吉羽 弘明(イエズス会ブラザー)
今回も「心の悩み」シリーズです。北海道にある精神障がい者の自立グループ「べてるの家」を、昨年9月に訪問した吉羽さんの報告です。障がい者の自立グループというと、まじめで一生懸命なものを想像してしまいがちですが、べてるの家はひと味違います。「精神障がい者にも苦労する権利がある」、「病気は無理に治さない」、「仕事よりも、治療よりもまず、ミーティングを」…。こんなべてるの暮らしぶりは、息の詰まるような私たちの暮らしにも、新鮮な風を吹き込んでくれます。自助グループのあり方、障がい者のノーマライゼーション(施設に隔離されるのでなく、社会の一員として暮らすこと)、競争社会へのアンチ・テーゼなど、さまざまなことを考えさせてくれる「べてる・ワールド」を、どうぞゆっくりと楽しんでください。
(イエズス会社会司牧センター・柴田幸範)
0. 「心の問題」をめぐって-べてるの家訪問のきっかけ
 私は昨年9月に、北海道の道南に位置する浦河町にある「べてるの家」を訪問しました。訪問のきっかけは、教会における「心の問題」について一人のプロテスタントの神学生とずいぶん前にお話をしていた時の、この神学生の体験談からでした。この時、心の問題を持ちつつも地域で生かされている人々の姿を見たと語ってくださったように記憶しています。
 一口に「心の問題を持つ人」といってもその定義は大変な広さを持ちます。そこには、「生きにくさ」を感じつつも何とか会社や学校に出かけ通常の生活を送れる人もあれば、家で家族にさえ知られずに日中苦しみ、帰ってきた夫の前では無理して笑顔を見せているという例もあると聞きました。
 また、その苦しみは一定レベルを超え、医療にかかる例もあります。うつ病だけとっても発症率が5%程度と聞けば、しかもほとんどが医療にかかっていない現実をみれば、どれほどの人が「心」をめぐって現実に苦しんでいるのでしょう。また、病が恒常化し、精神障がい者として生きている人がいます。」という文章を読んではじめたいと思います。
 ではこうした人は、どのように「扱われて」きたでしょうか。私たちはどうしてきたでしょう。一概には言えないでしょうが、「私たちと違う人」ととらえ、茶化したり、あるいは排除されてきたりしたのではないでしょうか。一般的に言って、例えば精神科を受診したり、精神科の病院を入院した人や退院した人が、堂々とそれを宣言したりすることができるでしょうか。家の近くに、精神障がい者の施設ができるという話しが出れば、さすがに最近は「殺人事件が起こったら困るから」などという理由も聞かれなくなってきましたが、「ここはそういう施設によい環境でない」などと主張されたりします。でも本音は、よく知らない「普通でない人」と共生したくないのです。
 「心の問題」を持っていることだけで、居心地が悪い思いをさせられます。支える人の輪もできつつありますが、多くは何も悪いことをしていないのに特殊な目で見られる体験をしている。「甘えている」と言われないためにも一生懸命努力してみんなとあわせようとして、でもうまくいかずますます傷ついていく。こうなったら苦しみに耐え続けるか、悲嘆するか、あるいは開き直るよりほか方法がありません。しかし、「出会い」によっては、問題を抱えつつも歩んでいくことができます。
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 精神障がいを持ちながらも歩む人と付き合いたい。そして精神障がい者が身を縮めることなく街で生きている浦河の現実を通し、精神障がい者を含め「心の問題」を持つ人々が、そのままの自分を生かしながら生活できる場について考え、知る、そのためのヒントを得たいと考え、浦河に出かけました。

