仕事づくり、空間づくり、関係づくり
自らの仕事起こし「あうん」の活動、そして協力のお願い
 
湯浅 誠(便利屋あうん)
キリスト者が社会との関わりにおいて真の意味での『正義の促進』(すなわち社会使徒職)を考える際には、まず社会の歪み(闇)を探し、その根がどこにあるのかを探求する必要がある。と同時に闇に近づくとそこには必ずその闇を打ち破る光・可能性が存在すると私たちは信じることができる(御父は私たちに先立って働いているのだから)。私たちが社会の歪み対して関わる際には、闇と対峙して闘うだけでなくその中にすでに存在する光・可能性を見出してサポートする、その光とともに歩むのも私たちの大切な使命であると言えよう。日本の社会の闇またその犠牲者と言ったときに、目に見える一つのものとして野宿者の存在が挙げられるだろう。以下の記事の試みは、その闇の中に存在する光として、私たちの社会が失いかけている
  • ①共同性・協力のセンス(各人が個別分断されて脱落を恐れての競争を強いられるのではなく)
  • ②創造性(決められたことを毎日繰り返す日常ではなく)
  • ③労働の本来の価値(ただ生活の糧を得るための手段としてではなく何か他者の役に立ちたいという思いを実現する労働)
  • ④地域共同体(隣に住む人が誰かも知らない個人主義的地域ではなく)
の復活につながっていくような試みだと思い、私自身が運営委員として関わっているものである。
(下川雅嗣/イエズス会社会司牧委員会)

 「ともに働き、一緒に生きていく」――2002年に発足した「あうん(正式名称:アジア・ワーカーズ・ネットワーク)」が掲げるのは、しばしば目にすると言えば目にする、このような目標です。
 私はかれこれ10年近く、野宿者(ホームレス)の支援活動に携わってきましたが、「ともに活動する」ことはあっても、このようなスタンスで活動するのは初めてのことでした。それまでは、活動とは別に労働と生活の場を持った「支援者」だったわけです。
 これまでの活動経験と現在とで何がどう変わったのか。「あうん」の活動を紹介しながら、そんなことも自分自身で考えてみたい、そんな原稿になれば、と思っています。

 私が「あうん」に関わったのは、ほぼ一年前の2003年7月でした。しかし、あうん自体はさらに一年前の2002年8月に発足しています。設立当初に発せられたメッセージは、「当事者(野宿者)も支援者もともに働き、自分たちで事業を展開していく中で、野宿しながらでも生活していける最低限の3万円の収入を確保する」というものでした。そして、古着の寄付を集めてそれをリサイクルショップと出店したフリーマーケット会場で販売する、という事業を開始しました。
 この期間は、自分自身が関わる前のことゆえ、詳しいことは書けませんが、当初はとにかく「食べることができて、風呂に入れて、そしてとにかく仕事をして、月3万円の収入を作り出す」ことが一番の目標でした。そのために風呂付20坪のスペースを借りて店舗兼事務所とし、フードバンクという食料支援団体からお米などの寄付を受けて活動していました。労働+ドロップインセンター的な機能で働く当事者を支えていたわけです。
 最初の月は、なんとか家賃の13万を支出するのが精一杯だったと聞いています。そして、2002年12月にはじめて、スタッフとして働いていた当事者3名に3万円の月収を出せたのでした。当事者スタッフとともに働いていた常勤の支援者スタッフは2名で計5名。当時の苦労が想像できます。
「あうん」店舗外観
 他方、私自身は別の団体で生活困窮者に対するアパート入居時の連帯保証人を提供する活動をしていたために、アパート退去時の片付けなどを活動として(つまり仕事としてではなく)やることがありました。連帯保証人が片付けをしなければならない事態というのは、つまりトラブル発生ということです。片付け作業は、すでにいなくなってしまった人の「後始末」という、まったく展望のない作業でした。展望のないこと、未来を感じられないことはやりたくない、しかしたとえどうであれやらなければならない、というときは、ではどうすれば同じ作業を展望あるものにできるのか、を考えます。思い付いたのが「これを野宿者や生活保護受給者の就労支援として事業にできないか」ということでした。ふだんこういう場合、片付け仕事などはどのような手続を経て、誰が、いくらくらいでやっているのか。ちょっとした「市場調査」を経て、これを仕事として、事業として展開していくことを本気で考えるようになりました。
 そしてちょうどそのころ、あうんは店舗とフリマの売上げが5~60万に到達したもののその段階で停滞し、月収3万の壁をどうすれば突破できるかを思案していたところでした。より多くの仕事づくりを通じて、より多くの仲間たちにより多くの収入を。「便利屋あうん」がこうしてスタートしました。


