阿部 慶太(フランシスコ会)
 4月19日に、ヨゼフ・ラツィンガー枢機卿が教皇に選出され、ベネデイクト16世として即位しました。早速、新教皇についてのプロフィールや人物像が報道されました。「前教皇ヨハネ・パウロ2世の路線を引き継ぐ世界平和のための働きに期待」、「保守派の教皇に失望」などマスコミの評価も様々です。
 しかし、新教皇の政治や社会に対する姿勢は、社会回勅で真の評価がされるべきです。社会回勅は教皇の出す文書の中では最初のものが出されてから百十数年と歴史は短いのですが、各時代の社会や政治の問題に教会の姿勢を示してきた公文書です。
 最初の社会回勅、レオ13世『レールム・ノヴァルム』が書かれたのは、19世紀後半の1891年のことでした。この中では、教会の経済、社会、政治問題について発言する権利と義務、所有する側の社会に対しする奉仕の義務、労働者の権利の尊重、公正な労使関係について触れ、こうした教会の発言は衝撃的でもありました。この回勅に始まり、20世紀になると、ピオ11世は回勅『クアドラジェジモ・アンノ』(1931)の中では労働契約における公正な分配や、資本主義と社会主義の弊害について述べています。時代は移り、ヨハネ23世は高齢の教皇ながら『マーテル・エト・マジストラ』(1961)で、複雑になってゆく社会構造、特に先進国と発展途上国の格差について述べ、『パーチェム・イン・テリス』(1963)は、冷戦下でのキューバ危機やベトナム戦争、などの出来事に対し、平和論で対応しました。平和とは戦争の不在ではないこと、国家には全市民の諸権利を擁護する義務があること、軍備競争や人間の和解などについて述べています。
 次の教皇パウロ6世は回勅『ポプロールム・プログレシオ』(1967)で、先進国は発展途上国を援助する義務があることや貧富の格差は広がっていること(南北問題)、連帯や社会正義、世界的な協力について述べています。この回勅は、教皇として始めてアジア(インド)を訪問した経験がいたるところにみられる回勅でもります。その後も『オクトジェジマ・アドヴェニエンス』(1971)では、すべてのキリスト者が、正義のために働く必要があること、社会の不正を克服するためには「政治的側面」に関わる必要があることなどが示されました。教皇庁正義と平和委員会が成立したのはこの後のことです。
また、使徒的勧告『福音宣教』(1975)には、教会は正義のための闘いに参加しなければならないことや暴力の断罪、教会には、信仰と愛に動機づけられて解放を促進する義務があるなど、中南米で広がりつつあった「解放の神学」の要素がみられます。
 共産圏から選ばれたヨハネ・パウロ2世は『レデンプトル・オミニス』(1979)の中で、神と人間のきずなこそ、人権と真の人類の発展の基礎だとし、人権も言葉だけでなく、魂において探求されなければ抑圧的なものになるとしています。『いつくしみ深い神』(1980)では正義はそれだけでは十分ではないと述べ、時代的に解放の神学の先鋭化が目立ってきたからなのか控えめな印象を受けます。しかし、『働くことについて』(1981)になると、労働は人間の尊厳を表現し増大させるとして、資本に対する労働の優位を明確にし、労働者の権利、労働組合の権利を確認し、労働の資本に対する優位や世界における不平等や不正についての指摘もしています。そして、『真の開発とは』(1987)では、開発・発展の霊的性格、開発・発展を促進し人権を擁護する教会の責務を指摘し、現代世界の苦悩に対する真にキリスト教的な応答としての連帯を要請し、エコロジーについても触れています。社会教説百年を記念した『新しい課題』(1991)では『レールム・ノヴァルム』以来の社会教説を振り返るとともに、1989年のヨーロッパにおける共産主義圏の崩壊から、共産主義の誤りを検証しています。また、エコロジーに関しても、ヒューマン・エコロジー、ソーシャル・エコロジーについて触れ、環境の時代を感じさせる部分が見られました。
 このように、時代とともに各教皇の文書の特色は異なりますが、世界の諸問題や社会状況を踏まえて出された教会の指針であることは間違いありません。新教皇は即位後「わたしは、わたしの敬愛すべき先任者の教皇たちが始めた、さまざまな文明との希望に満ちた対話を、力を尽くし、熱意をもって継続します。相互の理解から、すべての人にとってよりよい未来をもたらす条件が生まれるようにするためです」(2005年4月20日、システィーナ礼拝堂での最初のメッセージより)と述べていますが、新教皇の社会への指針ともいうべき社会回勅がどのようなものになるのか、注目したいと思います。