安藤 勇(イエズス会社会司牧センター・東京)

 2003年末に開かれたイエズス会管区代表者会議は、「グローバリゼーションと“信仰への奉仕と正義の促進”」というテーマで話しあった。イエズス会社会正義秘書局の機関誌『プロモーティオ・イウスティティエ(正義の促進)』81号は、この会議での討論をとりあげて、世界各地の10人のイエズス会員(その大部分は会議に参加した)からの意見を紹介している。当センターも、グローバリゼーションが私たちの日本での仕事や生活に大きな影響を与える以上、グローバリゼーションの動きを見定めることが大切だと考える。そこで、以下に同誌の討論で述べられたさまざまな意見を要約して紹介する。
 この記事を通じて言えるのは、先進国や教育使徒職のイエズス会員が、グローバリゼーションの肯定的な側面に注目したり、肯定・否定両面についてバランスのとれた見方をしようとしているのに対して、途上国で、あるいは「貧しい人と共に」働く会員は、否定的な側面を強調していることだ。
 ローマの社会正義秘書局のフェルナンド・フランコは、討論を紹介してこう述べている。「すべてのイエズス会員が、グローバリゼーションについて同じ見方をしていないのは確かだ。同様に、イエズス会員一般が持つさまざまな批判的意見や感想が、グローバリゼーションとその影響に関する一定の共通理解へと収れんしないかぎり、イエズス会はグローバリゼーションというチャレンジに、効果的かつ情熱的に応えることができないのも確かだ」

国際開発協会(SID/ローマに本部をおくNGO)は、2002年11月のハーグ宣言で、グローバリゼーションは「人類社会のいっそうの発展と繁栄をもたらしうる一方、疎外や無力化、貧困化、分裂も招きかねない」と指摘している。
 我々イエズ会員は、富める人々とともに、ボーダレスな世界の恩恵を簡単に享受できる立場にある。だが、新たな境界があらわれている。たとえば、第一世界の各国政府は、テロ防止を理由に難民受け入れの規制を強化し、国境警備を厳重にしている。言い換えればグローバリゼーションは、情報面での格差も含め、日々新たに富めるものと貧しい者とを生み出しているのだ。
 グローバリゼーションは目下のところ、農村の生活レベルを低下させているが、逆にそれを向上させる力も持っている。イエズス会の仕事もその影響を受けている。我々は管区を越えた協力によって、村に直接、教育を持ち込むことができる。

我々は今や、旅行という方法で肉体的に、あるいはインターネットなどを通して想像上で、簡単に他の世界に行くことができる。こうした体験から、我々は「結局、世界中どこでも同じだ」と再認識する。こんな時代に、いったいどんな人生の選択が可能だろう? どんな選択を人々に勧められるだろう? 一つの道は、近くの人も遠くの人も、あらゆる人のうちに主と出逢い、いつも驚くべき仕方でこの世に現れる主の姿を見出す方法を、しっかりと身につけることだ。なぜなら、主はすべてを新しくされる方だからだ。

共通の価値観を求めて、ただ一つのかけがえのない世界と向きあう我々は、貧しい人々のための行動を優先的に選びとる必要がある。だがそれは、豊かな人々への敵対であってはならない。人間が神の似姿であるという教えの意味を、我々は再発見しなければならない。

グローバリゼーションはある意味、、キリスト教的普遍主義のきっかけとなる。神の愛は全人類に注がれる。
近代テクノロジーは、この世界(つまり地球とそこに住む人間)に一致をもたらすために、きわめて有効な方法を提供する。本当の問題とは、グローバリゼーションが強い者、富める者の手に握られていることだ。エゴイスティックな資本主義と消費主義が、さまざまな価値や正義、人間の尊厳を脅かしている。正義と不正義の問題について、イエズス会は預言的な役目を果たすことができるし、またそうしなければならない。

我々は福音宣教という大義のために、グローバリゼーションに含まれるすばらしい文化的・霊的手段を利用しなければならない。我々のミッションとは、もっとも貧しい人々が、自分たちのアイデンティティの豊かさを保ちつつ、グローバルな文化に参加できるよう助けることだ。

 グローバリゼーションが人類の大部分の貧困を改善できなかったのは事実だ。それどころか、大量破壊兵器の使用や、ある種の極端な開発計画のせいで、貧しい人々の数は著しく増え、環境破壊は危険なレベルにまで進んでいる。他方、イエズス会のミッションを遂行し、貧しい人々の暮らしを守るために闘う新たなチャンス、新たな方法があらわれている。これまでにない解決策を見出すために、イエズス会員や信徒の専門家の助けを借りて、グローバルな諸問題に関する診断書と行動計画を書きあげることが、目下の緊急課題となっている。我々はイグナチオの『霊操』において、多種多様なこの世界を、神の三つのペルソナの視点から眺めるよう、招かれている。「人間のあがないを実行しよう」(107)

 我々が福音の証人として信頼を得るためには、社会使徒職は今よりもいっそうラディカルでなければならない。何百万という人が栄養不良と飢餓で死にかけている一方で、過大な富を積み上げている企業や個人を、我々ははっきりと告発する(denounce)必要がある。同時に、神の国を告げ知らせる(announce)ことも我々の務めである。我々は、善意の人々とグローバルな連帯を築く必要がある。イエズス会はグローバルな修道会だ。我々がもし、強固な地域組織の土台の上に国際的なネットワークを築くことができれば、ずいぶん違った成果を生み出すことができよう。

全文は社会正義秘書局のサイトで閲覧できる。
http://www.sjweb.info/sjs/index.cfm