がおこなっている社会使徒職の豊かさのゆえに、SBC参加者は、イエズス会の既存の社会使徒職組織に積極的に参加する。
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