堀内 紘子(イエズス会ボランティア)

 これまで何度かご紹介してきましたが、堀内紘子さんはJRS(イエズス会難民サービス)やJVC(イエズス会ボランティア・コープス)のボランティアとして、十数年来活躍してきました。そしてこの6年間働いてきたイエズス会サービス・カンボジアでのボランティアを、このほど終えることになりました。当センターも地雷廃絶キャンペーンやカンボジア・スタディ・ツアーで、ヒロコさんにはさんざんお世話になりました。最後のカンボジア便りをお届けします。
皆々様

 2003年をいかがお過ごしになりましたか。テロリズムの年になってしまいましたね。某アメリカ人がいわく、「テロリズムは人を殺す技巧で、テロリズム自体敵でありえない」と。いつ、外からの攻撃で命を落とすかわからない恐れを経験する私達が、今度は更に人を殺す技巧をもって反発し、テロリズム暴力に包まれた世界へと加熱する現代。
 カンボジアは相変わらず汚職、腐敗が充満。悲しいかな、カンボジアの首相が暴動・殺害の影の人として、「サダム・フセイン」ならぬ「サダム・フンセン」と呼ばれるのもうなずける。腐敗したカンボジア政府を、寄付によってもっと悪くしないでと、日本政府に期待する。
 2003年は私にとって楽しい年でした。春に3ヶ月、USAの旧友を訪ねて歩き回った。真の友情は距離、時間を越えた宝物ですね。長年暮らしたフェアバンクスでは、3週間、初夏のアラスカを十分楽しませてもらいました。
 例年の、日本での私の「話し旅」もすでに6年目。この6年間に生徒さん、学生さん達が「話し旅」の後、率先してカンボジアの子ども達に、女性達にと、車椅子(1台1万円)に、奨学金(1人2~3万円)にと寄付してくれています。「自分より恵まれていない人々のために何かしたい」と関心を持ってくれたこと。関心を実行に移してくれたことをごくうれしく思います。「他の人のために」関心を持ち、「他の人のために」生きられるような社会人になってくれる可能性を、若い人たちに見いだせたからです。「自分のため」に生きて幸せになれるのでしたら、私達は皆、幸せ一杯のはずですが、現状そうではないようですね。
 私の6年間のカンボジアでの感想は、12月3日に催された「身体障害者の日」の出来事が要約してくれています。音楽、ゲーム、ダンス、各組織の売店でにぎわうお祭り。イエズス会サービスもハンディキャップの学生、先生、職員が200人参加。私は売店の係。日本から持ってきた大きいゴミ袋6枚とほうきを、後の掃除にと携えてきました。参加していた100人程の高校生(ハンディキャップではない普通の学生)が飲んだり食べたりした後、紙コップやプラスティックのボトル、お菓子の袋を会場に棄てているではないか。
すぐに私のゴミ袋を一つもって学生さんのところに行き、「高校生はゴミをやたらに棄てない模範を示さなければ駄目よ」と。
二人の学生さんが、私のゴミ袋を持ってゴミ回収に。「やればできるんじゃない」と微笑む私。しかし、ゴミ袋を閉じることなく会場に置き去った二人。
 今度は汚れたゴミ袋をかついだストリート・チルドレンがどこからともなく会場に現れ、棄てられたプラスティック・ボトルのみを拾い集め始めた。一人の男の子は、学生二人が残していったゴミ袋の中からボトルを取り始めた。この子はこのゴミ袋がまだ新しく丈夫であることを発見。中身のゴミを全てからにして、この袋を自分のものにして、更にボトルを拾い集めて去っていった。会場の真ん中にゴミの山ができてしまった。「元の木阿弥」でした!
 「ものをもらうのが当たり前」になってしまったカンボジア人から、「ありがとう」という言葉が消えてしまったようです。「魚」ではなく「魚の釣り竿」をあげなければね。

 そろそろ腰を上げる時期が来ました。今度の行き先は? 財政的・物質的報酬は一切求めず、「自ら助ける者を助ける」お手伝いができるところ、というのが私の条件です! 意欲、やる気、バカでも丈夫なら結構の私。あと10年くらいは国外で、と考慮中です。
 皆さんの友情、励まし、勇気づけ、お祈りがあってこそ、私が「他の人のため」にお手伝いし続けられたのです。心から皆さんに感謝しています。また続けて応援して下さいね。
 2004年が平和な年でありますように。

2003年クリスマス