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釜ヶ崎キリスト教協友会は、毎年、年末から年始にかけて「越冬セミナー」を企画している。これまでに多くのセミナー参加者が、炊き出しや夜回りといった体験をし、釜ヶ崎をよく知る人々から話を聞き、釜ヶ崎で起こっていることに僅かずつではあるが触れてきた。今回は日本各地でボランティアをする青年たち(JYVA/日本青年奉仕協会の「ボランティア365」参加者)が6名、京都と山口からの青年2名、日本福音ルーテル教会の神学生1名、イエズス会の神父・神学生2名、セミナースタッフ4名が共に集まり、イエズス会「旅路の里」を拠点にして4日間を過ごした。
まず、プログラムから主な活動を挙げてみよう。
このような短期間では多くの体験はできまい、そのような声が聞こえてきそうである。しかし、例えば越冬セミナーの前後にイエズス会4校のうち広島学院と栄光学園の生徒が旅路の里に宿泊していたように、年末年始を中心に多くの人々が釜ヶ崎を訪れ、釜ヶ崎を通して現実社会に関わっていく。このセミナーも釜ヶ崎や社会の現実に食い込んでいくための役割を果たしている。では、今回の参加者がどのような現実との接点を見いだしたか、その幾つかをシェアリングなどから拾い上げてみよう。 ①日雇労働者の就労状況は厳しいが、特に高齢労働者にはほぼ仕事がない。 |
②国の緊急地域雇用創出特別交付金打切り決定により、高齢労働者が中心に登録している清掃事業(大阪府、大阪市が運営)が危機的状況。これは1日1食さえ食べられない人が増加することを意味する(現状でさえ、月に2、3回程度の就労、賃金は1日5,700円)。 ③日雇労働の仕事斡旋方法がインターネット上で行われるなど多様化し、「寄り場」の役割が薄れつつある。 ④労働者間、特に仕事のある若年層と高齢層間の団結が余り見られない。 ⑤炊き出しの材料確保が困難になっているようだ。 ⑥釜ヶ崎の状況は釜ヶ崎外には殆ど報道されていない。 ⑦人民パトロールが配布するビラを手に取り、その場で読みだすなど関心を示す人々もいる。しかし、「自分のこと」と考えられないのか、無関心や敵意を示す人々もいる。 ⑧労働者・野宿者を排除しようとする駅員や警察官の存在は、日本が管理社会であることを如実に示している。 ⑨多くの人々が「自分は安全だ(つまり、野宿者ではない)」という意識をもっている。 ⑩多くの人々は意識的・無意識的に管理する側に立っていて、自分も管理されていることに気づいていないのかもしれない。 ⑪多くの人々の視点は管理する側にあるため、社会システムからはずれることは「自己責任」だと考えているのかもしれない。社会システムからの逸脱は、誰にでも・いつでも起こりうるということには気づき難い。 ⑫普段見過ごすようなところに、被差別地域の跡や労働者・野宿者排除の現実を見つけることができる。 ⑬社会システムを維持するために周縁化される人々がいる。このことは歴史を通じてあった。
以上のように様々な意見や感想が出たが、これらから考えたことなどを列挙して体験記を締めくくりたい。 ①今起こっている現実に近づいていくという努力が必要である(歴史を知ることも必要)。 ②社会システム維持を役割とする行政や企業や報道機関の立場とは異なる、現場からの視点を養う必要がある。そのために現場に足を運び(或いは、住み)、そこにいる人々に聞くことが不可欠。 ③現場のニーズに従った活動によって現場をエンパワーし、同時に、現場からエンパワーされる双方向的交流。 ④周縁化された現実からの社会変革・社会の人間化。 ⑤体験・体感した現実を考察し、より広く共有化していくこと。 ⑥ネットワークを必要とする場で、ネットワーク作りをするファシリテーターになること。そのためには人々のニーズや感情に共感し、文化や社会構造や現在起こっていることに敏感となることが不可欠。 |
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