 2003年の7月30日に片付けの初仕事を行った便利屋事業は、三つの力によって支えられています。一つは、当事者の力。衣類の細かい仕分けを必要とする古着販売と違い、片付け仕事や引越しなどの便利屋事業は、いわば当事者のオハコです。私のように、これまで肉体労働をまったく経験していないようなインテリ崩れは、一緒に仕事をしながら当事者たちから学ぶことのほうがはるかに多い。梱包、積み込み方、道具の使い方、重い物の持ち方・運び方、そして集団で労働するときの間合い・休息の取り方・和の取り方。現場はごく自然に当事者主体で回っていきます。二つ目は、支援者の力。そうは言っても仕事は現場だけで完結するわけではありません。商品の製造が、製造だけでなく買い付け・仕入れから営業・販売までの一連の流れの中で初めて完結するように、便利屋事業も営業から電話受け、見積もり、人の手配、車や道具の用意、鍵の受渡し、請求書や領収書の発行等々といったさまざまな事務仕事が現場の前後を固めて初めて一つの仕事として完結します。そして多くの当事者はこうした事務作業の経験がなく、かつ苦手です。経験がないことは私も同じでしたが、それでもやはり現在では見積もりの仕方などを当事者に伝える側に回っています。そして三つ目は、協力者の力。便利屋事業は発注してくれる人たちが存在して初めて成り立ちます。野宿者運動のようなマイナーな問題においては、金も技術も権力もない中、人脈だけが唯一の財産ですが、その人脈を最大限に活用して仕事を掘り起こしていきます。そして、最初はどうしても半信半疑の中、それでも「じゃあ頼んでみるか」と仕事を出してくれる人たちの存在が、便利屋事業を支えています。
 そして、始める際に「一年間で携わるみんなに月収8万を確保する」と目標を立てて、「な~に言ってやがる」と冷やかされた便利屋事業も、次第に顧客と注文を増やして仕事の日数と売上げを増やし、現在ではリサイクル事業と合わせて月額150~200万、9人の当事者スタッフと2人の支援者スタッフ、それに私も含めて数人のパートスタッフに月額80万の人件費を回せるようになりました(グラフ参照)。
 そして今、一定の経験と事業運営の仕方に関する蓄積を元に、いかにみんなで仕事を開拓してより多くの当事者が働ける環境を作っていくかが、次の課題として見えてきています。


  あうんは、労働者協同組合(ワーカーズ・コレクティブ)的な集まりとなることを目指しています。それは現場で働く人たちが同時に運営を担い、自らの意思と責任であうんという集まりを盛り立てていこうとするためです。それゆえ、あうんに「ボランティア」はいません。当事者も支援者も含めて全員が有給であり、そして同一賃金です。現在は、店に入った日は一日3000円、便利屋に入った日は一日6000円と決め(交通費と食費は別に支給)、出勤して働いた日数に応じてそれぞれの取り分が決まります(なお、あうんの収入のみで経済的に自活している当事者スタッフを支援するため、住宅手当もあります)。
 私にとってよかったことの一つは、これによって「生活」と「活動」のジレンマから幾分なりとも解放されたことです。「活動」していると「生活」ができない。「生活」をしていると「活動」ができないというジレンマは、当事者・支援者がともに抱える問題でした。生活の余白を活動に充てると言うとき、余白にはどこかに限界があり、そして余白はどこまで行っても余白に過ぎません。理由は単純。それでは「食べていけない」からです。そして食い扶持を他に確保すれば、「活動」はやはり余白にならざるを得ない。しかしそれを自分では認めたくない。自分にとってそれは余白ではない、と言いたい。だからこそ逆に「活動」に過剰なアイデンティティを求める。自分はこれにすべてをかけているのに、中途半端な「ボランティア」はけしからんとなる。そんな甘いもんじゃない、などと言いたくなる。自分だけが「当事者」の置かれた状況や気持ちを理解しているような気になる…。

