<講演>釜ヶ崎で、触れて感じて思ったこと
 
英 隆一郎(イエズス会)

 英さんは2001年から約2年半、大阪・釜ヶ崎のイエズス会社会司牧センター・旅路の里で働きました。 旅路の里は1982年、薄田昇神父(イエズス会)がはじめた施設で、当初は高齢者や病弱労働者の世話をしていましたが、現在では体験学習の受入れや、釜ヶ崎キリスト教協友会の事務局としての活動などが中心です。 この講演は11月10日、カトリック麹町(イグナチオ)教会で、メルキゼデクの会の主催で行われました<文責/柴田幸範>

 私が釜ヶ崎に行くようになったのは、学生時代から知り合いだった薄田神父さんが、釜ヶ崎で旅路の里をはじめて、手伝いを頼まれたのがきっかけでした。大学を卒業したら旅路の里で働くと約束していたのですが、イエズス会に入ることになり、約束は果たせませんでした。それから20年近く経った2001年、フルタイムの責任者がいなくなった旅路の里で働くことになりました。そのときの体験からお話ししたいと思います。

もじろうかい-識字のこころみ
 釜ヶ崎は江戸時代からつづく日雇い労働者の町です。以前から労働組合やキリスト教団体がさまざまな支援活動をしていたのですが、私は衣食住ではなく、以前から関心を持っていた識字教育に取り組みたいと思っていました。ちょうどその頃、「釜ヶ崎のまち再生フォーラム」に出ていたとき、隣に座っていた同年代の男性が、「識字教室をやりたい」と話しかけてきて意気投合し、彼とともに2002年3月に「もじろうかい」という識字教室をはじめることになりました。
 今の日本社会では信じられないでしょうが、釜ヶ崎の労働者には、中卒で漢字が書けない人、高卒でアルファベットが書けない人がけっこういます。私が影響を受けたブラジルの教育学者パウロ・フレイレは、『被抑圧者の教育学』という本のなかで、抑圧されている人々にとって読み書きを覚えることは、自分や社会を表現し、変えていく手段として、とても大切なことだと言っています。たしかに、字を覚えて自分を表現することができるようになって、どんどん人間性が回復していくのを見ると、人間にとってどれほど教育が大切かと痛感します。
 フレイレは、今の教育は「銀行型」、知識を詰め込む一方の教育だと批判して、被抑圧者の教育は「対話型」、一方的に教えるのでなく、対話を通してもともと持っているよいものを引き出していく教育だと言っています。だから、もじろうかいの識字教室も、原則的に一対一で学習します。当然、ボランティアもたくさん必要なので、ボランティア養成講座を立ち上げるところからはじめました。
 字を教えるだけでなく、就労や住まいなど、生活全体も支援します。いきなり生活相談ということもありますが、普通はまず、労働者の話を徹底的に聴くこと-「俺は昔、新幹線の線路をつくったんやぞ」とか「○○ビルをつくったんや」とか、自慢話が多いですが-からはじめます。そのうちに、信頼関係ができてきて、徐々に悩みや苦しみを打ち明けるようになる。
 「アクティビティ」と呼ばれる分かち合いもあります。たとえば「みんなで手を見てみましょう」という。労働者のごつい手です。それを見ながら、自分のしてきた仕事の話をする。そうしてだんだん、過去のことを思い出していく。釜ヶ崎の労働者や野宿者は、今日しかないんですね。昨日も明日もない。

他人との関わりも切れている。家族と縁を切った人もたくさんいるんです。話をしたり、作文をすることで、自分の過去を思い出します。過去と現在がつながり、そこから人間関係もつながってきます。そして本来の自己を取り戻すのです。
 たとえば、Aさんは一泊500円のドヤ(簡易宿泊所、略して簡宿とも言います)に泊まって、カップラーメンばかりすすっていました。彼は自己流で字は書けるのですが、手紙一本書いたことがなかった。彼がもじろうかいの識字教室で学んで、生まれてはじめて書いた手紙が、お母さんへの手紙だった。そして、お母さんから生まれてはじめての返事をもらった。お母さんも字が書けないらしく、代筆でした。「お前はいつも酔っぱらって『金がない』という文句の電話ばかりだった。はじめて『元気です』という人間らしい手紙をもらい、本当にうれしく思いました」。一本の手紙で親子関係が回復したのです。
 もう一人、Bさんは字も書けるし、石川啄木の歌を暗唱できるほどの人でした。でも最初のうちは、人が何か言うとかならず、「そんなこと言っても、現実には…」と批判ばかりしていました。ところが、いつの間にかリーダーになって、いろんなことを進んでやるようになった。仲間と紙芝居の会をはじめて、近所の幼稚園を訪問するほどの活躍ぶりです。
 そんなふうに、仲間が共にいることで、人間が変わっていく。自分が在日朝鮮人であるとカミングアウトした人もいます。それから、すい臓ガンで入院して、私が釜ヶ崎を去る最後の日に洗礼を授けた人もいました。彼は「仲間に見守られて死ぬことができて、本当に感謝だ」と言って亡くなりました。自分を取り戻し、変わっていく姿を見るにつけ、どんな人間も尊敬に価すると思いました。