1. べてるの家の概要
 べてるの家は、精神障がい者のための作業所(授産施設)とグループホーム・共同住居を擁する社会福祉法人と、医療用品等を販売する有限会社からなっています。ここにはおよそ150名の仲間が集っています。「べてる」とは、旧約聖書に出てくる地名のベテルと、ドイツにあるベーテルという町の名前からとられています。ドイツのベーテルは、ナチスが障がい者を虐殺しようとした時、障がいを持たない人々が「それならば私たちも連れて行ってくれ」と主張したという、障がい者とともに生きる町であるという歴史を持っていて、それは今も続いていると聞きます。
 このべてるの家には、グループホーム等に住居を持つ人と、家族と生活する人のほか、最近は北海道外から一人、または家族(多くは母と子)でアパートに移り住み暮らす者もあり、彼らも集まってきます。しかしその姿勢は「来るものを拒まない」という感じを受けます。病院に外来に通う人も気軽にべてるの様々なプログラムにかかわっています。
 べてるの仲間の障がいの種類は多くが精神障がいですが、他に少数の知的障がい、身体障がいの利用者があります。精神障がいの種類は、統合失調症がほとんどで、他にアルコール依存の人もいらっしゃいます。仲間は、障害者年金と生活保護で生活していて、またどちらか一方の人もいらっしゃいます。
 理事長(佐々木實氏)と施設長(清水里香さんと荻野仁氏)は全員当事者であることは、当事者中心であり続けるためのよい工夫のように感じられました。
 べてるの家の歴史を簡単に紐解くと、もともとは浦河日赤病院精神科を退院した人が「どんぐりの会」を組織したことから始まります。どんぐりの会のメンバーは、1980年に日本基督教団浦河教会で生活を始め、牧師夫人の提案により当地の名産である「日高昆布」の袋詰め等の請負を始めました。後に、請負から昆布の製造販売に乗り出すことになり、現在は販売製造事業(海産品の製造販売、ビデオ制作、出版等)、4丁目ぶらぶらざ(販売と地域の交流)、地域交流事業(インターネット関係事業、オリエンテーション研修、イベント実施)、新鮮組事業部(農産、環境等)と幅広く事業を行い、またグループホーム・共同住居から成り立っています。
 べてるの家を訪問する「お客さん」もどんどんと増えていて、今では年間2000人にも及ぶということです。私が訪問した際にも、各地(九州からも!)の援助職の方々(社会福祉士、精神保健福祉士等)、看護師、社会福祉を研究する学生や、果ては経済学者までいらしていました。べてるの仲間も札幌、東京等に講演に出かけたり、また「幻聴・妄想大会」の実施(仲間の幻聴・妄想のユニークなものにグランプリを与えるというもの)、また道、町、町教委、日赤、社協といったメンバーとも緊密に連絡を取り、問題を見つめる会議を定期的に行っています。
 地域との関係について、当初は困難があったと聞きます。しかしながら、現在では少なからず地域に溶け込んだ(というより、あまり良し悪しを深く考えず自然に受け止めているといったほうが適当かもしれません)存在になっているように見えました。水産業以外主産業を持たないこの地域は、べてるの来客者によってともに「潤おう」という発想があります。
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施設長の清水さんは、精神障がい者は強制的に社会から(病院等に)隔離され、薬物によって思考を停止させられてきたりした点で「苦労を奪われてきた」のだといいます。そして、商売を通してその苦労を取り戻していこうとしているのだと説明してくださいました。

2. べてるの特徴
 べてるの家について一言で表現するとすれば、「きちっとしていない」といえるかもしれません。会議中の仲間の「出入り」は当たり前で、精神障がいの症状の不安定さから、べてるに連続して出てくることが難しいこともしばしばですが(時々「ああ○○さん、1か月ぶり!」と声が飛んだりします)、欠席してもそれほど心配しません。もちろん、きちんと同じ家の人がその人がどんな状況なのかを把握した上でのことです。ある時、昆布の袋詰めを見学していたお客さんが「いくつ作るのか」と尋ねました。するとべてるを代表する「有名人」早坂潔さん(統合失調症)は、「そんなもん、予定立てたら倒れちゃうべ。できるとこまで、すんだよ」。べてるは効率性を、少なくとも優先しません。というより「優先」することはできないでしょうし、その気もないようです。
 これらの関係は、誰かが一時いなくなったとしても、それでも存在を認めているからという、「安心感に基づくゆるいけれども、確実な信頼感に基づく関係」ともいえると感じました。
 統合失調症について私はこの病を持つ人と関わりがなかったので、勝手な印象を持っていたのですが、実はこの病気ほどバラエティーを持つ病気はないほどだそうです。 幻聴から独語をずっと言っている人もあれば(ただし少数)、薬による副作用等の緊張感を漂わせながらも一定の仕事をこなせる人、また障がいを感じさせない人もあります。
 日課は、朝のミーティングから始まり、それに約1時間を使い、それぞれのすることを確認します。他の作業所等と大きく異なるのは、各種の話し合いやSST(ソーシャルスキルトレーニング<生活技能訓練>)、SA(統合失調症の自助グループ)など分かち合いにかかわることが多く取り入れられている点です(後述)。 べてるでは、始終何らかのミーティングがあります。 べてるのモットーに、こういうのがあります。「手を動かすより口を動かせ」。 ここにべてるの大きな特徴が見られます。

