[アジア司教協議会連盟、2003年12月25日、194ページ]

安藤 勇(イエズス会社会司牧センター・東京)


 アジア司教協議会連盟(FABC)が出版した本書は、イラク危機に関する数々の貴重な文献にもとづいて、非常に完成度の高い報告を行っている。イラク問題は今なお、日本国内はもとより、世界中のマス・メディアの注目を一身に集めており、あたかも全世界がイラク問題を中心に回っているかのようである。本書は、イラク戦争だけでなく、他の同様な国際紛争についても、健全な判断を下すための、よい材料を与えてくれる。
 本書は、カトリック教会の指導者たちの倫理的な発言を紹介するが、こうした発言に耳を傾けることは、市民を巧妙な手段であざむき、有力なメディアや国連などの外交チャンネルを操作しようとする、権威主義的な政治家の言動に対して、批判的な態度を保つのに役立つ。
 第1部では、イラク危機の現状と国連の制裁決議を理解するために必要な、背景となる事実を説明している。その内容は、多くの類書と重なっている。イラクは本当に大量破壊兵器を保有していたのか? イラクはアル・カーイダや他のテロリスト集団と直接に結びついていたのか? イラク戦争は、中東紛争全体のなかでどんな意味を持つのか?_開戦の主な動機は、米国の石油利権と世界覇権の追求ではないのか? 国連の安保理事会はどんな役割を果たしたのか、戦争のほかに選択肢はなかったのか?
 本書の独自性がもっとも発揮されるのは、イラク戦争に対するカトリック教会の反対論を紹介した章だ。米国司教団の反対論からはじまって、教皇ヨハネ・パウロ2世の反対論と、バチカンによる戦争回避のための外交努力が、克明に描かれている。そのクライマックスは、高齢のフランス人枢機卿ロジェー・エチェガレーが、ヨハネ・パウロ2世のサダム・フセイン宛の親書をたずさえて、2003年2月15日にバグダッドに派遣されたことだ。他方で本書は、米国カトリック教会の新保守主義(ネオ・コンサーバティブ)指導者マイケル・ノバックが、バチカン高官に対して、米国のイラクに対する予防的先制攻撃(pre-emptive strike)は必要であると信じさせるために行った、数々の外交努力も明らかにしている。1999年にヨハネ・パウロ2世の伝記、『希望の証人』を書いたことで有名な、マイケル・ノバックの同志ジョージ・ウィーゲルも、ノバックの意見を支持した。だが、ノバックがローマに招かれたことに対して、米国カトリック教会の指導者60人あまりは、ノバックの意見は米国教会でも少数意見だと指摘して、抗議した。
 教皇ヨハネ・パウロ2世は2003年1月13日の外交使節団にむけた演説で、力強くこう述べた。「死にノー、利己主義にノー、戦争にノー(と言いましょう)。いのちにイエス、平和にイエス(と言いましょう)」この演説に答えて、たくさんの宗教者が声をあげた。そのなかでも特に目立ったのが、世界各国にまたがって、開発や復興活動に深く関わっている、国際カリタスの諸組織である。英国、イタリア、インド、スイスなど各国司教団と南部アフリカ司教協議会連盟も、イラク戦争に反対する公式声明を発表した。日本司教団の声明(2003年2月21日)は本書に紹介されていないが、カリタス・ジャパンの声明(2003年2月27日)は収録されている。

 本書の最後の章は、国連安保理の役割、今回の戦争のイラク周辺地域とアラブ世界全体における意味、イラク復興のキーパーソン、イラクにおける米国主導の復興の動きなどを紹介している。
 本書で紹介されている資料は、これまで日本語に訳されたことのないものがほとんどで、特にキリスト者にとって、市民としてどのような態度をとるべきかを決めるために、とても役立つ。数日前、ブッシュ大統領は教皇ヨハネ・パウロ2世と面会して、イラク戦争に関する教皇の批判的な意見に耳を傾けざるをえなかった。そのあと、サミット(主要国首脳会議)に出席した豊かな国々の指導者たちは、国連安保理で満場一致で採択されたばかりの、イラク政府への主権委譲に関する新決議を歓迎した。本書が示すFABCのさまざまな洞察は、イラクと中東全体が今後直面するであろう状況について、健全な判断をくだすうえで大きな助けとなるだろう。