【社会司牧通信 136号 2007/2/15】
 
 こんにちの世界経済のキーワードは「グローバリゼーション」だ。だが、この言葉くらい評価の分かれる言葉も珍しい。安藤神父が参加した「世界社会フォーラム」と、その直後にスイスのダボスで開かれたビジネス・エリートの集まりである「世界経済フォーラム」とでは、正反対の評価が下されている。2004年にイエズス会日本管区で行った社会問題に関するアンケートでも、イエズス会の優先課題のなかで一番わかりにくいのが「グローバリゼーション」だという意見が多かった。グローバリゼーションとは何か? それは世界をよりよくするのか、それともより悪くするのか?
 本書は、こうした疑問に直接答えるものではない。そのかわり、1枚のTシャツの一生をアメリカ・テキサス州の綿農家から、中国の繊維工場、タンザニアの古着市場まで追いかけて、グローバルな貿易の実例を、生き生きと見せてくれる。
 そこにあるのは、単なる数字や経済理論だけではない。テキサス親子で三代にわたって綿を作り続け、今や綿加工工場の共同所有者になった、綿農家。農村から上海の繊維工場に出稼ぎに来て、低賃金ながらも、生まれてはじめて経済的自立を果たした中国人女性。安い中国製品から国内のメーカーを守るため、政治家たちと渡り合う繊維産業のロビイスト。救世軍などのチャリティ団体から古着を仕入れて、日本やアフガニスタン、タンザニアなど、世界中に輸出する、ニューヨークの親子三代続く古着業者。そして、タンザニアの首都の街頭で古着屋を開いて成功をめざす、農村出身の青年。
 誰にとっても、グローバリゼーションはよいものだとも、悪いものだとも、簡単には言い切れない。ただ一つ、確実に言えることは、グローバリゼーションとはかれらにとって、乗り越えなければならない現実だということだ。
 著者がグローバリゼーションの性質について明確に指摘していることが、一つある。少なくともTシャツの国際貿易に関して言えば、グローバリゼーションとは、自由市場におけるルールなき競争というよりも、市場競争を避けようとする政治的圧力のぶつかり合いだったということだ。しかも、こうした保護主義的な政策は、それを乗り越えるような技術革新の努力を求めて、結果的にはさらなる市場競争をもたらすことを、著者は各国の綿産業の反映と衰退の移り変わりから説明する。


 一つの商品をテーマに生産と貿易の仕組みを探る本書の方法論は、鶴見良行の名著『バナナと日本人-フィリピン農園と食卓の間』(岩波新書、1982年)や、村井吉敬の『エビと日本人』(岩波新書、1988年)を思い出させる。それほど鶴見氏や村井氏の著書は先を見通す目があったということだろう。とはいえ、国際政治・貿易のシステムがさらに複雑化し、グローバリゼーションの実体がますます見えにくくなっているこんにち、本書の意味は非常に大きい。ジョージタウン大学のビジネス・スクールで国際経済を教える著者のこの本が、全米の大学だけでなく、多くの高校でもテキストとして使われているのも、著者のライターとしての力をうかがわせる。大人から子どもまで、ぜひ読んでほしい本だ。

<社会司牧センター柴田幸範>