3. べてるの家での体験から

  「弱さを絆に」
 これも「べてる理念集」にある言葉です。その場の力に安心して、想いを伝えていこうということが、この言葉に表れています。
 例えば、ミーティングで興味あったことは、どの集まりも、参加者全員に今日の体調と「よかったこと」、「苦労したこと」を聞くことです。それはお客さんに対しても同じです。「苦労したこと」であって「悪かったこと」でないのが特徴です。すなわち、その人にとって苦労したことであっても悪かったことと同じなのではないことを示しているように思います。
 だから、幻聴、幻覚についても独自のとらえ方をしています。普通の医師は、あるいは本人は幻覚、幻聴が出た時、これを薬物によって消そうと努力します。ここでは、「幻聴」でなく「幻聴さん」と親しみを込めて呼びます。あるミーティングで「幻聴がうるさくて仕方ない」と悩みが出された時、「幻聴のエキスパート」は「『幻聴さん、いつもどうもありがとう。仲良くしようよ』というといいです」というのです。
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また、別の人は幻覚について「『光の幻覚』と『闇の幻覚』とがあって、『闇…』は一見いいことを言うけれども、実はそれに従うと人に迷惑をかけることだったりするが、『光…』は自分に厳しいことを言うけれどもよく考えるとその通りで、それで反省できる」と興味深いことを話してくれました。
 病は普通弱さの象徴だけれども、弱さをもっていることは一向に構わない。そしてべてるは、そのことが認められる場であり、そこには分かち合える存在、環境が備わっていると感じました。

 ②    「三度の飯よりミーティング」
 ここで行われる集まりは各種あります。ここで特に取り上げたいのは、SA(Schizophrenics Anonymous)と「応援カンファレンス」です。
 SAは統合失調症の人たちだけが集まって(司会者も)、一人一人があらかじめ決められたテーマに基づき想いを語る会(自助グループ)です。私が訪問した日はオープンだったので、部屋の脇に椅子を置いてそこに座らせてもらいました。
 この会もべてる独特の、「体調」、「良かったこと」、「苦労したこと」で始まります。内容についてはそれぞれが語ったことについて会の性格上書くことができませんが、ある人が最後に私に「自分の話し(苦しさについての小さな「叫び」といってもいいかもしれない)を静かに聞いてもらえることが何より助けになる」と話していました。会の雰囲気は、私の印象ではあまり人の話しを真剣に聞いているという感じではありません。しかし、そこに叫びを上げられる相手がいるのだという安心感は、彼らが、彼ら自身の存在意義の再確認を行える雰囲気に保たれているように感じられました。
 「応援カンファレンス」も興味深い集まりでした。日赤病院の会議室を使って、ある人の問題を見つめるというものです。一人の人の問題をカンファレンスという形で解決していこうという試みには驚きました。ケースには、お客さんも含め30人近く集まったでしょうか。多くはべてるの仲間でしたが、病院のソーシャルワーカーが司会をし、彼女の問題(困っていること)を明らかにしていきます。
問題を感じるときの心の動き、ここから見えてくるもの、そして外から見た彼女をソーシャルワーカーが参加者に聞いていきます。そして、ではどう対処することが考えられるかをあげ(例えば泣く、がまんする…)、そしてそこから自分がどう進むかを見出すのです。
 この種の会議に参加して感じることですが、司会者が仲間に「○○さんをどう思いますか」と聞くと、まず「笑顔がいい」などその人をほめる言葉が真っ先に出るのです。はじめに「悪い点・改善すべき点」をあげることがない。こうした点を見ると、お互いが支えあい信頼感のうちに生きていることを示しているのではないかと感じました。
 なお、参考までにSSTとは先に示したように、「生活技能訓練」です。なかなか自分を表現できない彼らが、実際の場面(例えばある人が転居するにあたってお別れの言葉を言いたいが、泣いてしまって言えないなど)を想定して、表現したいことを表現する訓練をするというものです。表現が苦手な彼らが、実際に役立っていることを教えてくださいました。

