変わりゆく労働者の町・釜ヶ崎
阿部 慶太(フランシスコ会)
 以前、釜ヶ崎というと、日雇い労働者の街というイメージが強く、バブル崩壊前の1980年代には2万数千人の日雇い労働者が仕事を求めて、労働センターに早朝から集まる光景が見られた街でした。労働者もまだ若く元気で仕事もありましたから、仕事帰りにお酒を飲んで、酔った勢いで喧嘩をする姿などがあちこちで見られました。といっても、暴力的なものではなく、人と人が本音でぶつかる街、そうした印象と活気がありました。
 当時、労働争議や警察の不正が原因で起こった暴動など、激しい面ばかりが強調されて報道されたこともありましたが、この街独自の人間味に触れて住み着く人もいました。その中には現在も活動を続ける人が少なくありません。
 90年代に入り、2万人以上の労働者に対して、仕事の数が一日百件台と少なくなって野宿労働者が増加しても、まだ釜ヶ崎で元気な人々の姿を見ることができました。しかし、野宿労働者が激増し、「ホームレスの自立支援等に関する特別措置法」が施行され、大阪市も自立支援センターを大阪城公園に開設するなど、野宿生活を強いられた人々への周囲の状況も年々変わっていきました。
 確かに、野宿生活をしている人々は、公園などからの不当な追い出しからは法的に保護されることになったものの、問題の就業機会の確保については、大阪府・市は大幅な財政難で、公的就労制度はもちろん緊急対策の補正予算もなく、特別清掃枠が1日あたり20名増えただけの焼け石に水のような対応で、問題の先送りだけが目に付く時期が続きました。
 最近、久しぶりに釜ヶ崎へ足を運んだところ、街の様子が大きく変わったことに気が付きました。ドヤと呼ばれる簡易宿泊所が福祉の受けられるアパートへと姿を変え、生活保護をうける高齢者の入居を促進していたからです。また、介護ステーションの事務所もあり、デイケアサービスなどが行われていました。これは、長い間この地域を基盤にしてきた日雇い労働者が、高齢化で雇用を打ち切られたり、病気等で、福祉を受ける割合がここ数年高くなっていることのあらわれでもあります。
 このようにせっかく福祉を受けて、貧しいながらも安定した生活に入った矢先に、長年の無理がたたり、病気や軽い痴呆などになる人も多く、介護の世話を受けたり、食事のサービスを利用したりするケースが増えています。
 それと同時に、街の経済事情も変わりつつあります。以前は、仕事をして日銭が入ると付近の商店街や飲食店が賑わいましたが、現在は、年金や生活保護の支給日に商店街の人通りが増えるといいます。このように、日雇い労働で生活していた労働者が医療と福祉を受けるケースが増えるのを目にして、釜ヶ崎は福祉の街に変わりつつあるのか、と感じてしまいます。
 しかし、長年この街で活動してきた人や、特別清掃や廃品回収で野宿を続ける初老の労働者の人々は、釜ヶ崎は今でも労働者の街だと言います。彼らは、この街には労働者ともに歩んできた歴史があるし、形は変わっても、特別清掃や廃品回収で生き続ける人がいる限り、この街は労働者の街だと言います。街の様子は変わりつつありますが、まだ労働者が苦しい中でも生き続ける街であることは、確かなようでした。

12月25日から釜ヶ崎の越冬が始まります。支援をお願いいたします。
<毛布>
釜ヶ崎キリスト教協友会が越冬期間中の夜回りで配ります
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<越冬用品>
下記以外のものは送らないで下さい

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旅路の里
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<越冬支援カンパ>
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釜ヶ崎反失業連絡会
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