冠婚葬祭=結婚や葬式をはじめとする、人生の節目に訪れるさまざまな儀式。もちろん、どこの国でもあるだろうが、特に日本では最近、冠婚葬祭はお金のかかるものになっている。「世間に恥ずかしくないイベントにするためには、専門業者に任せてしまえばいい」からだ。こうして、本来は家族や地域で親密にとりおこなう冠婚葬祭は、マニュアル本と専門業者なしには成り立たなくなっている。この本は、そんな冠婚葬祭の歴史を振り返り、これからの儀礼のあり方を模索している。
 冠婚葬祭というと、「伝統」や「しきたり」がわずらわしいと思う人も多いだろう。だが、著者によれば、現在行われている冠婚葬祭の基本的な形ができたのは、せいぜい百年前。その後、高度経済成長期の1960年代と、バブル経済が崩壊した1990年代に、大きな変化が起きているという。「伝統」や「しきたり」だと思われていた儀礼のあり方が、実は法律や経済、社会の変化によって自然と変わってきたり、あるいは専門業者の手によって変えられたりしたものであることも、少なくなかったのだ。
 たとえば、葬式。現在の日本では99%が火葬だが、江戸時代にはほぼ100%が土葬。1896年の火葬率が27%。1955年でも54%にすぎない。今では「伝統的なスタイル」と思われている神前結婚(神社での結婚式)がはじまったのは、1900年の皇太子嘉仁(よしひと、後の大正天皇)と九条節子(さだこ)の結婚式だという。「○○家代々の墓」という形式ができたのも、1898年の明治民法の公布以後のことだ。
 専門業者とマニュアル本の登場は、1960年代だ。きっかけはまたしても、皇太子明仁(あきひと、現天皇)と正田美智子の結婚式だ。社会の中心が、伝統的な地域共同体から企業社会へと移るにつれて、結婚式や葬儀も、専門業者によるショーアップされたセレモニーへと変わっていったのだという。
 そして、バブル崩壊から現在まで、結婚式も葬儀も多様化している。結婚式場に併設されたチャペルが激増する一方、神社での結婚式も復権し、ゲスト・ハウスを借り切っての結婚式や、親族一同引き連れての海外リゾート地での結婚も増えている。 葬儀も、専門業者による葬儀(平均300万円と言われる)や地方自治体が世話する市民葬(100万円程度)、身内だけの家族葬など、種類も費用もさまざまだ。
墓のあり方も、一人っ子時代を反映して夫と妻の両家をまとめた双系墓、海や川、山に遺骨をまく散骨、墓を建てずに遺骨を土に埋め木を植える樹木葬など、多様化している。 もはや、「世間並み」とか「平均的」という時代ではないようだ。
 著者はさらに一歩進んで、夫婦別姓や、婚姻届を出さない事実婚、同性婚、生活保護を受けている人のための民生葬や福祉葬、身元不明の死亡人(いわゆるホームレスの人にこの場合が多い)の葬儀など、「普通でない」ケースまで取り上げる。儀礼が生き方の象徴である以上、「普通でない」生き方があれば、「普通でない」儀礼があって当然だ。
 冠婚葬祭を考えることは、生と死に対する私たちの態度や、家庭観・男女観を考えることでもある。といっても、この本は深刻な本ではない。マニュアル本の編集に携わった経験もあるという著者は、事実に即して、冠婚葬祭のウラオモテをユーモラスに語る。決して、伝統やしきたりを軽視しているわけではない。ただ、「伝統もしきたりも時代のニーズによって変わってきたのだから、これからも変えていったっていいじゃないか。自分らしい冠婚葬祭のあり方を考えよう」と言っているだけだ。
 「役に立ってタメになる」本に、久しぶりに出会って、楽しかった。
<社会司牧センター柴田幸範>