何故荒野を目指すのか
阿部 慶太(フランシスコ会)

 以前この欄で紹介した根本昭雄神父が、南アフリカ共和国(以下南ア)でHIVホスピスでの活動を終え、新たな宣教地に行くという知らせを受けました。最初にこのニュースを聞いたときは正直驚きました。南アでの患者数は今も増加しているし、以前は一部の患者にしかいきわたらない、と言われていたHIVの症状を抑えるARV(抗レトロウイルス療法)も政府の努力で次第に貧困層に普及し始めてきているのと、前回来日の際に「ホスピスのほかに、エイズの原因の一つである薬物依存の温床であるスラムやそれを産む貧困が南アからなくなるためには教育が必要です。ホスピスと共に地域の青少年の教育に力を入れたい」と語っていたからです。

 また、今も南アではHIVに感染することは、地域社会や親族からも見捨てられるケースが多く、彼が奉仕していたケア・センターでは、そうした患者の受け入れを優先し、このような患者の最期を2003年だけでも317人看取ってきたことが社会的にも評価され、2004年春には医療功労賞海外部門を受賞し、テレビのドキュメンタリーも放映され、これからの活動にも注目が集っていたからです。それだけに何故? と感じたのです。

 しかし、今年に入り彼が下した結論は、南アを去り、さらに険しい道を目指す、と言うものでした。その理由を聞いてみたところ次のように話してくれました。「南アは確かに世界的にもHIVの患者の多い国で働きがいもありましたし、日本でもマスコミのおかげで支援の輪が広まってきました。ケア・センター周辺のボランティアも充実してきました。政府もARVの導入に力を入れて治療を受けられる人も増えました。そうした意味で、これからと言うときに何故、と思うでしょうね。私自身も社会的に評価され始めた頃から、南アでの居心地がよくなったことも事実です。しかし、この生活の延長でいいのか、ここで活動を充実させていくだけでよいのか?という自問自答があったわけです」

 そして、「南アに最初に来た理由は、アパルトヘイト政策で人権が奪われ、差別を受けている人々と連帯したい、ためでした。当時、人権問題がクローズアップされて、HIVのことはあまり知られていませんでした。WHOなどの調査の前に原因不明で
 亡くなる人達がスラムなどで出るようになっても政府は病気の状況を隠していました。その頃、この国は何かの異変がきていると感じてHIV患者と関わり始めたのが最初でした。今は国際的にもHIV患者への支援が南アに集ってきています。しかし、その陰でさらに苦しんでいる国や多大な被害があるはずなのに国の政策で公表されていない国もあるはずだ、そうした場所で働くことこそ神が自分に望んでいることなのでは、と考えるようになった訳です。そうなると周りの人はファーザー・ニコラス(彼は南アでそう呼ばれている)何故行くのだ、残ってくれ、と引き止めるわけです。でも、自分としては楽な選択はしたくないので仕事を整理して思い切って向こうを離れてきたわけです」と南アを離れるまでの経緯を話してくれました。

 さらに「南アでは、亡くなる前に輝くような笑顔で聖体を受けるような人との出会いで、一人の死に向き合うときキリストに出会うと感じるような、離れがたい国でしたが、反面尊厳をもって生涯を終える場であるホスピスもなく、誰も看取ることなく亡くなる人のために働くならば、南アとも連帯することにもなるのではないか、と思うのです。『わたしの働きは大洋の中の一滴の水滴にしか過ぎませんが、生涯、一滴であり続けようと思います』というマザー・テレサの言葉がありますが、その一滴が、大洋を確かに豊かにしてゆく、という気持ちで新たな場所でゼロからスタートしてみたいのです」と新たな宣教地へ行く抱負も語ってくれました。

 結局、根本神父が南アフリカを離れ他の宣教地を目指すのは「生き方」の選択なのだ、とい印象を受けました。現在、73歳の彼が、実りつつある大地からあえて何もない荒野のような場所を目指すのか? 生き方とはいえ何故? と問いかけずにいられなかった今回の取材でしたが、この問いに今度は宣教地から答えをくれそうな気がします。