柴田幸範(イエズス会社会司牧センター)
「世論調査によれば、日本人の80%以上が死刑に賛成しているそうです。でも、死刑についてきちんと情報が与えられ、死刑をとりまく現実について、一人ひとりが考えるようになれば、日本の人々もきっと死刑を選ばず、いのちを選ぶようになるでしょう」(シスター・ヘレン・プレジャン)

「平和な社会をつくるために、戦争で人を殺す。犯罪のない安全な社会をつくるために、死刑で人を殺す。人を殺してしか得られない平和、安全って何だろうか? 相手の気持ちになって考えること、愛によってしか、平和な社会はつくれないんじゃないだろうか」(トシ・カザマ)

  5月21日~6月1日、アメリカのシスター・ヘレン・プレジャンが、当センターも参加している「死刑を止めよう」宗教者ネットワークなどの招きで、4度目の来日を果たし、キャンペーン「共にいのちを考える」2005と題して、熊本から東京まで全国9ヵ所11会場で死刑廃止を訴えるスピーキング・ツアーを行いました。各会場で数十名から200名を超える聴衆に、豊富な体験と深い洞察に裏打ちされた講演を行い、大きな感銘を与えました。

 また、昨年5月と11月に来日した米国在住の日本人写真家、トシ・カザマさんも再び来日し、全国8ヵ所で、9年間にわたって米国で撮り続けてきた少年死刑囚の写真を見せて、講演を行いました。

 私が参加した神戸と東京での3つの講演を中心に、今回のキャンペーンについてご報告します。

 神戸での講演会は、「死刑を止めよう」宗教者ネットワーク第5回セミナーとして開催されました。会場はカトリック神戸中央教会。神戸ではじめての宗教者ネットワーク主催の講演会とあって、160人以上の聴衆が詰めかけました。最初にトシ・カザマさんが、スライド・ショーを見せながらお話ししました。カザマさんは、少年死刑囚とその家族、刑務所全景、死刑執行室、死刑囚の墓地、事件現場、被害者遺族、殺人事件のサバイバー(生存者)などの写真を見せ、ふだん私たちが見られない、死刑をとりまくさまざまな場面を見せてくれました。執行室の写真などは、はじめて見る人も多く、ショックを隠せない様子でした。

 カザマさんが言いたかったことは、「死刑問題は一人ひとりのいのちの問題で、抽象的に賛成・反対の議論をしても仕方ない。死刑囚もその家族も、犠牲者の遺族も、サバイバーも、死刑を執行する刑務官も、みんな苦しんでいる。その苦しみを、人ごとではなく、相手の身になって考えてほしい」ということだと、私には思われました。

 続いて講演したシスター・プレジャンのキーワードは、魂の旅路でした。
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プレジャンさんは、一人の死刑囚と出会い、その霊的相談役として対話し、処刑を見送るというつらい経験を通して、死刑囚が変わっていくとともに、自分も変えられたと語りました。同時に、被害者の遺族や死刑囚の家族とも出会い、彼らの苦しみや喪失感に共感し、癒しを願い求める彼らに寄り添いつづけたのです。こうして、プレジャンさんは6人の死刑囚を見送りました。

 この想像を絶する過酷な霊的旅路を、驚くべき信仰と愛によって誠実にたどったシスター・プレジャンの旅は、やがて、大きく実ります。米国の「和解のための殺人事件被害者遺族の会」(Murder Victims Families for Reconciliation:MVFR)が、プレジャンさんの活動にヒントを得て、被害者遺族と死刑囚の家族が一緒に講演をしながら和解と癒しを模索するという「ジャーニー・オブ・ホープ」(希望の旅)を、1993年以来つづけているのです。忘れてしまいたいはずの悲しみと真摯に向き合い、人々に語りかける彼らの、何と勇敢なことでしょう。人は人と出会うことでしか癒されず、生まれ変われないという真理を、プレジャンさんは理性的に、そして限りないやさしさをもって語りました。


 プレジャンさんが今回のキャンペーンで強調していたのは、冤罪問題です。5月28日に日本弁護士連合会主催の「死刑執行停止に関する東京公聴会」(聴衆200名)で講演したプレジャンさんは、新著『The Death of Innocents(無辜の死)』で、自分が見送った6人のうち、明らかに無実だったと確信する最後の2人のケースを取り上げていると述べて、冤罪の恐ろしさについて強調しました。
 米国では1990年代初頭に、DNA再検査の結果、誤判が判明するケースが相次ぎました。これをきっかけに"Innocent Project"と呼ばれる冤罪調査プロジェクトが、全米の大学生などの手で実施され、多くの死刑囚の無罪が証明されました。アメリカでは1973年以来、約30年で千人が処刑されましたが、同じ30年間に冤罪が証明されたのは119人にも上り、その多くが90年代に判明したのです。こうして、釈放された人々がマスコミで次々と証言した結果、世論の死刑への支持は、80%から64%まで落ちたそうです。
 象徴的だったのは、イリノイ州です。同州では13人の死刑囚の冤罪が判明したのですが、特に12人目は、17年間の獄中生活の後、処刑の48時間前に無罪が判明した劇的なケースでした。こうした事態に、イリノイ州前知事ジョージ・ライアン(George Ryan)氏は2000年1月、死刑執行停止(モラトリアム)を宣言し、退任直前の2003年11月、4人の死刑囚の赦免(pardoning)と、残る全死刑囚167人の減刑(clemency)を実施しました。


