阿部 慶太(フランシスコ会)
 前回の紙面で「イエズス会社会司牧センター」(以下センター)が25周年を迎えるということを知りました。このセンターにお世話になった私にとっても感慨深いものがあります。
 25年前の設立当初といえば、私はまだ学生で、センターの名前は知らなかったのですが、設立されて数年後の1980年代はじめにセンターの名前を耳にしました。当時は、「解放の神学」が話題になっていました。その解説や翻訳者として教会関係ばかりでなく、一般のメディアでも論客として活躍されていた山田経三師、ルベン・アビト師などがセンターに関わっていました。また、難民のための奉仕でマスコミに取り上げられていた安藤勇師が、センター関係者であることを知ったからです。しかし、当時は「解放の神学」の研究者や難民問題の関係者が出入りする場所なのだろうくらいの認識でした。
 その後、安藤勇師の『「手作りの共同体」をめざして』といった小冊子や、センターで企画していた「下町体験学習」などで名前をよく耳にするようになったのは、私が修道会にはいった1980年代中頃でした。実際に、センターに足を運びセンター企画の研修会などに参加したのは1980年代後半になってからでした。その頃は、イエズス会の小共同体や女子修道会の小共同体が、足立区や山谷周辺で地域の活動や人権問題などにかかわっていた頃で、預言的共同体の理念を実践すべく試行錯誤していた時期でもありました。
 1980年代後半には、「教会の社会的教えに関するセミナー」をはじめ多くの研修会、講演会などが企画されました。当時、山谷や釜ヶ崎などの寄せ場や外国人労働者の人権問題など社会問題の現場で働いていたキリスト教関係者がセンターの提供したテキストやプログラムによって日本社会で宣教すること、社会の問題にどのように関わるのかについてインスピレーションを与えられたと思います。
 多くのセミナーや企画が好評だったのは、講師陣の話の内容やプログラムに新鮮さと先端の方法論を垣間見ることができたからではないかと思います。現在、当時のテキストなどを見ても内容は色あせていませんし、むしろ、今こそ当時のプログラムやBCC(キリスト教基礎共同体)の分かち合いのテキストなどを使ってもいい時期ではないかと思うのです。
 たとえば、「エコロジーの神学」「人間開発」などの言葉は、今は珍しい言葉ではなくなりましたし、「地域でどのように宣教が可能なのか?」「教会がエコロジーに関わるとはどんなことか?」「人を生かすための開発とはどんなものか?」といったことは、共同司牧や小教区が地域で果たす役割について議論されることが増えた今日だからこそ、見直す必要があるのではないかと思います。
 さて、1991年にフィリピン実習に行った際に、所長・安藤師の紹介でフィリピンのセンターを見学しました。現地のセンターの規模の大きさや開発途上国のリーダー養成(農業)プログラムなどが印象に残っています。この年「社会司牧通信」に初めて原稿を書きました。翌1992年助祭実習として1年間お世話になった際には、「ジャパ・ベトナム」の事務局を経験したことから、センターが顔と顔の見える国際支援NGO関係者の交流の場であることや、国際支援にも多く関わっていることを実感しました。
 また、実習中に、日本のイエズス会の社会司牧センターのネットワークの一員である、大阪・釜ヶ崎の社会司牧センター・旅路の里や下関・労働教育センターが、アジアにある社会司牧センターの中でも特異な存在として現在も活動を続けていると感じたのもこの頃です。例えば、旅路の里は、日本最大の日雇い労働者の街にあって、夜回りなどの地道な活動や労働問題への対応、寄せ場の持つ問題について現場から活動家や学術関係者に場所と情報を提供するという、現場に身を置くセンターとしての役割を果たしている点は、大規模で大学の構内に拠点を置くセンターが多い中で、特色のあるセンターといえるからです。
 このほかにも、センターに関することはいろいろと思い出があり、書くときりがないのですが、25周年を迎えたセンターが今後も日本の教会の中で、時には示唆を与え、時には警鐘をならすような存在であってほしいと願っています。