こんな悪循環にはまっている人たちをたくさん見てきたし、自分自身もそうでした。それは当事者も同じです。彼らこそ「生活」を立てること(食料や寝場所を確保し維持すること)に本当に忙しいのに、その上「活動」する。「活動してたら食えない」という声を山ほど聞いてきました。それでも「活動」する以上、そこには何らかの「利益」がなければならない。「活動」に参加する当事者が何かしらの意味で「特権化」されていくのも多くの場所で目にしてきました。そしてそれは多くの場合「意識」の問題として片付けられてきました。「野宿者全体が大変なことになっているのになぜ活動に参加しない?」「そういう特権化は他の野宿者の手前どうなのか?」…しかし根は物理的・物質的な問題であり、心構えの問題ではないわけです。
 当事者・支援者を取り巻くこのジレンマが、年々私にはキツクなっていました。現実に「活動」が「生活」を飲み込んでしまうほど忙しくなってきて生計が立たなくなってくる上に、無意識のうちにはまりこんでいた悪循環が見えてくるからです。しかし「ともに働く」ときには、「食っていくための仕事であり活動である」というきわめて単純な事実の前に、このようなジレンマは吹き飛びます。「おれもあんたも食えるように一緒にがんばろう」とてらいなく言えるし、どんな人のどんなわずかな支援も受け入れられるようになります。

ともに働く
もう一つの成果は、基本的には同じことですが、「あうん」に対して、そして仕事に対して、当事者も支援者も平等と感じられるようになったことです。私はそれまでずっと「当事者運動体」で活動してきましたが、「当事者運動」と言うとき、それは「本来」当事者のもので、支援者はその運動の外部からそれを応援するに過ぎない、という意味が含まれています。しかし、現実に運動を引っ張っているのは支援者でした。支援者がビラを書き、当事者に呼びかけ、運動を組織し、意見を集約し、「これが当事者の意見だ」とそれを代表する。支援者としての私自身の立場と役割は常に曖昧でした。前にいるのに後ろにいるような顔をしている…混乱するのは当たり前です。しかし「ともに働く」というときには、自分の立場ははっきりします。仕事をこなして「あうん」を盛り立てるために、自分のもっている力を発揮すること、それだけです。自分の得意なことはどんどんやるし、自分の苦手なことは人から学ぶ。仕事の現場では、それぞれの役割が単純で、かつ明確です。片付ける人、運び出す人、積み込む人がすぐに別れ、それぞれの役割をこなします。そしてそれは自然とそれぞれの得手不得手にしたがった分担となります。理由は単純。限られた人数で一定の仕事をこなそうと思えば、それがもっともスムーズで、かつ効率的だからです。「誰の」仕事ということはない。「われわれの」現場があるだけです。

 しかし、今書いてきた「成果」というのは、基本的に限られた空間、小宇宙の中だからこそ可能なジレンマからの解放であり、平等だとも言えます。「あうん」で働くメンバーは当事者・支援者合わせて16名。その外には、「あうん」に程近く、多くのメンバーがそこから来ている関係の深い隅田川だけで1000名、都内では6000名の野宿者がいます。「あうん」のメンバーがノウハウやスキルを蓄積して収入を上げていっても、当然ながら他の野宿者には関係がありません。「あうん」の中で「活動」と「生活」のジレンマから解放されたとしても、外にいる野宿者はその双方から締め出されているとも言えます。「あうん」では仕事の前にみな平等だと言っても、他の野宿者との間に根本的な不平等がある、とも言えます。