 日本では1983~89年に、相次いで4人の死刑囚が再審で無罪を勝ちとりました。ところが、それ以降、2004年6月時点で、全国57名の死刑確定囚のうち37人が再審を請求しているにもかかわらず、一件も認められなかったのです。そして今年4月にやっと、名張(なばり)毒ぶどう酒の再審が決定しました。死刑囚としては19年ぶりの再審開始です。事件発生から44年、死刑判決から36年。請求者の奥西さんはすでに79歳です。
 「死刑を止めよう」宗教者ネットワークの中心メンバーであり、今回のキャンペーンの企画者でもある、生命山シュバイツァー寺の古川龍樹(りゅうじ)さん一家は、お父さんの代から1947年に起こった福岡事件という「冤罪事件」の支援をつづけてきました。再審請求も3回行いましたが、いずれも棄却され、主犯とされた西さんは1975年に処刑、従犯とされた石井さんは同じ日に無期に減刑されて、1989年に仮出獄しました。石井さんら3人は、処刑された西さんの無実などを訴えて、2005年5月23日、4度目の再審請求を行いました。






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 5月29日に開かれた福岡事件再審運動を支援する講演会には、7年前から古川一家と交流があり、支援をつづけてきたプレジャンさんをはじめ、カザマさん、運動初期から関わってきた土井たか子・元衆議院議長、そして請求人の一人、石井さん自身も90歳近い高齢ながら参加しました。プレジャンさんもカザマさんも、そして土井さんも、古川さん一家をはじめ大勢の支援者の献身的な努力をたたえ、再審を開始して司法の過ちをただすことこそ、いのちを大切にする社会を築くために、私たちのなすべきつとめだと訴えました。


 死刑問題に関わっていると、たびたび、批判や中傷を受けます。「被害者の人権より犯人の人権が大事なのか」、「被害者遺族の気持ちを考えたことがないのか」、「こんなに凶悪犯罪が増えているのに、死刑をなくせるはずがない」などなど。冤罪と言われる事件の支援でも風当たりは厳しいのですから、ましてや有罪を認めている死刑囚を支援したり、死刑制度の廃止を訴えたりしようものなら、「人でなし」のような扱いを受けます。でも、あえて言うなら、私たちは「人でなし」にならないために、死刑廃止を訴えているのです。
 5月28日の日弁連の公聴会で話した哲学者の高橋哲哉さんは、ホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)を指揮したナチス幹部の死刑を支持した、あるユダヤ人哲学者の発言を紹介しています。「彼(ナチス幹部)は、誰が生きていてよくて、誰が生きていてはいけないかを決めるという、人間にはゆるされない行いをしたのだから、他の人から生きる権利を認められなくても、仕方ないだろう」という趣旨の発言だったそうです。
つまり、このユダヤ人哲学者は、他者の生死を決定しようとするナチスの非人道性を憎むあまり、同じように他者の生死を決定してしまうというワナに陥ったのではないか、ということです。どんなに相手が非人間的であっても、生きる権利だけは否定しない。相手を殺す権利を主張してしまえば、自分の人間性までそこなわれてしまう。これは、MVFRのメンバーの被害者遺族も、実際に語っていたことなのです。

 もちろん、私たちも犯罪は憎いし、許せないと思います。あえて、死刑に反対などせずに、世論に乗っていた方が楽なのです。でも、そこで一歩立ち止まって考えさせるのは、キリスト者にとってはキリストの教えであり、仏教者にとっては仏の教えなのです。どんな宗教も、限りない赦しと回心を説いています。その本当の意味は、そう簡単にはわかりません。本当にどん底にまで落ちて苦しんでいる死刑囚やその家族、被害者遺族にしかわからないのかもしれません。だから、プレジャンさんやカザマさん、古川さんたちは死刑に関わる人々と出会い、霊的な旅路をつづけているのだと思います。
 みなさんにも、今すぐ死刑廃止に賛成してほしいとは言いません。ただ、ちょっと立ち止まって、私たちと一緒に死刑をめぐる霊的な旅に出てみてほしいのです。そこから見える「いのちの風景」を、一緒に見ていただければと思います。

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