本紙では、犯罪や薬物依存からの「更生」について取り上げてきた。今回、取り上げる映画『スティーヴィー』は、こうした「更生」の問題だけでなく、幼児虐待の問題、さらには「共にいること」(accompany)というイエズス会の活動の根本にも迫る、興味深い作品だ。
 スティーヴ・ジェイムス監督は、大学生時代に「ビッグ・ブラザー」をつとめていたスティーヴィーと10年ぶりに再会する。スティーヴィーは少年時代、母親に捨てられて、義理の祖母に引き取られ、その後、施設を転々とする間に性的虐待を受け、ついには精神病院に入れられた。退院後、祖母と義理の妹とともに暮らす24歳のスティーヴィーは、軽犯罪でたびたび逮捕される問題児となっていた。映画の勉強のため、彼の元を去ったスティーヴは、自らの義務としてふたたびスティーヴィーと向き合おうと決意する。この映画は、それから4年半にわたって、監督がスティーヴィーと向き合った記録だ。
 「ビッグ・ブラザー」とは、貧困や児童虐待、家庭のトラブル、麻薬や犯罪などのリスクを抱えた少年少女に、大人がマンツーマンで付き添い、導く制度で、2004年には全米5千のコミュニティで、22万5千人がビッグ・ブラザーを持っている。ある調査では、薬物使用は46%、飲酒は27%、不登校は52%、軽減しているという。
 だが、スティーヴィーの場合、家庭環境があまり過酷だった。アルコール依存症の父から暴力を受けて育った母バニースは、息子に暴力をふるい、養育を放棄する。祖母は自分の息子と再婚したバニースが気に入らず、スティーヴィーを溺愛して、バニースへの憎しみを吹き込む。父親違いの妹は彼の面倒を親身に見るが、自分もスティーヴィーから性的いたずらを受けた過去を持ち、子宮の病気で子どもができないのを悩んでいる。恋人のトーニャは軽度の脳性マヒで、彼女の親は交際を認めない。そして、スティーヴィーが、いとこの8歳の少女への性的虐待で逮捕されて、事態は急転する。
 判決までの2年間、スティーヴ監督は、性犯罪者のカウンセラーである妻と、スティーヴィーの更生に力を貸そうとするが、スティーヴィーは罪を認めようとしない。母バニースは息子を捨てた罪悪感から、拘置所に頻繁に面会に行く。
 
トーニャは「絶対にゆるせない」と言いながら、別れようとしない。妹は、待望の妊娠がわかると、彼と距離を置くようになる。被害者の母親(叔母)は、スティーヴィーの行為を激しく憎みながらも、姉バニースから虐待を受けてきたスティーヴィーに同情する。
 周囲の人々も多彩だ。仕事にあぶれ、スティーヴィーと釣りをしながら、「こんな人生も悪くない」とつぶやく大工。自分が所属している白人優越主義団体に入れば、刑務所での安全は保証してやるとうそぶく、刑務所帰りの男。スティーヴィーとトーニャを祝福しながらも、義理の父親にレイプされた過去を忘れられない、重度の小児マヒであるトーニャの親友。今でもスティーヴィーが無条件にかわいいと言い、彼が起こした事件に心を痛める、最初に入所した施設での里親夫婦。スティーヴィーに洗礼を授け、無邪気に「君は生まれ変わった。救われた」と叫ぶ教会の人々。こんな人々とつきあううちに、私はいつしかスティーヴィーの世界に入っていった。スティーヴィーはもはやモンスターではなく、「憎みきれない放蕩息子」となってしまった。
 「犯罪者の心など分かってやる必要はない」「どうしようもない犯罪者は隔離しろ」…そんな声が日本でも高まっている。だが、そうやって他人を切り捨て、自分の心の闇を切り捨てて、いったい何が残るのだろう? 清潔で、正しくて、間違いのない人ばかりが暮らす社会。でも、私はなぜか、そんな社会では生きていけない気がする。
 スティーヴィーは10年の実刑判決を受けて服役している。出獄は2008年の予定だ。(柴田幸範)

東京は公開終了。4月21日まで大阪・第七藝術劇場で公開。6月以降は自主上映を予定。問い合わせはムヴィオラ www.moviola.jp/stevie