【社会司牧通信 136号 2007/2/15】
 
安藤 勇(イエズス会社会司牧センター)
 さる1月、国際社会の進路を決めようという、重要な二つの会議が行われた。その舞台は、ケニヤのナイロビとスイスのダボスという、対照的な二つの場所だった。話し合われた中身も対照的だった。ダボスでの議題は、グローバリゼーションや資本の自由な移動を促したり、修正したりするにはどうすればよいか、ということだった。他方、ナイロビでは、資本の厳格な規制や人の自由な移動が求められた。ダボスでは、経済人や政治家が密室で話し合ったが、ナイロビでは、世界中から4万2千人もの人々が集まり、グローバルな世界システムが、平和や安全や快適な暮らしではなく、よりいっそうの貧困や抑圧や軍事紛争を引き起こしている現実に対する不満を、自由に、オープンに表明した。ナイロビに集まった人々は、国際機関や政治家、経済人たちに操られ、だまされていると感じていたのだ。

イグナチアン・ファミリーの集い
 世界社会フォーラムに先立って、五大陸からナイロビに集まったイエズス会員が、3日間のミニ・フォーラムを開いて、アフリカについて学んだり、人々の暮らしに影響を及ぼす重大な国際問題について、知識や情報を分け合ったりした。1月17日までに、35ヵ国155人の代表が、ナイロビのヘキマ大学に集まった。イエズス会員だけでなく、イエズス会がはじめた仕事に協力している他の修道会員や信徒も参加し、1/3がアフリカ大陸からの参加者だった。ヘキマ大学で学んでいるイエズス会の神学生も、何人か参加した。
 どうして、こんなにたくさんのイエズス会員と信徒協力者(イグナチアン・ファミリーと呼ばれる)が、ナイロビに集まったのだろう? イエズス会員は、世界社会フォーラムをどのように考えているのだろう? ダボスの世界経済フォーラムは重要な会議だったにもかかわらず、私の知るかぎりでは、一人のイエズス会員も参加しなかった。なのにどうして、ナイロビにはこんなにたくさんのイエズス会員が参加したのか?

 3日間のイエズス会員の集いは、準備会議と全体会合、そして5つのテーマの分科会という構成で行われた。5つのテーマとは、アフリカ大陸の鍵であり、国際社会でも重要とみなされている、以下の問題だ。難民と移民労働者、HIV/AIDS、地域紛争、債務・貿易と政府、天然資源の搾取と貧困。
 イエズス会総長が開会あいさつを行う予定だったが、都合で出席できなくなり、かわりに特別メッセージを送った。