地域通貨「カマ」
 もう一つの体験は「地域通貨」の試みです。今の社会はお金中心主義がひどすぎる。もっと人間同士の関係を大切にしたシステムを、地域社会からつくっていこう-ということで、今、世界中に地域通貨の運動が広まっています。日本でも、ミヒャエル・エンデというドイツの児童作家が、地域通貨について語った番組がNHKで放送されて、一気に広まりました。
 具体的には、釜ヶ崎だけで通用する「カマ」という通貨単位をつくって、1時間はたらくと300カマというように決める。それを、何かしてほしい人と、それができる人との間でやりとりする。その手助けをするわけです。私が直接何かするのでなく、当事者のやりとりを支えるボランティアということで、いいんじゃないかと思って関わりました。
 具体的には「してほしいこと」「できること」をまとめた情報誌『やりとり百貨』を配って、やりとりをはじめる。何かしてあげると「プラス」、してもらうと「マイナス」のカマを『カマ手帳』に記入する、という仕組みです。
 ただこれも、うまくいった面と失敗した面があって、失敗した方からいうと、「してほしいこと」「できること」というのは、そんなにはっきり出てこないんですね。だから、カマが使える場と稼げる場を、積極的につくらなければならない。それで、使える場としては、野宿者を支える「サホーティブ・ハウス」という施設で出すモーニング・セットや、ヨガ教室の支払いに使えるようにしました。稼ぐ方は、長期入院した仲間のお見舞いに「折りヅル」を折る作業や、毎週金曜の軽作業、その他、臨時の作業などで稼げるようにしています。
 ただ、当たり前ですが友だちになってしまえば、カマをやりとりしなくても、タダでやってあげるよ、ということになる。それから、お金がからまないので、なかなか真剣にならない。一番貧しい人、たとえば今日食べるものがない、泊まるところがないという人には、まどろっこしくて参加してられない。仕事ができる人ほどカマがたまるという、資本主義の能力主義から解放されない。「してあげる」プラスはいいけど、「してもらう」マイナスがたまるのはいやだ…いろいろなことが分かりました。

 要するに、通貨という形で人間の行為を数量化するわけです。しかしながら、人間の善意や支え合いは、最終的には数量化できないbeingの次元に属することだと悟りました。それでも、地域の人間関係を活性化させるという意味では、地域通貨という仕掛け自体は必要なわけで、共同体づくりの観点から、「カマ」は成功している方だと思います。

釜ヶ崎のまち再生フォーラム
 今、釜ヶ崎の景気はどん底です。建設関係の仕事は全くない。このままだと町が死ぬ、というので地域の人が立ち上がりました。釜ヶ崎で労働者を支援していたのはキリスト教系や労働組合の人です。商店主や簡宿の主人といった町の人たちは、労働者を搾取する「資本主義の尖兵」で、労働者の「敵」でしたが、もうそんなことを言っていられない。それぞれの立場や主義主張を超えて、まち全体を再生させる運動が99年頃から立ち上がりました。
 社会的に一番弱い人を支援するには、まちづくりも視野に入れなければならない。弱い人を排除するのではなく、共存できるまちをつくることで、まち全体が活性化します。先日、テレビでイギリス、バーミンガムという町の再生を取り上げた番組を見たのですが、まさにそうでした。町の中心の公園が売春地帯になっていて、そこで働く女性たちを追い出したら、まわりに広がっただけだった。そこで、女性たちのケア、サポートに取り組むようになったら、それがきっかけで町全体が復活しました。そこで言われていたのは二つのことです。一つはSocial Inclusion。だれも排除しないということです。一番貧しい人には、その社会の問題が凝縮していて、一番貧しい人によい解決は、すべての人によい解決だということです。もう一つはQuality of Life。貧しい人たちを施設に入れたり、隔離して終わりというのでなく、彼らの生活の質そのものを上げていくことによってしか、問題は根本的に解決しない。
 そこで、まちづくりですが、NPOにはアイディアと実行力がある。行政にはお金がある。大学には智恵がある。ほかにも、宗教者、介護団体、釜で商売をしている人、いろんな人をうまく組み合わせるネットワークが、まち再生フォーラムです。別にすべての面で一致する必要はない。手をつなげるところでつなげていけばいい。だから、会議ではなくてワークショップの形をとります。「これはいい、これはダメ」と議論するのでなく、いい意見だけ集めてやっていけばいい。第三世界の貧しい人々の間の市民運動、住民運動はみんなまちづくり、コミュニティ・オーガナイゼーションが中心になっています。

