報告スリランカの津波とイエズス会

プラカシュ・ルイス(イエズス会津波救援復興会議顧問)


 昨年12月の津波が引き起こした破壊は空前の規模にのぼった。だが、国内外のさまざまな人びとから寄せられた人道援助もまた、同じくらい前例のない規模だった。イエズス会員たちも、津波被害の規模と深刻さを理解していたので、全力を尽くして被災者の救援と復興支援にあたった。
 当初から私たちイエズス会員は、スリ・ランカ全島を襲った津波被害のすべてに自分たちで対応するのは不可能だと、十分理解していた。そこで、私たちは今のところ、イエズス会員が住んで働いている被災地域、トリンコマリー、バティカロア、ガレの3県に活動を集中することにした。同時に、必要なときには他の地域でも、個別の緊急援助や復興支援をおこなうことも決めた。上記3県には地域事務所と地域調整チームが置かれ、活動を始めている。また、コロンボのニルマーラには中央調整事務所が置かれて、これら3つの地域事務所を全国レベルで調整している。これらの事務所の活動は、イエズス会員と信徒協力者8人からなるイエズス会津波復興救援会議(JTRRB)によってモニターされ、指導される。プロジェクト全体の法的責任者はマリア・アントニー神父で、アントン・ピエリス神父が前プログラムのコーディネーターだが、ピエリス師は他にフル・タイムで志願者の責任者も務めているため、他にフル・タイムのコーディネーターを探さなければならないだろう。緊急援助と長期にわたる復興支援を実行するための、プロジェクト管理と財政の組織が、すでに立ち上がっている。
 JTRRBは、緊急救援活動からの段階的撤退を検討している。とはいえ、何の蓄えもない被災住民には、もちろん援助の手を差し伸べつづける。その一方で、私たちは中長期の復興支援プランを検討している。私たちは人びとの日々のニーズに可能なかぎり敏感に応える一方で、長期的な復興プランを立案し、実行しなければならない。
 もし、イエズス会が教育機関を持っていたら、もっと多くの活動をおこなうことも、ずっと容易だったろうというのは、私たち全員が実感するところだ。だが、スリ・ランカ政府は1960年に、すべての学校を国有化してしまった。私たちも1970年にすべての学校を政府に譲り渡して、イエズス会員は学校から完全に撤退した。そのため、私たちは今でも、学校に容易にアクセスすることができない。
だからといって、私たちはこの国の市民としての義務から逃れようとは思わない。なぜなら、私たちは貧しい人びと-あるいは、津波後にもっとも疎外され、排除されている被災者たち-を選択することを決めたからだ。
 次の選択は、教会、組合、村の委員会、専門学校や教育機関を通じて被災住民を救援し、復興支援し、生活を再建することだ。教会や漁民組合、村の委員会は、より広く地域に根ざして、すべての住民のニーズに対応しているので、どんな活動支援もこれらの組織を通しておこなった方がよい。被災地の多くではそうした組織が以前からあるか、作っている最中だ。いくつかの村では、教会や村の監督下で幼稚園を運営できそうだ。それが無理なところでは、そうした組織を作る必要がある。

主要な課題
1. 津波被害の甚大さと、私たちの人材・財源不足を考えると、場所や人びとのニーズに即して、復興支援をおこなう地域を決める必要がある。
2. 政府や行政機関が無策な、あるいは対策が不十分な現状では、被災者の日々のニーズと長期的なニーズの両方に応える必要がある。ジャヤティレッケ・デ・シルバの言葉を借りれば、「こうした政治的津波は、被災者をいっそう絶望的な状況に追い込んだ。津波という自然災害は4万人のいのちを奪ったが、政治的津波は、運良く死をまぬがれた人びとの未来までも奪い去ろうとしている」。政府や政治家の対応は批判しなければならないが、それだけでは不十分だ。私たちは被災者への救援と長期的な復興支援に、創造的に取り組まなければならない。
3. さらに、私たちは本当に困っている人びと、疎外されている人びと、不便な場所にいる人びとの要求に応えるために、長期的かつ真剣な取り組みをおこなう必要がある。
4. 加えて、復興と再建には長期的な取り組みが必要であり、私たちは一致団結して前進していかなければならない。この重大な時に、個々の利害関係や目的に基づいて、かってに行動することは許されないのだ。
 津波が引き起こした死と破壊の甚大さ、その影響の大きさを考えるとき、私たちは少なくとも、把握できる範囲で、人びとの復興を支援しなくてはならない。以下に、イエズス会が取り組もうとしている活動のリストを挙げる。これによって私たちは、津波がもたらした破壊と死に、誠実かつ有意義に対応できると信じている。
復興支援計画
ガレ、バティカロア、トリンコマリーの3県で、以下の活動をおこなう。
教科書、制服、通学カバン、靴など学用品の支給/5千人
津波被災児童のための幼稚園の建設・運営/6
孤児院の建設・運営/3
職業訓練校の建設・運営/3
学費援助/1万人
生徒のカウンセリング/4千人
家族のカウンセリング/550世帯
家族向けの法律相談/850世帯
病気やケガなどで困っている人への支援/80人
母子世帯への支援/80世帯
家庭用品の支援/1,700世帯
住宅の修理/950世帯
生計支援a)漁民組合/300世帯
生計支援b)工芸組合/1,100世帯
生計支援c)三輪車運転手/100世帯
生計支援d)漁業・建設労働の失業者/2千世帯
冠婚葬祭援助/1,200世帯
住宅建設/310世帯