 「ナイロビで開催される第7回世界社会フォーラムの先駆けとして、イエズス会アフリカ・マダガスカル・アシスタンシーの主催で、アフリカ・マダガスカルの霊的・社会的変革というテーマで開かれる国際会議に、皆様をお迎えすることは、私にとって大きな喜びです。アフリカ全大陸とマダガスカル島、そして世界中から集まった参加者の皆様に、心からごあいさつ申し上げます。皆様方は、アフリカの伝統的なもてなしの心を体験できて幸運です!
 皆様方が慎重に選んだこのテーマは、全教会と共に、アフリカとマダガスカルの総合的な福音宣教(integral evangelisation)を分かち合いたいという、深い願いを表しています。この福音宣教は私たちに、信仰への奉仕と正義の促進への関わり方を刷新し、豊かな文化的多様性に対していっそう敏感になり、他の宗教に対してオープンであるよう求めるのです(第34総会第2教令、19)。
 アフリカ大陸の個人と社会の総合的な変革(integral transformation)を探求するにあたっては、まずアフリカ諸国の多くが直面している複雑で困難な状況を、心から理解する必要があります。20年以上前、第1回のアフリカ・シノドス(代表司教会議)に参加した司教たちは-後にはヨハネ・パウロ2世教皇自身も-アフリカの状況を、エリコに向かう途中に追いはぎにあって、身ぐるみ奪われ、殴られて、半死半生でうちすてられた男(ルカ10.30-37)にたとえました(使徒的勧告『アフリカの教会』41)。内外の新たな勢力が結託して、多くのアフリカ諸国の周辺化(marginalisation)を維持し、時には悪化させているのです。
 このアフリカの周辺化の状況を指して第34総会が述べた「嘆きの海」(第3教令、12)にも、子孫の未来をうちたてるために闘いつづける多くのイエズス会員とそのパートナーの、たくさんの命と希望のしるしが存在するのです(第34総会第3教令、12)。この集まりが、そうした希望を具体化し、アフリカとマダガスカルのイエズス会がアフリカの未来を築く意志があることを確認する、一つの重要なステップとして、画期的な意味があることを強調しておきたいと思います。
 皆様が開催する予定のさまざまな分科会は、アフリカのイエズス会-もっと具体的に言えば社会使徒職-が、多くの重要分野で行ってきた膨大な-そして時には知られざる-努力について、一つのアイディアを与えてくれます。それらの努力の一部を短く紹介するのは、重要なことでしょう。たとえば、イエズス会難民サービスの支援によって、何万という避難民や難民が付き添われ、教育を受け、多くの国際的な場で権利を擁護されてきました。紛争や戦争の難しい状況においても、仲介のためのさまざまな努力が行われてきました。ヘキマ平和研究所は、こうした和平仲介の努力を学問的な分野から前進させることをめざし、他の国際的な機関とのより緊密な協力関係を模索しています。国際債務の重荷や、不公正な貿易と勇敢に闘ってきた社会センターもあります。かれらは、民主的なプロセスを強化するために貢献し、自国の政府が共通善に責任を持つように働きかける努力をしてきました。AJAN(アフリカ・イエズス会AIDSネットワーク)は多くの個人の努力を強め、とりまとめ、AIDSの世界的な拡大に対する教会の取り組みを尊重し、なによりAIDSに苦しむ多くの人々に敬意をもって寄り添ってきました。最近では、多国籍業によるきわめて悪質な人権侵害に対して闘う社会センターやグループと、ヨーロッパや米国での啓蒙活動とを、より効果的につなげようという取り組みが始まっています。
 皆様が今回の集いの目的を説明する文章で適切に指摘しているように、「キリストのミッションに仕える者」となる私たちイエズス会員の使命(第34総会第2教令、1)は、奉仕という観点から、私たちの使徒職のアイデンティティを規定します。「イエスの伴侶であるがゆえにイエズス会であるとの私たちの自己理解は、私たちのミッションと切り離せない」(第34総会第2教令、4)。ラ・ストルタでのイグナチオの根本的な体験もまた、「ご自分の仕事が成就するまでイグナチオに同じ十字架を背負わせ、自らのミッションに奉仕するしもべとして共に働かせた」という主の招きでした(第34総会第2教令、4)。十字架を背負ったイエスに「付き従う」という召命はまた、こんにち十字架につけられ、見捨てられ、隅に追いやられている人々と共にあるように-という深い招きでもあるのです。イグナチオのこうした根本的な体験は、この霊的・社会的変革という、互いに密接につながりあった側面、あるいは次元をどう実現するかを考えるにあたって、私たちを導く指針となります。「わたしたちも人類家族が最も痛めつけられているところに、連帯と共感を持って共にありたいと望む」(第34総会第2教令、4)。
 最後に、私はあらためて皆様に感謝します。この集いにわざわざ参加してくださり、またこの集いの実現のために、たゆまず働いてくださり、ありがとうございました。この集いが皆様にとって、来るべき世界社会フォーラムに、公式に共同参加する上でよい準備となることを確信しています。そこでは、私たちが奉仕しているすべての人々の願いや、私たちイエズス会独特の行動様式(way of proceeding)が、力強く打ち出されるでしょう。
 最後に、励ましの言葉を贈ります。皆様、どうか社会的現実の変革に取り組むすべての団体や個人のきずなを強めるために、歩みを進めてください。皆様の間によりいっそうの協力と目的の一致とをもたらすような、広汎な意識を探求しつづけてください。そして、アフリカとマダガスカルのイエズス会が、かれらを取り巻く多様な文化や人々の豊かさと自信のど台の上に、本当の意味でアフリカ・マダガスカル的な会を築くよう努力しつづけてください。」


