こうして20歳までの10年間、アキラは兵士として戦い続け、何十人という敵を殺し、地雷を1万個は埋めたという。1993年、カンボジアにやってきたアンタック(国連軍)の求めに応じて、地雷処理に携わるようになって、アキラはようやく、戦争以外の仕事と軍隊以外の暮らしを体験することになった。自分の生き方は自分で選べるのだとはじめて知ったアキラは、地雷除去を天職と感じるようになった。こうしてアキラは、アンタックで働きながら覚えた外国語を生かして、観光ガイドで稼ぎながら、たった一人で、無償で地雷処理をはじめた。 |
処理した地雷や不発弾が大量にたまると、地雷の恐ろしさを訴えようと、私財を投じて土地を買い、1999年に自宅をかねた地雷博物館をオープンした。戦争で親を亡くした孤児や、地雷で手足を失った子どもたちを自宅で預かり、学校に通わせる活動もはじめた。あたかも、争いと悲しみに満ちた20年間を取り戻すかのように、精力的な活動を続けたのだ。彼の献身的な活動は、やがて、日本をはじめ各国に支援者の輪を広げていった。
カンボジアには依然、数百万個の地雷が埋められているという。アキラは機械を使わず、素手に木や鉄の棒一本で、これまでに2~3万個の地雷を除去してきた。長年の地雷除去作業で、火薬の毒が体にたまって体調を崩しているという。それでもアキラは地雷除去を止めない。
二人の息子に「アマタ」(クメール語で「死なない」という意味)と「ミン」(フランス語で「地雷」)と名付けたアキラ。「もう、地雷で子どもたちを死なせない」という執念ともいうべきアキラの姿に衝撃を受けた。同時に、人間はどんな不幸な境遇からもはいあがり、生まれ変わって、他人のために尽くすことができるのだと、深い感動を覚えた。 |