支援の方法論
 ここまで、釜ヶ崎で体験したことを話してきたわけですが、ここから少し、支援の仕方についてお話ししたいと思います。支援の仕方を私なりに三つに分けました。一番目は「善意のボランティア型」。「底辺」にいる労働者や野宿者に「上から手をさしのべる」仕方です。教会で一番多いタイプかもしれませんね。ある人がどのタイプか、言葉づかいで分かるんですが、このタイプの人、たとえば福祉施設の人は、野宿者を「利用者さん」と呼びます。もちろん、こういう活動は大切なのですが、「底辺」の人の自立につながりにくい、という弱点があります。このタイプに対応するキリスト教的イメージは「あわれみ深い神」でしょう。
 二番目は、「たたかい型、対決型」。弱い人たちが社会を変えるために、団結してたたかわなければならない、というタイプですね。労働組合とか、カトリックの正義と平和協議会もそうだと思います。このタイプの人は、野宿者や労働者を「仲間」と呼びます。たとえば身寄りがなくて亡くなられた方の葬儀は、自治体からのお金30万円で行うんですが、葬儀屋さんが花も読経もなしで、費用を自分のものにしてしまうことがあります。
<図1 3つの支援の仕方>

こんなケースに出会うと、さすがにたたかわなければならない。このタイプは、目標がはっきりしていてやりやすいんですが、力と力でたたかうと負けることもあります。それから、これも自立を支援しているように見えて、要求を聞いてもらうだけという、別の依存的な関係をつくってしまうことがあります。このタイプのキリスト教的イメージは、「不正をゆるさない神」です。
 三番目は「コミュニティ自立型」です。方向だけでいうと二番目と同じですが、「人間はコミュニティのなかで育つ」という考えに基づいて、コミュニティづくりを通じた自立をめざしています。「もじろうかい」もそうですし、知的ハンディをもつ人のコミュニティ「ラルシュ」もそうだと思います。ただ、日本ではあまりに底辺の人たちの立場が弱すぎるので、一番目や二番目のタイプも必要なのはたしかです。キリスト教のイメージで言うと、「弟子たちを導くイエス」ですね。なぜイエスが弟子たちを選んで教えたかというと、「弟子たち=教会」はコミュニティだからなんです。

釜ヶ崎で考えたキリスト教
 最後に、釜ヶ崎の体験を通して、私のキリスト教理解がどのように変わったか、お話しします。
 第一に、聖霊が釜の人々のなかに、コミュニティの助け合いのなかに、強く吹いている。神様は教会のなかだけにいるのではない。教会の外にも、こんなにすばらしい人がたくさんいる。だから、釜ヶ崎にいると全然、悲観的にならないんです。弱い人のなかにこそ、聖霊が吹くと実感できます。
 第二に、だからイエスは弱い人とともにいた。弱い人、さげすまれている人のなかにこそ、聖霊は吹きやすいし、愛が働きやすい。私たちは天国というと聖人、何かすばらしいことをした人を想像しますが、聖書は「おさなごのようでなければ、天国に入れない」と言っています。天の国の価値観はこの世とは違う。そのことを、釜では注釈のいらない現実として実感できます。


 三番目は、「では、神の国とは具体的に何か」ということです。 私はコミュニティとネットワークだと思っています。 12人の弟子はコミュニティであり、その弟子たちや教会、教会以外の人たちを、タテではなくヨコにつなげたのが神の国というネットワークですね。 アジア司教協議会連盟(FABC)のいう「共同体の交わり」(Communion of communities)の教会、というイメージが近いかもしれません。ただ、ネットワークのまんなかに教会があるというのは違うと思います。 教会もコミュニティの一つで、まんなかにあるのはイエスと福音でしょう。
 釜ヶ崎で言われたのですが、「教会のいいところはネットワークをもっていることだ。 悪いところは自分たちだけでやろうとするところだ」。 たしかにそうだと思います。
 コミュニティはいちばん弱い人を切り捨ててはいけない。 弱い人を切り捨てないとき、コミュニティは絶対うまくいきます。底辺でやっていることが、日本全体に役立つ。 福音で言われているように、小さな者こそ地の塩、世の光だと、釜ヶ崎で働いてきて実感しました。
<図1 3つの支援の仕方>