集いのプログラム
 この集いの特徴は、アフリカ社会の現実という文脈のなかで、イグナチオの霊性を深めることだった。イグナチオの霊性の基本は、イグナチオの霊操を実行することだ。霊操の基本は、人々の癒し手であるイエス・キリストの福音をラディカルな視点から見ることであり、貧しい人々が神の子としての尊厳を持つがゆえに、常にかれらの側に立って希望を与えるイエスの生き方を、霊操は強調する。霊操はなによりも、他の人や社会構造を変えようとする前に、自分自身が回心するよう教える。社会的現実の変革の出発点は、世界中の人々の現実を眺めるという神のわざに倣うことにほかならない。
イグナチオが霊操の第二週のもっとも重要な黙想の一つで観想しているように、三位一体は地球上の人々を見渡して、キリストを一人の人として遣わし、人類を救うことを決断した。この三位一体の決断は、「イエズス会は他者に奉仕するという挑戦に満ちたミッションを授かっている」という考察へと私たちをいざなう、ラディカルな決断だ。
 霊操は最後に、言葉よりも行いで、つまり神と隣人を「等しい者」として愛する行動によって、愛を生きるようにと招いている。この点についても、たくさんの議論がなされた:識別について、喜びや希望、絶望や失望などのさまざまな体験に注意を払うことについて、健全な選定について、共同体の建設や個人の尊重について、貧しい人とのよりいっそうの連帯について、などなど。困難な社会の現実に直面して、真理と客観的情報を探求すること、それを分析して他者への奉仕に役立てること、人々の体験に耳を傾けることが、非常に重要だ。
 午前中のセッションでは、アフリカのさまざまな報告者が、アフリカ諸国の社会的現実をイグナチオの霊操と対比しながら紹介した。植民地後のアフリカ大陸は、経済・政治・文化の領域での新しい社会問題に直面して、さまざまな解放運動を生み出してきた。一部の国では民主主義が生き延びているものの、いまだに植民地主義的やり方をひきずっている多くの新興独立国は、必要な変革を達成できずにいる。植民地勢力によって引かれた国境線は、いまだに国家の統一を危機にさらしている。午後のセッションでは、貧困や不平等、暴力紛争、天然資源の搾取、難民や移民労働者、HIV/AIDSの拡がり、女性差別、国家の債務や多国籍企業とその国際経済戦略の影響などについて非常に活発に議論された。

世界社会フォーラム
 世界社会フォーラムが始まる直前のナイロビでは、大混乱と情報不足が起きていた。たとえば、ケニヤ政府がすでに決まっていたフォーラム会場の使用許可を取り消し、直前になって新しい会場に変更するという事件もあった。とはいえ、1月20日、世界社会フォーラムの開会式が、モイ新国立競技場がある巨大な公園で、無事行われた。
 何万という人々が、ナイロビ市内からウフル公園まで行進した。人々は、踊ったり歌ったり、スローガンを叫んだりしながら、ナイロビ市内を抜けて公園に着き、小高い丘に囲まれた天然の円形劇場のような、巨大な中央ステージに、4万人もの人が集まった。壇上には、フォーラムの国際組織委員会と著名人たち-ザンビア前大統領のケネス・カウンダ、ノーベル賞受賞者のワンガリ・マアタイとデスモンド・ツツ主教-がのぼった。2000年にポルト・アレグレで開かれた第1回の世界社会フォーラムの提唱者と言われるチコ・ウィテカーが、アフリカでの最初のフォーラム開会を宣言した。 美しいモイ国立競技場の周辺で、連日、何百という分科会が開かれた。イエズス会の代表団は特別委員会を組織して、毎晩、イエズス会員が参加するとよい分科会をまとめたリストを配った。
 多くの分科会は実り多い議論の場となったが、報告者が欠席して、開催できない分科会も多かった。また、報告者が準備不足で、フラストレーションがたまる分科会もあった。私は、アジアからの参加者が開催した分科会を探して、ケニヤにおける日本のODAプロジェクトを扱った分科会(ATTAC Japan/市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシエーション)や、移民労働者の搾取と人身売買に反対する分科会(IMADR-JC/反差別国際運動日本委員会)などに飛び込んだ。移民労働者の分科会では、世界中の移民労働者が同じ問題に直面していると実感した一方で、日本・フィリピン両政府が交わした新しい協定によって、日本政府が何千人というフィリピン人労働者を受け入れる代償として、ルソン島に日本からの産業廃棄物を投棄することになったという事実を知った。
 イエズス会の代表団は、フォーラムで「アフリカの社会的変革:その倫理的側面」と題するセミナーを開いた。セミナーは盛況で、アフリカの優先課題としてイエズス会の集いで議論された諸問題が、倫理的観点から検討された。
 JRSのアン・ピータースはあるエチオピア人難民の証言、「死ぬ方法は一つではない」の一節を、大声で朗読した。アフリカだけで、1千万人を超える難民・避難民がいる。
 トーゴから来たパターン・モムベ(イエズス会)は、AIDSの拡大の主な原因の一つである、女性に対する暴力の問題を取り上げた。ボツワナでは、成人のHIV/AIDS感染率は24.1%であり、ジンバブエでは20.1%、南アフリカでは18.8%にのぼる。ケニヤでは国民の6.1%、130万人の成人と子どもがHIV/AIDSに感染している。
 アントワーヌ・ベリレンジェール(イエズス会)は、アフリカの恵みの一つであり、逆説的に主な災いの一つでもある、天然資源について語った。天然資源の貿易は公正でもなければ、自由でもない。農産物の価格は大国によって固定される一方で、アフリカ諸国は外国商品に市場を開放しなければならないのだ。



