書評
思想・良心・信教の自由研究会[編]、いのちのことば社、2006年3月25日、952円+税 

柴田幸範(イエズス会社会司牧センター)
 前号では、憲法と教育基本法の改正について、2冊の本を紹介しました。その要点は、憲法九条の平和主義を守ること、個人を国家に従わせようとする動きに反対すること、そして戦争への道を開く「自国中心の歴史観」を変えることでした。
 ところで、私たちは宗教者として、また社会活動に携わるものとして、憲法で保証されているはずの思想・良心・信教の自由についても、注目しなければなりません。今、思想・良心・信教の自由は現実に尊重されているでしょうか? 自民党のめざす憲法改正によって、それはどのように変わるのでしょうか? 本書は、この問題について、キリスト者を中心に2004年春からはじめられた思想・良心・信教の自由研究会の成果をまとめたものです。
 最初は、高橋哲哉氏、池明観(チ・ミョンクワン)氏、鈴木正三氏、大津健一氏、飯島信氏による座談会「日本における自由と民主主義への道」です。ここでは、韓国の民主化闘争や、ドイツのキリスト教会の全体主義に対する闘いの歴史を紹介しながら、日本の思想・良心・信教の自由の状況を概観します。そこから、日本のキリスト者がとるべき道は、戦争責任を告白し、アジアの民主化の動きと連帯して、日本における平和と民主主義、思想・良心・信教の自由を守るために闘うことだと訴えています。
 とくに、戦後60年を経て、市民運動の世代交代が進む今、韓国の民主化闘争に連帯してきた日本の運動の体験は貴重です。次章の「韓国民主化の道程と私」(飯島信氏)では、1970~80年代の韓国民主化闘争に日本のキリスト者や市民がどのように連帯したかが、生々しく紹介されています。


 つづく「信教の自由・政教分離・反戦-平和獲得への道」(辻子実氏)では、靖国神社をめぐる問題点-信教の自由と政教分離の侵害、A級戦犯、自衛隊との関係、戦争を容認する歴史観など-をめぐるさまざまな論点が、簡潔にまとめられています。
 また、「もの言えるくちびると心を託せる手を」(池田幹子氏)では、卒業式で「君が代」を伴奏するよう強制された、東京都の公立学校の音楽教諭の取り組みが紹介されています。

学校とは、自主性を育む場ではないのか? 音楽とは人を解放するものではないのか? なぜ、学校現場でこれほど性急に、強制的に「日の丸・君が代」が導入されるのか。この疑問に対する説得的な答えを、私はまだ聞いたことがありません。
 「日本は今どこにいるのか-教会が問われていること」(根田祥一氏)では、日本ホーリネス教団の戦争責任告白と、有事法制化に反対する取り組みが紹介されています。根田氏は、戦争に反対することは政治運動である以前に信仰告白の問題であると、力強く指摘しています。
 そして最後に「良心の自由と不服従行為」(ビセンテ・ボネット氏)は、自身の指紋押捺拒否や、米国の「黒人」公民権運動などを例にとりながら、国法の上にあり、その根源たるべき「良心」に従うことの重要性と、良心的不服従の正当性を、明白に指摘します。良心的不服従とは、「良心に反する法に従う義務はない」というだけでなく、「良心に反する法に従わない義務がある」ということなのです。
 「政教分離」とは、政治による宗教の支配、宗教による政治の支配を禁じたものであって、宗教者が政治に口出ししないということではありません。政治が信仰を危うくするとき、政治に口出しすることは、宗教者の義務です。問われているのは私たちの信仰なのです。