阿部 慶太(フランシスコ会)
フランシスコ・ザビエル
(フリー百科事典『ウィキペディア』)より
 今年は聖フランシスコ・ザビエルの生誕500年祭で、イグナチオ教会などでさまざまな記念行事が10月以降開催されます。さて、私の所属する修道会(フランシスコ会)も来年はキリシタン禁教令が解かれてから、会員が来日し再び宣教が行われて100年を記念します。
 こうした行事は、先人たちの偉業を記念するとともに、宣教について考える機会となるようで、当時の記録からキリスト教が根付かない国での宣教をどのようにしたのか、どのような時代のニーズを察知し、そのためにどんな事業をどのような人々としてきたのか、などが宣教司牧を考える集まりの中で範例として取り上げられたりします。現在の日本でもどのようなことが福音宣教になるのか、誰とどのように宣教するのか、などが宣教司牧を考える上ではずせない要素だからです。
 先日、ある教区の司祭大会でのこと、5年後、10年後の宣教司牧について討議が行われ、各分科会で話し合いが行われていました。その中で、5年後、10年後がどうなっているか予想がつかないし、地域によっても状況が違うので議論が行き詰っていました。そのとき、ある司祭が「確かに近い将来といっても予想がつかないが、もう少し想像力を働かせてみたらどうでしょう。少なくとも今より年を取るし、確実にわかることから想像してみると客観的な事実や宣教や司牧のニーズもうかんでくるはずです」と口火を切りました。
 その後、5年後、10年後はそれぞれの司祭や信徒の年齢は高くなり、外国籍の信徒の増加も充分考えられますから、各司祭が所属する地域の傾向や必要なケアなど話が盛り上がりました。想像力を少し働かせただけで様々な意見、アイデアが出たからです。
 さて、私はこの中で宣教には想像力と創造性が必要ではないかと感じました。この両者がないと宣教は行き詰るからです。先にあげた100年前、あるいはザビエルが来日した時代の宣教師たち、そして、禁教令の時代のキリシタンたちは、想像力や創造性が豊かだった、と思います。
 例えば、キリシタンは宣教師が禁教令と追放で不在だった時代、自分たちで洗礼や祈り、信仰内容の伝え方、教会組織を幕府に知られないように生み出して、信仰を二百数十年続けていきました。禁教令後の宣教師たちは、教育事業、福祉活動、など時代が必要とするものをいち早く導入し、それが後に宣教につながっていきました。さらに、教会のない場所に教会を建て地域にキリスト教を宣教して、信徒を増やしてゆきました。
 現在、教育や福祉などの活動は学校法人だったり、社会福祉法人だったり社会に根を下ろした事業体として継続されています。また、その活動はキリスト教が母体であるということが多くの人に認知されています。この点では非常に功績があったといえます。
 しかし、その次の宣教は? という部分で議論すると前記のように行き詰るのです。最近、聞いた話で、ブラジルの教会はキリスト教国ということもあり、様々な活動が教会内で行われていて、そのグループは活動分野ごとに、○○司牧というふうに呼ばれているそうです。そして、各自が携わる活動は多種多様なので、活動の分野の数だけ、この○○司牧という言葉も増えるのだそうです。これには音楽や芸術といった分野まであるといいます。
 この話を聞いて、日本の教会も様々なグループがありますし、それがどのような分野であっても宣教に結びつく可能性が広がるのではないか、と感じました。既存の活動以外での宣教は何か、既存の活動で宣教に展開できる部分は何か、今後の日本の教会の想像力と創造性が問われる部分だと思います。