 ピーター・ヘンリオット(イエズス会)は、貧困とは生命をおとしめるものであると語った。戦争や武力紛争から利益を得るのは誰か? 武器を製造して代金を集めるのは誰か? 紛争はふつう、天然資源をめぐって生じるものだ。
 フランク・ターナー(イエズス会)はセミナーの最後に、世論喚起の重要性を強調して、それが先進諸国で行動を起こすうえでどんな意味を持っているかを、短く説明した。

フォーラムのハイライト
 モイ国立競技場周辺の大通りは、「もう一つの可能な世界」で暮らすのはこんな感じだろうな-と感じさせる雰囲気だった。地元アフリカの人たちが出している屋台では、あらゆる種類の商品や土産物が売られ、アフリカ中や世界中から来た何万もの人が、分科会を探したり、デモやさまざまな出し物を見物したりして、ぶらぶら歩いていた。農民や土地なし住民、AIDS患者のグループ、ストリート・チルドレン、インドの少数民族、パレスチナの独立をめざすグループ、人権団体、キリスト教のグループ、あらゆるグループがいた。
 児童労働の分科会では、貧しい人びとは教育を望んでいないとか、グローバリゼーションは子どもたちが学校に行く機会を増やす-といった誤解があらわにされた。貧しい家庭にとって、児童労働は十分な収入を得るために必要だ-という誤解が広まっているが、事実は反対だ。将来、ちゃんとした仕事に就くためには、学校に通うことこそ必要なのだ。
 アフリカのさまざまな保健機関は、少なくとも年間586,911人が結核で死亡し、2400万人がHIV/AIDSと共に生きている-と述べた。アフリカだけでAIDSによる年間死亡者は210万人にのぼる。
 移民労働者の問題については、2007年5月の国際労働者デー(メーデー)に、世界の移民労働者の権利のために立ち上がろう-という、国際的な呼びかけが行われた。移民労働者は世界で2億人と言われている。
ヨーロッパに海路で上陸しようとするアフリカからの労働者の受け入れを、先進国が拒絶していることに対して、アフリカの著名な政治家たちは強く非難している。「ヨーロッパは我々を400年もの間搾取してきた。今、我々の若者たちが、彼らの富の一部を享受しようとすると、拒絶されるのは、いったいどうしたことだ?」
 ナイロビでの第7回世界社会フォーラムは、グローバリゼーションのプロセスが生み出す深刻な不平等や、テロとその原因である戦争と直面するなかで、特別に重要な機会だった。世界社会フォーラムは拡大を続け、ネットワークの拡がりは希望を生む。「世界社会フォーラムの力の多くは、開かれた場で、多様性を尊重しながら行われるところから生まれる。選択と意見表明の自由、平等、連帯、独立、参加と責任分担、非暴力、共通財と自然の保護といった諸原則や倫理的諸価値を認めることこそ、資本主義の圧倒的・独占的な支配に対する代替案やアイディアを生み出す場としての、世界社会フォーラムの原動力だ」(カンディド・グリボウスキ、世界社会フォーラム国際委員会メンバー)