「ともに働く」というときの「ともに」がごくごく限定された人たちの間でしか成立していないのです。その地域に暮らす野宿者全員を相手にする、そうした活動とは根本的に違ったレベルに位置する、と言うべきなのかもしれません。「あうん」は現在、メンバー拡大のためにさまざまなことを準備していますが、それとてしょせん10人が20人になるだけの話で、圧倒的多数の野宿者には依然として無関係なままでい続けることに変わりはないでしょう。
 しかし私は、少なくとも現在、それでいいのではないか、少なくとも自分の役割はそこにあるのではないか、と感じています。
 80年代頃からグローバル・アンド・ローカルといった標語が市民活動の中で一般化してきたと記憶していますが、私が最近よく思うのは「空間づくり」ということです。この社会には野宿者を生み出すような社会構造があって、それは本当にすさまじい勢いで進行していっています。今や人材派遣で不安定就労者がドシドシ増えていくことにほとんど誰も驚かなくなりました。若者はアパートを立ち退かされ、派遣会社に複数登録して、毎日マンガ喫茶に寝泊りして、なんとか路上に出るのを瀬戸際で食い止めている。いい年をした中高年はリストラや配置転換され、コンビニやファーストフードで夜勤のアルバイトをしている。アメリカの知識人はこうした流れを「底辺に向かう競争」と名づけましたが、経済的に貧乏なだけでなく、不安定で生きづらい社会になっている…。私の目に映っているのはそんな社会です。
 そうした中で自分に何ができるかを考えるとき、それはさしあたって「砦」作りではないかと思っています。「空間づくり」と言ってもいい。
何かの拍子にいとも簡単に仕事が回ってこなくなる日給月給制の仕事に汲々としがみつくのでなく、自分を受け入れ、一緒に働いていける空間を自分たちで作っていく。どんなときでも行けば誰かしら知り合いと出会えるような居場所としての喫茶店やバーなどの寄り場を作っていく。すぐに追い出される危機にさらされるのではなく、地域との付き合いをもった生活を築ける住居スペースを作っていく。悪化していく社会の流れに流されないような空間を自分たちの力で築いていく。小さくてもいいから、とにかく基本的なところさえ共有されていれば、それぞれが自分の興味と能力でドシドシ作っていく。四の五の言わずに作っていく。そしてそれらがつながって、仕事・生活など人の生活すべてをカバーできるような空間ネットワークを築いていく。そんな夢を持ちます。
 「あうん」の取組みは小さい。それは世間一般の規模から言えば零細企業にすぎません。しかし、大きくなりたくてなれない、競争社会で勝ちたくて勝てない零細企業ではなく、負けないための拠点となりたい。負けないこと、オルタナティブとはそういうことではないかと最近感じています。

場所がないので、表でリサイクル品の手入れ
 「あうん」は今、次のステップを踏み出すために、土地とビルの購入を計画・準備しています。現在の店舗の目と鼻の先にあるこの鉄筋4階建てのビル付の63坪の土地は、関わるみんんなが自分たちで生活を維持していくための共同の働く場所となり、寄り合う場所となり、生活そのものを送る場所となる予定です。
 地域になじみ、「大人の駄菓子屋」とまで言われるくらい地域のお客さんたちに親しまれるようになったリサイクルショップを窓口に地域住民との関係を築き、しばらく通って気づいてみたら、そこで働いていた人たちは野宿者だったことに気づく、といったような自然な関係を築ける仕事の場。ともに働く者たちがそこで共同の仕分け作業などを行い、新しい仲間を迎え入れる人件費をひねり出すために経費を浮かせる工夫を凝らす共同作業の場。そこで寝起きし、閉鎖的な「施設」としてではなく、店舗や便利屋事業を通じて地域との接点を持ち、そこで作った関係を基礎に、地域での一人暮らしを始められる居住の場(ステップハウス)。医療・法律・福祉、さまざまな専門技術を持った団体が協力して当事者の生活課題の解決に向けた支援を行う団体間ネットワークの場。文字通り、「ともに働き、一緒に生きていく」ための拠点です。
 購入価格は予想で6000万円(競売物件のため、裁判所から公示されないと正確な最低入札価格が判明しません)。現在4000万円を集めました。そして現在、残りの2000万円分の借入先を探しています。もし「検討してみてもいい」という方がいらっしゃいましたら、詳しい資料および返済計画書等をお送りし、必要があれば直接ご説明に伺いますので、下記までご連絡ください。

116-0014 東京都荒川区東日暮里2-14-9 
「あうん」

TEL&FAX: 03-5604-0873
または 080-3022-4422(湯浅携帯)
Email:myuasa@k2.dion.ne.jp
または下川(pmshimo@aa.mbn.or.jp)まで連絡を下さっても結構です。

 制度化が進む中、野宿者運動は現在転換点を迎えています。この時期を乗り切り、新しい展望を切り開いていくために、ご協力していただければ幸いです。
(2004年5月29日記す)