柴田 幸範(イエズス会社会司牧センター・東京)

「少年犯罪は、年々、増加しており、内容も凶悪化の一途をたどっている」
「近年、親元から独立しようとしない、ダメな若者が増えている」
「日本人は伝統的に働き者なのに、最近は定職に就かない若者が増えて、伝統が壊れてきた」
「欧米の若者は学生の頃から自立しているのに、日本の若者は親のスネをかじってばかりいる」
「働く女性が増えるにつれて、子どもの数が減り、日本社会は危機に直面している」

 どれも、新聞や雑誌、テレビで見聞きしたことのある話です。私たちの社会についての見方は、多かれ少なかれ、こうしたマスコミの論調に影響されています。マスコミの報道は、世論調査や専門家の意見、政府の発表に基づいています。一般市民は大規模な調査・研究などできないのだから、マスコミや専門家の意見を信じるしかないわけです。
 ところが、この本は、そうしたマスコミや専門家が流す社会の見方に、真っ向から挑戦しています。
「少年犯罪は増えていない。凶悪化しているのは中高年だ」
 「若者の独立をはばんでいるのは、劣悪な住宅事情だ。独立したい若者は、一人暮らしの老人と同居すれば、一石二鳥だ」
 「江戸時代の日本人はあくせく働かずに、生活を楽しんでいた。一生、同じ職場で勤勉に働くことが美徳になったのは、第二次大戦後の高度経済成長時代に、会社人間を作るために始められた陰謀だ」
 「欧米の大学生も、国や親から学費を出してもらっている。大学生の学費は、親の所得によって格差をつけるべきだ」
 「少子化が社会をダメにするという話には、現実的な根拠がない。年金問題でも何でも少子化のせいにして、責任を逃れている。働く女性が増えるなら、男が子育てすればいい」


 「何を馬鹿なことを」と言うかもしれませんが、私にとっては、当たり前のことばかりです。そもそも市民運動は、世間の常識やマスコミ・専門家の意見と異なる現実、常識では解決できない矛盾から出発しています。ですから、市民運動の発行するミニコミ雑誌には、マスコミには決して出ない貴重な情報が、数多く載っているのです。
 でも、現代の日本では、マスコミに出ていることが本当のことで、専門家の意見こそ真理、マスコミに出ていない問題は、存在しないも同然です。著者は、そうした現状を「社会学の暴走」ととらえています。そして、「反社会学」の目的を、「不当な常識、一方的な道徳、不条理な世間体から人間の尊厳を守ること」だと述べているのです。
 著者のパオロ・マッツァリーノ(Paolo Mazzarino)はイタリア生まれの30代男性。父親の仕事で世界中を転々とした後、現在は千葉県の幕張に住み、大学で社会学の講師をつとめながら、立ち食いそばのアルバイトをしているそうです。著者は、社会学者やマスコミ、政府が何らかの意図を持って、「自立幻想」をばらまいている、と批判します。なぜ、誰もが「自立」しなければならないのか? 人間はもっと依存しあって生きてきたのではないか? そもそも「自立」とは何なのか?
 著者のこうした「自立」批判は、実は社会司牧通信でも何度かとりあげた新自由主義(ネオリベラリズム)への批判につながっています。新自由主義は「自立」と「自己責任」を押しつける一方で、弱者を切り捨て、社会の連帯を破壊しているのです。まじめな人ほど陥りやすい、この「自立」のワナを、著者はちょっと下品なユーモアをまじえて、徹底的に批判しているのです。
 この本が、本屋で山積みになっているのを見て、ちょっと安心しました。もちろん、わが家の中学生の子どもにも、この本を買って帰りました。