「スラム」から「もう一つの世界」へ
 色とりどりのTシャツを着た参加者の群れが、ウフル公園を埋め尽くしていた。彼らはナイロビから南西に7キロ、80万人が住む東アフリカ最大のスラム、キベラからやって来た。彼らはフォーラム会場の通りを行進して、ナイロビと全アフリカから貧困を撲滅すること、水や道路、すべての必要なサービス、快適な住宅、福祉、教育を与えることを訴えた。ある日の午後には、彼らのうち70人ほどが、突然、フォーラム会場の野外レストランを襲撃して、食べ物や飲み物をすべて奪いながら、こう叫んでいた-「食べ物をよこせ! 食べ物をよこせ!」
 私は、ナイロビに滞在中、キベラのスラムを、そこでの状況を研究してきた神学生と一緒に訪ねた。スラムでの非人間的な状況には、ひどく心を動かされた。まさに「別世界」だった。
 その神学生はこう語った。「私がインタビューした家族は、両親と子どもを合わせて4人家族から19人家族までありました。彼らは、土壁と錆びたトタン屋根の一間だけの部屋に住んでいて、電気設備は一切ありません。部屋のサイズは平均で3m×3mで、大家は多ければ10部屋もある長屋(部屋数は長屋の大きさによってちがいます)を持ち、住民に部屋を貸していますが、大家自身はキベラの外に住んでいます。部屋代は、月額で平均600ケニヤ・シリング(約1200円)です。毎日きちんと食事できる家族はほとんどありません。私が聞いたうちでは、7家族が『食べ物がある時だけ食べる』と言っていました。収入によっては、1日に1回か2回食事ができる日もあれば、一食もない日もあります。
 衛生状態も、概してひどいものです。長屋全体-つまり50人で、トイレと風呂は一つずつしかありません。水は、民間業者が売りに来ます。排水設備がないうえに、ゴミや排泄物も回収されずに積み重なって、衛生環境は非健康的です。
 保健医療サービスの利用は、大多数のキベラ住民にとって頭痛の種です。高すぎるからです」
 スラムには、イエズス会の一つの教会をはじめ、教区のいくつかの教会やさまざまなNGOが、スラム住民に奉仕している。キベラには政府のサービスや施設はないが、CLC(クリスチャン・ライフ・コミュニティ)の信徒が行っている教育活動に、いたく感動した。彼らはキベラ・スラムの子どもたちのために学校をはじめ、スラムの中に教室を建てた。今では90人の子が学んでいる。5年後には、ナイロビ大司教が買ってくれた近くの土地に、千人を超える子どもたちのための学校を建てる予定だ。「キベラでもまた、もう一つの世界は可能」なのだ。


世界社会フォーラムの今後
 世界社会フォーラムも7回目を数えて、「もう一つの世界は可能だ」のモットーの下、より公正な世界を探求する全ての人にとっての聖地となった。世界社会フォーラムは、さまざまな団体-大きいもの小さいもの、国際的なもの国内のもの、社会運動や基礎共同体、労働組合、その他の意見を異にするさまざまな団体が、融合する場となっている。これらの団体はみな、正義と平等と人権の尊重という原則に基づいたもう一つの世界、より人道的なグローバリゼーションによって、経済が人々に奉仕するような世界を築くという課題に直面して、具体的な解決策を探求しているのだ。
 世界社会フォーラムは、第1回目の集まりから間違いなく、その参加人数と地理的規模において、あらゆる予想を上回るものだった。エジプトの知識人で、フォーラム・オブ・オルターナティブスの指導者の一人、サミ・ナイールが述べているように、「世界社会フォーラムは重要な役割を果たしたが、すでに使い古されはじめている」
 フォーラムを、その参加団体の多様性のゆえに、出会いと対話の場であるべきだと考える人々と、ユニークな立場をとって、共同文書を採択し、共同行動を実践する場であってほしいと考える人々の間で、猛烈な議論が続いている。
日本への教訓
 フォーラムでの日本の存在は非常に小さかった。距離の遠さやアフリカの問題に対する関心の低さを考えると、無理もない。とはいえ、ナイロビでのフォーラムに参加した人なら誰でも、そこで話し合われたり、提起された問題の大部分が「グローバル」な問題で、日本人の生活や意志決定に重大な影響を与えるものだと理解できただろう。ナイロビでイエズス会が提起した優先課題-移民労働者、難民、貿易と開発、国際債務、天然資源の枯渇、平和と武力紛争、ネットワーク、イグナチオ的霊性と社会問題への関わり-は、その一例に過ぎない。
 フォーラムに参加した諸団体が提示した、もう一つの人間的な世界を描き、建設するための具体的なプログラムや、彼らがとる方法論、示す態度は、日本人にも大いに参考になる。社会変革は、ネットワークを築くことができる組織によってのみ、実践される。また、人々や社会への先入観を捨て、人々の現実のストーリーに耳を傾けることも、とても大切なことだ。システムを変革するために第一にすべきことは、人々とその尊厳を尊重することだ。あらゆる差別は悪であり、ただされなければならない。情報は日常生活で非常に重要な財産だ。第三世界の多くの国で、人々は何が起こっているか情報を与えられておらず、世界的に真実が隠されている。真実の探求と厳密な分析方法は、日本での活動にも大いに役立つ。調査と研究は社会変革の必須アイテムだ。
 私たちは、仲間と共に、「もう一つの日本は可能だ」「もう一つのイエズス会は可能だ」と信じなければならない。私たちは、信仰や正義、平和という福音の価値を世界に広げるべく献身するに十分な霊的な動機と、多くの修道者や信徒協働者の協力を得ているのだ。

 世界社会フォーラムの詳細は、紙面の関係で紹介しきれない。詳しくはイエズス会社会正義事務局のニュース、    HEADLINESを参照してほしい。
http://www.sjweb.info/sjs/