提案
1.  前記のリストは最終的な決定版ではなく、現時点での計画に過ぎない。計画を進めるにつれて、他の分野の問題にも目を配る必要が出てくるだろう。住宅が全壊した7万世帯のうち、私たちが建て替えることができるのは、わずか310世帯に過ぎない。被害の大きさには比べるべくもない。だが、このわずかな計画でも2年で完遂することができれば、農村に住み、もっとも貧しく財産もないが、確かにこの国の背骨である人びとの味方になろうという、私たちの闘いが正しいものであったと証明されよう。
2. 時々、私たちを苦しめ、うちのめすのは、津波による死と破壊ではないと思われるときがある。私たちを苦しめるのは、私たち自身の無策、あるいはまちがった対策なのだ。この危急の時に私たちがとるべき行動とは、わが国民が耐え忍んでいる苦しみ・痛みを和らげるのに役立つものでなければならない。何十年もの間、民族紛争に苦しんできたこの国に、今回の津波は、一つの目的に向かって働かなければならない緊急の必要をもたらした。この危急の時に、「貧しい人びとの選択」は私たちに、緊急援助の対象から外れている、疎外された人びとの側に立つよう求めている。私たちは政治家たちのように、政治的津波に加担することはできない。
3. 国内外の多くの意識ある市民の列に加わって、津波被災者の問題に取り組むために、私たちはカーストや階級、政治信条や宗教を問わず、すべての人の側に立つという政治的選択をおこなってきた。この選択は、草の根の人びとのニーズや計画に応えるという、具体的な行動へと進められなければならない。
4. 復興支援と生活再建は2~3年はつづけなければならない、というのが私たちの共通認識だ。イエズス会員が津波被災者の闘いに参加しようと決断したのなら、より多くの人材や資金、時間、エネルギーをこの活動に割いて、具体的な行動で示さなければならない。つまり、この仕事により多くのイエズス会員を充てるべきだということだ。もちろん、信徒協力者もなすべき仕事をするだろうが、イエズス会員ももっとたくさん参加する必要がある。その方法については、みんなでよく考えて答えを出す必要があるだろう。
5. 省略)
6. インドのイエズス会員が数ヶ月にわたってスリ・ランカにやってきて、スリ・ランカのイエズス会員と共に、津波後の救援・復興活動に参加しようと申し出ている。この申し出は真剣に検討する必要がある。人員不足は危機的であり、ニーズが緊急のものである以上、より多くのイエズス会員が参加できる可能性を探るべきである。
7. 何度も話し合われてきた問題は、開発活動や社会活動をおこなえるNGOとして登録することだ。今、登録しておけば、救援・復興活動にたずさわることは容易になるだろう。資金を寄せてくれる機関の多くは、このように大規模な支援活動をつづけていくためには、より多くの人員と専門家、物的基盤を確保した方がいいと、私たちに求めつづけている。私たちは「過去の栄光」にしがみついていることはできない。新たな、より意義深い問題解決の方法を探らなければならない。NGOや社会センターを立ち上げるのも一つの方法だ。JTRRBのメンバーも、そうした提案をしている。たとえば、スリ・ランカ社会研究所とか、スリ・ランカ社会機構といった案が出ている。
8. スリ・ランカのイエズス会員が一致団結して、津波後のスリ・ランカ社会と、私たちの復興支援計画を検討していることは、時宜にかなっている。それは同時に、スリ・ランカの人びとと共に救援・復興活動にたずさわることによって、哀悼の意を表し、連帯を示す機会ともなっている。
 こうした考えは、私たちがこの1ヶ月、被災地で人々と共に暮らして、救援・復興活動にたずさわってきた経験に基づいている。もし、これを読んで何かのお役に立つようなら、くずかごに放り込まずに検討してみてほしい。
[スリ・ランカ、2005年2月14日]
イエズス会のe-mailマガジン“HEADLINES”、2005年2月号より抜粋。