 ③    地域性との関係
 最初にも指摘したように、発足当初問題はあったものの、地域との関係性は非常に良いように思われました。地域住民が、精神障がい者が増えている現実を、特に問題にしていませんでした。ある仲間によれば、べてるのグループホーム・共同住宅ができる際に、今は地域の反対がないと話していました。だから、今では10近い新しい住宅があるのだといいます。
 また、先に示したように北海道日高支庁、浦河町、同町教委、日赤等との関係が地域連携会議という形で行われ、地域での精神保健についての話し合いが定期的に行われています。また日赤のソーシャルワーカーがしばしばべてるで仕事をしています。地域で協同して、障がいを持つ人と暮らしていくために必要なことを対等な立場で考えるという関係が形成されていることは、きわめて重要なことと思われました。
 こうした関係性が生んだ事例を聞きました。ある仲間が緊急入院したのですが、べてるの人はあまり気づいていなかったようです。
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しかしあるお店の店主から「3日前から調子が悪いようだったよ」と具体的に教わったというのです。仲間を色眼鏡なしに見守っている姿のように感じられました。また、グループホーム等の仲間同士も、干渉しないがどこから病気の具合が悪くなったかなどをきちんとみていて、入院した仲間のことについてもそれを家のミーティングで分かち合っていました。
 ただ、「4丁目ぶらぶらざ」はべてるの物品販売のほか、地域との交流を目的としているのですが、あまり地域の人の姿を目にしませんでした。これからの課題となるのかもしれません。

 ④    医療の問題
 あるグループホームのミーティングに出席したとき、私はある大学の附属病院(精神科のみを有する)から来ている看護師と看護学校の教員と同席しました。
 その時ひょんなことから、早坂さんと看護師さんらのやりとりが始まりました。早坂さんは、この病院で退院したいと言う患者を退院させているのかと聞くと、看護師の一人は「医師の裁量による」と答えたのです。
 そうすると早坂さんは、怒ってこう言うのです。「なぜ当事者は退院したいのに医者は退院させない!」早坂さんは、ある程度よくなってきたら社会に帰っていく中で、精神障がい者は「変な人」でないのがコミュニケーションをとることで分かるのに、入院させたままにしておく傾向にある精神医療に怒りを表わしたのです。
 確かに浦河にいると、どこかでべてるのメンバーと会うのに、その独特さにそれほど気になりません。それは障がいが他者にとっても受け入れられたものとなっていて、その街に溶け込んでいるからなのでしょう。
 浦河日赤の精神科医である川村敏明医師は、薬物医療に重きを置くのでなく、その病の裏にある「力」に信頼していることが、しばしばべてるの本で語られます。

4. 都会で「心の問題」を持って生きていくこと
 べてるに来て何が良かったのかについてうかがう機会がありました。 「①多くの人と出会えた、②引きこもりたい時そのようにでき、そうでない時に働くことができること、③自分(みたいな状況の者)が働ける、④病気を無理なく出せる、⑤浦河以前は病気になると友が去っていったが、ここでは仲間が増える」
 べてるがうまくいっているのは、確かに浦河町という北海道の過疎地で、しかも街の大きさがコンパクトで一人一人の姿が見えるからだともいえます。だから、べてるでの試みすべてを都会で行っていくことには困難があるかもしれません。しかしながら、行われているある試みを都会で生かしていくことはできるでしょう。
例えばSAなどの自助グループは可能でしょうし、一部ではもうなされているでしょう。
 考えてみれば、都会の造りは「無理」の塊なのかも知れません。究極まで効率性を重視していますから、ちょっとしたことで「無理」に「隙間」ができ、そこからこわれていきます。気を抜くことが許されず、いつも気を張っていなければならない。「心」はこうして悲鳴をあげます。先の、「べてるの良いところ」を話してくれた仲間は、その「無理」からある種「解放」された人だともいえます。
 究極的には、「社会の福音化」のうちにこの「無理」を解消していかないといけないでしょう。ただ、こうした問題を抱える人を「おかしな人」と突き放すのでなく、少なくともその困難さに目を向けようという姿勢-べてるにあるような-と、苦しみを語らえる場所とそれを許す雰囲気が、この都会でまず必要なことのように感じます。
 今現実に「心の問題」に突き当たっている人に、清水さんのこの言葉は力を与えます。
 「病気になる前はこの街に住むことになるとは考えもつかなかった。浦河に住んで、はじめて自分のあり方、他者とのつながりを考えることになった。健常者だったら、こんなことは考えもしなかっただろう。病気によってより深く考えるようになった」

*べてるの家ホームページ
http://www18.ocn.ne.jp/~bethel/

『べてるの家の「非」援助論
-そのままでいいと思えるための25章』
浦賀べてるの家・著
医学書院・発行
2002年6月
2,100円
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